兵庫県の近代文化遺産リスト布引水源地水道施設 > 見学要領・問い合わせ



普段の見学のしかた

屋外の施設であり、生田川(いくたがわ)に沿ったハイキング・コースを歩くことで、すべての施設が常時見学可能。
ただし現役の上水道施設であり、五本松堰堤の上端部、ダム湖をはじめとして、立ち入り禁止区域もある。五本松堰堤内部は見学不可。

ハイキング・コースの途中には「おんたき茶屋」(上の地図の緑アイコン)があり、トイレもある。
また五本松堰堤上端部にはピクニック・エリア(上の地図の青アイコン)もある。




特別公開

情報は見つけられない。




問い合わせ

神戸市水道局庶務課、または神戸市教育委員会事務局へ。

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by h9w457y8i | 2014-01-11 06:29 | Comments(0)

兵庫県の近代文化遺産リスト布引水源地水道施設 > アクセス


新神戸駅付近から徒歩       ロープウェイ      クルマ


布引水源地水道施設は、山陽新幹線、神戸市営地下鉄および北神急行電鉄の新神戸駅付近から、生田川(いくたがわ)沿いに約2kmに渡って点在している。


Google Map


新神戸駅付近から徒歩

山陽新幹線新神戸駅、1F駐車場入口近く(上の地図の黒アイコン)に、駅の下をくぐって山の方に入っていく道路がある。
その道を駅の駐車場から200mほど登ると、文化財群の中で最も下流にある布引水路橋に出る。

布引水路橋を起点とし、文化財群の中で最も上流側にある分水堰堤まで、歩行者専用のハイキング・コースが整備されている。

左 布引水路橋近く         右 五本松堰堤ダム湖から上流の生田川添い
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↓ 五本松堰堤付近の現地案内看板。クリックで拡大。
b0212342_07325180.jpg新神戸駅
 ↓ 200m(急な上り坂、徒歩約4分)
布引水路橋
 ↓ 130m(徒歩約2分)
雌滝取水堰堤
 ↓ 900m(急な上り坂、徒歩約30分)
谷川橋
 ↓ 150m(徒歩約3分)
五本松堰堤(布引ダム)下流側
 ↓ 150m(急な上り坂。約5分)
五本松堰堤上端、放水路隧道
 ↓ 700m(徒歩約12分)
締切堰堤、分水堰堤隧道
 ↓ 150m(徒歩約2分)
分水堰堤、分水堰堤附属橋



ロープウェイを使用

山の上にある神戸布引ハーブ園に附属する神戸布引ロープウェイを使うと、五本松堰堤の上端まで、急な坂道を上らずに行くことができる。ただし遠回り。

神戸布引ロープウェイ、ハーブ園山麓駅
山陽新幹線、神戸市営地下鉄および北神急行電鉄新神戸駅から約150m。(google mapでは「北野一丁目」駅という旧称で表示されている)
 ↓
 ↓  神戸布引ロープウェイ。ロープウェイのみの利用も可能。
 ↓  運行時刻、料金は、神戸布引ハーブ園公式サイト/ロープウェイ営業案内ページ参照。
 ↓
 ↓  2014.1現在の情報。片道大人700円。基本的には年中無休だが、冬期は点検のため臨時運休すること
 ↓  がある。また、悪天候により一時運休することもある。
 ↓  神戸布引ハーブ園公式ホームページ/「本日の営業情報」を参照。
 ↓
風の丘中間駅
 ↓
 ↓  徒歩で約1km(ほぼ平坦な道を、徒歩約15分)
 ↓  風の丘中間駅は神戸布引ハーブ園の敷地内にあり、そのすぐそばにあるゲート(上の地図
 ↓  紫アイコン)を通って一般道に出る。このゲートの開閉が布引ハーブ園の開園とリンクしているか
 ↓  どうかは不明。布引ハーブ園に要問い合わせ。
 ↓
分水堰堤、分水堰堤附属橋




クルマ

施設付属駐車場はない。
新神戸駅周辺に、民間の有料駐車場が多数あり。
NAVITIME公式サイト/駐車場検索ページにて、「新神戸駅」で検索。


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by h9w457y8i | 2014-01-10 08:57 | 兵庫 | Comments(0)

兵庫県の近代文化遺産リスト布引水源地水道施設概要 > 分水堰堤・分水堰堤附属橋

国指定重要文化財
ぶんすいえんてい・ぶんすいえんていふぞくきょう
竣工: 明治40年(1907年)

構造および形式
分水堰堤: アーチ式コンクリートダム、堤長14.0m、堤高4.3m、取水井附属
分水堰堤附属橋: 鉄筋コンクリート造単アーチ橋、橋長11.5m、幅員1.2m、高欄

文化財指定: 平成18年(2006年)


分水堰堤

分水堰堤とその附属施設の役割は、布引ダム(=五本松堰堤)に流れる水量を調節したり、土砂がダムに流れ込むのを防ぐことです。分水堰堤で水をせき止め、きょう台から流入した水を、分水隧道を通して布引ダムへ送っています。濁った水や必要以上の水は、きょう台の弁が閉まり、分水堰堤を越えて放水路に流れ、ダムには流入しないようになっています。
分水堰堤は、切石をアーチ型に積み上げ、水圧に耐えるように設計されています。
〜神戸市中央区役所および神戸市教育委員会が設置した現地案内看板より



引用上流からの渓流水を分水堰堤で堰止めして、右岸側にある分水施設から下流に至る分水隧道を経て、布引ダム(=五本松堰堤)に導水しています。
 分水施設内のろ過装置は、取水口部分に松材を15cmメッシュの格子状に配置して、礫砂及び細砂を詰めたものでした。
 分水施設内には、自動で閉塞する鋼製弁が設置されていたため、濁度が非常に高い場合や必要水量(1.1㎥/s)以上がダムに流入する場合に閉塞されました。その際、オーバーフローした渓流水は、分水堰堤を越えて、下流側にある放水路隧道に導水されて、ダム下流側に放水されました。
 現在は、電動弁がここに据え付けられており、これらの分水施設は度々の水害を経験し、かつ経年化しているにも係わらず健全に稼動しています。


分水堰堤附属橋

分水堰堤きょう台に架かる附属橋は、鉄筋コンクリート製のアーチ橋で、床の鉄筋を格子状に組む、モニエ式と呼ばれる先駆的な技術で作られています。
〜神戸市中央区役所および神戸市教育委員会が設置した現地案内看板より



全国的にも先駆的な鉄筋コンクリートアーチ橋。
佐野藤次郎が布引ダムを建設した後に、彼の後を引継いだ水野広之進が設計に関与したと思われます。
床版配筋がモニエ式(格子状配筋)となっている先駆的な鉄筋コンクリート橋です。
明治39年(1906年)5月に、佐野藤次郎がイギリス土木学会で発表するために作成したと思われる図面が『KCWW』という表示とともに残っています。

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by h9w457y8i | 2014-01-08 10:37 | Comments(0)

分水隧道 概要

兵庫県の近代文化遺産リスト布引水源地水道施設概要 > 分水隧道

国指定重要文化財
ぶんすいずいどう
竣工: 明治40年(1907年)
構造および形式: 石造及びコンクリート造隧道、延長24.9m、幅1.2m、高さ1.8m
文化財指定: 平成18年(2006年)



分水堰堤(★分水堰堤概要にジャンプ)でせき止められた水を、布引ダム(=五本松堰堤)へと導水するためのトンネルです。きょう台内の弁を開閉することによって、必要な水量をダムに流すことができます。硬い岩盤を25mくりぬいて造られており、入口と出口の一部には石が張られています。
〜神戸市中央区役所、神戸市教育委員会による現地案内看板より引用


分水堰堤で分水された渓流水が分水施設を経て、締切堰堤に至るまでの素堀のトンネルであり、上流側6.6メートル及び下流側2.3メートルは石貼が施されています。
隧道勾配は、烏原放水路隧道と同じ1/75です。 用地については、布引放水路隧道の場合には地上の権利を認めた上で購入しているが、ここに関しては記述がありません。
しかし、昭和48年に神戸市が分水堰堤隧道の周辺用地を水源保全用地として取得しています。

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by h9w457y8i | 2014-01-07 06:13 | Comments(0)

兵庫県の近代文化遺産リスト布引水源地水道施設概要 > 締切堰堤

国指定重要文化財
しめきりえんてい
竣工: 明治41年(1908年)
構造および形式: アーチ式コンクリートダム、堤長31.9m、堤高7.6m、堤頂幅1.5m
文化財指定: 平成18年(2006年)
〜文化庁国指定文化財等データベースより



 締切堰堤は、神戸市水道誌では『断流堤』という名称で放水路隧道の末尾に記載されており、分水堰堤隧道を流れてきた渓流水が上流側に逆流することを防ぐことを目的に建設されました。
 元々この位置には、布引ダム(=五本松堰堤)と同時期に建設された砂防堰堤が建設されていました。しかし、上流側の土砂堆積に対応するため、砂防堰堤の上部にアーチ部を嵩上げして、現在の締切堰堤が建設されていたと思われます。
 また、明治の時点では両側が中央部に比べて1.2m高くなっていますが、上流に更なる土砂が堆積したため、時期は特定できませんが中央部が再度嵩上げされました。その結果、現在では堤高が8.5m、堤頂幅が1.4mとなっています。
 このように締切堰堤は、分水堰堤と放水路に水を流しながら施工されており、かつ、洪水時の対応を考慮すると、最後に完成したものと推測されます。
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by h9w457y8i | 2014-01-06 07:16 | 兵庫 | Comments(0)

放水路隧道 概要

兵庫県の近代文化遺産リスト布引水源地水道施設概要 > 放水路隧道

国指定重要文化財
ほうすいろずいどう
竣工: 明治41年(1908年)
構造および形式等: 石造及びコンクリート造隧道、延長264.3m、幅3.0m、内空高3.0m、坑門左右翼壁
    および放水路開渠附属
文化財指定: 平成18年(2006年)


 布引ダム(=五本松堰堤)の集水域である生田川流域も含めた六甲山系は荒廃地であり、ダムへの濁流土砂の流入が予想外に多かったため、放水路(隧道部)を掘削して、濁流を既存の放水路に接続して、ダム下流に放流する工事を明治39年(1906年)に着手しました。
 なお、植林が必要と思われていましたが、貯水池の建設計画には組入れられておりませんでした。生田川上流域で植林作業に着手されたのが、明治35年(1902年)11月13日でした。
 建設当時には、流入側坑門にはストニー式と呼ばれる開閉装置を備えた鉄ゲート(縦横2.1m)があったため、洪水時にゲートを上げて濁水を下流側に放流していました。
 しかし、貯水量が減少した場合には、ゲートを閉鎖して濁流水もダムに流入させていました。現在もゲート跡の鉄ブタが散策路上に見られます。
 地山が硬い花崗岩であるため、素堀で施工されていますが、一部地山の悪い箇所ではコンクリート(厚さ30cm)で補強されています。
 また、側壁及び底面はモルタルを用いて粗石が張られており、区間延長は72.9mとなっています。
 隧道の勾配は1/75であり、従来の放水路(開削部)に接続した箇所では約3.7mの段差が生じています。
 神戸市会史(昭和43年, 1968年発行)によると、明治38年(1905年)12月に、布引放水トンネルの用地買収の議案が提出され、トンネルの地上部に永久地役権(後に議会で訂正→使用収益並ニ通行ノ権利)を設定することが了承されました。そのため、隧道の工事着手が明治39年にならざるを得なかったと思われます。

隧道の内外部の画像は、神戸市公式サイトへ。

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by h9w457y8i | 2014-01-05 06:31 | Comments(0)

谷川橋 概要

兵庫県の近代文化遺産リスト布引水源地水道施設概要 > 谷川橋

国指定重要文化財
たにがわばし
竣工:  大正初期(大正5年以前 *1)(1912年〜1916年頃)
構造および形式:  鉄筋コンクリート造単アーチ橋、橋長6.1m、幅員2.0m
文化財指定: 平成18年(2006年)



「鉄筋コンクリート製の橋で、2本のアーチ型の桁が特徴的です。この橋桁に使われている鉄筋は、折り曲げるなど工夫がなされており、当時としては新しい技術が使われています。」
〜神戸市中央区役所、神戸市教育委員会設置の現地案内看板より


「架設年度は特定できませんでしたが、大正5年の測量設計図にはコンクリート橋の表示があるため、布引導水管路工事(大正元年~大正7年)の際に施工された可能性があります。
 分水堰堤附属橋(★分水堰堤附属橋概要へジャンプ)と異なり、2本のアーチ状鉄筋コンクリート構造の主桁と横桁の上に、モニエ式床版がある構造となっています。
 主桁及び横桁の上下主筋に対する横方向拘束筋にトラス状の鉄筋が、床版の主筋にベント筋が採用されていることが特筆に価すると思われます。」

谷川橋のフォトギャラリー
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*1 神戸市公式サイト/布引水源地水道施設案内ページより

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by h9w457y8i | 2014-01-04 10:33 | Comments(0)

兵庫県の近代文化遺産リスト布引水源地水道施設概要 > 五本松堰堤

国指定重要文化財
ごほんまつえんてい
竣工: 明治33年(1900年)
構造および形式: 重力式コンクリート造堰堤(ダム)、堤長110.3m、堤高33.3m、高欄
文化財指定: 平成18年(2006年)

附指定: 管理橋取水管2本(英国製及び日本製)、排泥管1本(英国製)、排泥管バルブ1点(アメリカ製。ダムの内部にある)、矢板2点 *1

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五本松堰堤(布引ダム)のフォトギャラリーこちら


「当時、山岳部にこの規模のダムをコンクリートで築造したことは、全国的にも初めてで、見本となる建設物もほとんど無い時代に、基本的なところから手探りで着手し、且つ、職人らを指導していった過程を考えると、並大抵の苦労ではなかったと推測されます。
 わが国では明治8年5月に初めてセメントが製造され、明治14年には山口県に民営のセメント会社が創立されていましたが、明治30年代当初、これほど大量にセメントを使用することは全国的にも少なかったと思われます。明治26年の計画では、土堰堤でしたが、人口増加のため、ダムを高くして容量を増やす必要があったため、コンクリートダムに変更され、このとき、高価であったセメント量を節約するとともに、堰堤重量を増すため、石を3割程度混入しました(粗石入りコンクリートダム)。
 また、建設現場は車両が入れない山岳地であったため、ほとんど人力で運搬・施工されています。そのため、大半の砕石・砂・切石は現地で採取され、当時の予算書によれば、堰堤本体の建設費用は約20万円でありました。  建設当時、堰堤の設計において浸透水による揚圧力は考慮されていませんでした。 明治28年(1895年)のブーゼイダム(フランス)の揚圧力による決壊を受けて、Lavyにより揚圧力の設計理論が確立されたのが明治32年(1899年)であり、布引ダムは建設に着手済であったためです。
 しかし、ダム内の水圧力が大きくなると、石積みが崩壊することも考えられるため、布引五本松堰堤では、157本の水抜き多孔管(直径3.8cm)を3mピッチで9段設置して、その端部を堤外に出すことにより内圧水を排水する構造になっています。
 その他の特徴的な箇所は、堤頂の高さ90cm、厚さ30cmの腰壁があり、そこにはダム建設に携わった技術者の名前を明示した英字の石造銘板が設置されています。
 また、ダム下流側上部に歯飾り(デンティル)が縁取られ、景観にアクセントを与えています。
 堰堤は建設当初は、水を貯め、少しずつ放水する施設でしたが、大正時代には直接、管を接続して取水するようになりました。
 堰堤中央部には、内径3mの半円筒状の取水塔があり、その内部に設置された12インチの取水管により4箇所(水深に合わせて各高さごと)から取水しています。
 堰堤の底部中央には、導水・排水管の通路(縦横約3mのアーチ状の監査廊)があり、明治の建設時には、川水の通路や材料搬入運搬の通路としても利用されていました。
 明治の堰堤正面の写真では見えていませんが、下流に向かって左側に、ダムが満水になった時の水の越流部があり、この上に架かる管理用の橋(通称管理橋)も堰堤に付属する特徴的構造物となっています。」



「管理橋は、写真の左下の越流部の上に架かる、鋼製(レール)トラス風の橋です。
 建設当時は7径間でしたが、水害による土砂堆積(山裾側が埋没)のため、現在は、上流側2径間が撤去されて5径間となっています。
 管理橋の明治の設計にあたっては、工学會誌に特別の記述は無く、これは当時、鉄道全盛期で鋼材橋が多くあり、特段珍しくなかったのか、もしくは、見本となる橋梁が外国に数多く存在していたため詳細をはぶいたためと思われます。
 ちなみに、下図に示すように、フランスの軽便鉄道メーカー『ドコービール社』が発刊したカタログ(明治38年)にも、同様な形式の橋梁(Portable Bridges)が記載されています。
 神戸市水道誌には、管理橋は『古鉄軌の利用に成る』と書かれており、先人は、この解釈を、ダム建設工事における資材運搬用の軽便鉄道(トロッコ)のレールを、橋梁部材に再加工したとしてきたが、『古鉄軌』という言葉を中古品レールの代名詞と受け取ると、橋梁用の中古レールを注文購入したとも受けとれます。」



排泥管
「ダム底の泥水を、監査廊を経て、ダム下流側に放流を行うための管で、英国製のフランジ管(内径16インチ)です。
 コンクリートに包まれていたため腐食が少なく、当時のフランジパッキンを保存するため、フランジ部の解体をせず保存しています。
 当時のパッキンは、板ゴムではなく、麻糸もしくは鉛板を張付け、鉛丹等の入ったペースト状の物を接着材として塗りボルトで接合していました。
 取水塔底部の排泥管のあった部分は、工事中は、渓流水をそのまま流す仮排水路に使用していたため、堰堤完成直前に配管し、すぐ間詰をしないといけませんでした。
 そのため、フランジ最下部には平たがねが挟まったまま(ボルト頭の回転止めに使用)残置されており、フランジを接合する際に苦労した様子がうかがえます。」



排泥管バルブ
 堰堤底部の監査廊内部で、排泥管を開閉するためのバルブであり、設計時点で東京などの他都市を調査した結果、バルブ類はアメリカ製という結論で発注されました。
 当時、18インチ以上のバルブには、本弁にかかる水圧を減らすため、事前に開閉する小さいバルブと、その接続のための副管が付いていました。
 バルブにはケネディ社(米国)の紋章が見られ、反対面には、神戸水道のマークである六剣水が刻印されています。
 弁体構造も現代には無い構造で、弁が下まで降りきると、2枚の太鼓状弁が外側に開いて止水するという特殊構造となっています。



コンクリート型枠用矢板
 堰堤建設中に渓流水を下流に放流するのに使用していた監査廊(取水塔最深部)を閉塞するにあたり、ダム内部側に、矢板を使用して間詰コンクリートを打設しました。
 この残置された矢板には『神戸市水道臨時工事部』の焼印がありました。
 この臨時工事部とは、創設関連の残工事等を完成させるため設置された事務所で、明治33年4月から明治38年のわずか5年だけの事務所であり、佐野藤次郎が所長を務めていました。


*1 文化庁国指定文化財等データベースによると附の記載はないが、神戸市公式サイトによると、附指定についての記述がある。


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by h9w457y8i | 2014-01-03 00:13 | Comments(0)

雌滝取水堰堤 概要

兵庫県の近代文化遺産リスト布引水源地水道施設概要 > 雌滝取水堰堤

国指定重要文化財
めだきしゅすいえんてい *1
竣工: 明治33年(1900年)
構造および形式: アーチ式コンクリート造堰堤(ダム)、堤長19.3m、堤高7.7m、保護堰堤取水井及び階段附属
文化財指定: 平成18年(2006年)



「アーチ状(管理者注:ここで言う「アーチ」は、橋や門のような構造を指すのではなく、ダムを真上から見ると上端がアーチのようなカーブを描いている、という意味)に石を積んで造られた堰堤には3個の制水弁があり、東側の栱台(きょうだい)との間には、24インチ(約60cm)のパイプが設置されていました。ここでくみ上げられた水は、ハイキングコースに埋められたパイプと、下流の砂子橋を通り、現在でも奥平野浄水場に送られています。
栱台の上に作られたドーム屋根の石積みの建物は、水が流入する施設の上に作られています。装飾性の高い建物で、丁寧に石を加工して組み上げられており、非常に珍しい構造物です。」
〜神戸市教育委員会が設置した現地案内看板より引用



「堰堤には3個の制水弁が設置されており、右側にある取水施設との間には24インチの取水管が設置されていました。ここで取水された水は、現在でも取水施設から奥平野浄水場に導水されています。
堰堤最下部にある穴は、工事中の排水路と推定されますが、現在では、3個の穴(内径18インチ)の少し下に堰堤内掃除用の排水管が設置されています。 堰堤下流側には、洪水時に堤防基礎の侵食を防ぐ目的で、保護堤(堤高:4.9m、堤長:7.8m、堤頂幅:1.8m)が設置されています。」


雌滝取水堰堤 フォトギャラリーへ
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*1 よみがなについて。文化庁国指定文化財等データベースには「めんだき」とあるが、神戸市が設置した現地案内看板には「めだき」とある。


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by h9w457y8i | 2014-01-02 23:05 | Comments(0)

兵庫県の近代文化遺産リスト布引水源地水道施設概要 > 布引水路橋

国指定重要文化財
ぬのびきすいろきょう(いさごばし *1
竣工:  明治33年(1900年)
構造および形式:  煉瓦造三連アーチ橋、橋長19.2m、幅員3.3m、高欄付、袖壁附属
文化財指定:  昭和54年(1979年)



「建設当初は、雌滝及び鼓ケ滝で取水した水を奥平野及び北野浄水場に導水するため、左岸に布設された8インチ(約20cm)及び24インチ(約61cm)の導水管を右岸側に渡すことを目的とした水道橋でした。
 その後、橋が神戸市道路管理者(建設局)に移管されて、現在では道路施設として位置付けられています。
 昭和51年(1976年)に、高欄は上部に手摺が設置されて60センチメートルほど嵩上げされており、その内側には市章マークも取付けられています。
 昭和13年(1938年)及び42年(1967年)の大水害でも破損した形跡がなく、経年化による亀裂や剥離等がほとんど見られません。
 中央の扁平アーチ部分の支保工に描かれている洗濯バサミのような調整台が使用されていました。また、石積みの上部仮設台にはレンガが積まれており、レンガ積みの繋ぎ材としてコンクリートが使用されたと思われます。」

布引水路橋のフォトギャラリーへ
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*1 文化庁国指定文化財等データベースによると「すなごばし」となっているが、橋の親柱に刻まれたよみがな、および神戸市教育委員会が設置した現地案内看板では「いさごばし」となっている。


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by h9w457y8i | 2014-01-01 14:12 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。