サイトマップ > 石川県 江戸時代以前の文化財 > 金沢城土蔵

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この土蔵は江戸時代後期、1848年に武具倉庫として建てられました。天井裏を土壁で塗り込め、その上に瓦を葺く鞘屋根という構造になっています。幅、奥行きが15m x 22mで、全国のお城の中にある土蔵の中でも最大級の規模です。明治期以降、陸軍によって被服倉庫として使われ、その頃から「鶴丸倉庫」と呼ばれるようになりました。
平成20年(2008年)に国の重要文化財に指定されています。


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アクセス


金沢城土蔵(鶴丸倉庫)は黄色マーカー13
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金沢城土蔵(鶴丸倉庫)は、金沢城公園の中にあり、普段は外観のみ見学できます。

また、4〜11月には、毎月数日間、内部が特別公開されます。
特別公開に関しては、兼六園・金沢城管理事務所に問い合わせるか、「鶴丸倉庫 公開」で検索してください。

金沢城公園へのアクセス、公園の入園案内は、石川門紹介ページを参照。
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by h9w457y8i | 2019-02-06 16:03 | 石川 | Comments(0)

サイトマップ > 石川県 江戸時代以前の文化財 > 金沢城三十間長屋

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日本のお城では、倉庫と防壁を兼ねた細長い建物を「多聞櫓(たもんやぐら)」と言いますが、金沢城ではそれを「長屋(ながや)」と呼びます。三十間長屋はその長さから名付けられました。
元々この場所には、江戸時代初期に櫓を持つ三十間長屋が建てられていましたが、1759年に焼失し、しばらくは石の土台だけが残されていました。現在残るこの長屋は、幕末の1858年に再建されたものです。長さは三十間よりも若干短い、26.5間(48.2m)となっています。
建物は高い石垣の上の縁に立っており、入り口は上の画像のように天守の方に向いていますが、そちらは実は裏側で、石垣側の表側が、城下に睨みを効かせていました。

↓ こちらが建物の表側
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金沢城 三十間長屋 Photo Gallery 画像15枚
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アクセス


金沢城 三十間長屋は、黄色マーカー12
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最寄りの駅から徒歩
JR金沢駅、北鉄金沢駅から、徒歩約35分(2.5km)。


バス
北鉄バス 香林坊周辺のバス停から、徒歩約12分(800m)。

北陸鉄道バス(通称「北鉄バス」)の時刻・料金検索は、各種乗り換え案内アプリ、Google Map ルート案内機能が対応しています。
全国共通交通系ICカードは使用不可。2018.12 車内での両替は1000円札と硬貨のみ。
JR金沢駅 東口バスターミナルから、乗車時間10分、200円。
金沢駅東口バスターミナルの詳しい乗り場案内はこちら


駐車場
金沢城三十間長屋は金沢城公園の中にありますが、公園の付属駐車場はありません。
半径500m以内に多数の時間貸駐車場があります。
NAVITIME 駐車場検索ページにて「三十間長屋」で検索。

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見学のしかた


金沢城三十間長屋は、金沢城公園の中にあります。
公園の開園時間、休園日、入園料に関しては、石川県公式サイトの金沢城公園案内HPを参照。

2018.12
開園時間
<3/1〜10/15> 7:00〜18:00
<10/16〜2/28> 8:00〜17:00
年中無休。
入園無料。


三十間長屋の内部は、普段は非公開ですが、しばしば期間限定で特別公開されるようです。
直近では、2019年2月、および3月の何日間か、内部が特別公開されます。
詳細はJRおでかけネットを参照。
あるいは、金沢城公園に問い合わせ。

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金沢城 三十間長屋 Photo Gallery 画像15枚
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文化財分布マップ

by h9w457y8i | 2018-12-27 13:02 | 石川 | Comments(0)


サイトマップ > 千葉県 江戸時代以前の文化財 > 本佐倉城跡 > フォトギャラリー


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1 駐車場(上の地図、マーカー3)付近。
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6 東光寺ビョウ。マーカー1
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13 東山虎口。内郭への玄関口で、蛇行した狭い坂と二つの門で非常に厳重に作られ、固い守りが可能だったとされます。マーカー2
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17 城跡の北には水田が広がり、その奥に京成電鉄が走っています。当時はその線路があるあたりまで、印旛沼が広がっていました。江戸時代の大規模な干拓で、現在は水田となっています。
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19 Ⅳ郭虎口。名称の伝承はなく、大型の門の跡が見つかっています。マーカー5
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20 大堀切。二つの郭(城山と奥ノ山)の間にある堀切で、高低差は6m。門が設置されていました。マーカー6
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23 城山への通路と城山虎口。城山に入るための出入り口。マーカー7
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26 城山。城主の居住・執務のための場所。台所や倉庫もありました。マーカー8
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31 奥ノ山。マーカー9。千葉氏の守護神、妙見さまを祀った妙見宮があり、妙見郭とも呼ばれました。
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35 奥ノ山の斜面。かなりの高さまで急勾配で土が盛られているのがわかります。
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38 倉跡。マーカー10。米を備蓄したりしていた場所と思われます。7つある内郭のなかで最大の広さです。
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41 本佐倉城跡の周囲には竹林が広がっていますが、中を見ると結構荒れていました。
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42 妙見神社。マーカー11。千葉氏の守護神で、もともと奥ノ山にありましたが、この場所に移設されました。移設時期は不明です。
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47 城跡の南には集落と田んぼが広がっていますが、かつてはここに中池と呼ばれる池がありました。戦国時代には貴重な水源池だったと考えられます。マーカー12
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52 水の手。中池と同じく水源池だったところです。現在は水はなく、窪地となっています。マーカー13
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54 セッテイ空堀。マーカー14。セッテイ(マーカー17)と呼ばれた内郭は、ひときわ深く大規模な空堀に取り囲まれていました。画像ではわかりにくいですが、高低差は16mもあり、現在でもかつての姿をほぼそのまま残していると言われています。セッテイは、人質を捕らえていたか、あるいは接待のための館が存在していたと考えられている場所です。
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56 セッテイ虎口。セッテイへの出入り口です。マーカー15
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60 金明竹という珍しい種類の竹が、城跡の周囲には群生しています。緑と黄色の縦縞模様の竹です。マーカー16
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61 倉跡とセッテイの間にある空堀。マーカー18。高低差10m。
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62 南奥虎口。マーカー19。東山虎口と同じく、城北側の玄関口でした。当時はこの虎口には木戸と板塀が張り巡らされ、虎口の内側は外からは見えないようになっていました。
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記事中の解説は、酒々井町公式サイトを参考にしました。

by h9w457y8i | 2018-03-08 10:29 | 千葉 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。