サイトマップ > 沖縄県 江戸時代以前の文化財 > 座喜味城跡

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14世紀以降、沖縄本島は南山、中山、北山の三つの国に別れ、勢力争いをしていました。座喜味城(ざきみじょう)は15世紀の初頭、護佐丸(ごさまる)が中山の領土内に築いた城(グスク)で、後に琉球を統一し王国を築く南山の尚氏の北山攻略に参戦した護佐丸の拠点となりました。城郭は標高120mの小高い丘の頂上にあり、石灰岩の切石積みで築かれています。琉球では中程度の規模だそうです。城郭の中では瓦の出土がないことから、建物は木造で、かつ板葺きか茅葺きだったとされています。琉球王国時代、そしてその後の明治・大正時代にどのように使われていたかはわかりませんが、第二次世界大戦中は旧日本軍の高射砲陣地が築かれ、戦後は米軍のレーダーサイトが設置されました。昭和47年(1972年)の沖縄返還に伴い、城跡も返還され、国の史跡に指定。平成12年(2000年)には、世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産の一つに登録されました。


座喜味城跡 フォトギャラリー(75枚・16MB)




アクセス



地図では城跡内は池のように描かれていますが、実施は芝生が植えられた土です。


バス
座喜味城跡の近くには見学に行くのに適したバス停がありません。

あえて言えば、琉球バスの「座喜味」バス停(地図・青1)が最寄りのバス停となり、バス停から座喜味城入口までは坂を登って徒歩約10分(600m)となりますが、見学に適した時間(9:00〜16:00)の運行は2本しかなく、バスを使っての見学は現実的ではないと思います。

念の為、沖縄バス・琉球バスの時刻・料金検索ページはこちら。



駐車場
施設付属の無料駐車場があります。

駐車場の入口は地図・青2。
収容台数 30台前後。
綺麗に舗装された駐車場です。
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なお、2019年4月から同年10月頃まで、城跡周辺の道路工事のため、迂回する必要があります。
つまり、カーナビが使えない可能性があります。
駐車場への迂回ルートなど詳しい情報は、読谷村公式サイトを参照してください。





見学のしかた


座喜味城跡は屋外の施設であり、24時間いつでも見学できます。

入場は無料、定休日もありません。


↓ 入口手前には、座喜味城や読谷村の歴史を詳しく知ることができる「世界遺産座喜味城跡ユンタンザミュージアム」があります。
今回の訪問では時間の関係でスルーしました。
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座喜味城跡入口。現地案内看板などがあります。
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入口から駐車場方向。
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よく整備された気持ちのいい松林を抜けると。
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城跡の「二の廓(くるわ)」の入口に出ます。
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二の廓、入口の門。石灰岩が緻密に積み上げられています。
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二の廓と、一の廓(本丸)に上がる階段。
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壁はうねうねと曲がりくねっています。
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この階段で、二の廓から一の廓に上がります。
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一の廓の建物跡。コンクリートで修復・補強されています。
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↓一の廓の中に、石の角柱がポツンと建っています。これは江戸時代末期の1843年に設置された座喜味親方の「寄進灯籠」。座喜味親方とは毛恒徳座喜味親方盛普のことで、毛氏は護佐丸の子孫です。座喜味親方が江戸への慶賀使として無事任務を果たしたお礼として城内の神に灯籠を寄進したと言われています。
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ん、たかーい壁の上に、人影が?
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一の廓の城郭には、その上に登れるよう階段が付いていました。登ってみます。
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それにしても、地面から4〜5mはありそうなんですけど。手すりなし。いいですね! 落ちた人いないのかな?
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一の廓、北側。
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管理人のおすすめポイント


小高い丘のてっぺんにあり、天気のいい時は遠くの島まで見渡せます。琉球王国以前の沖縄の歴史を体で感じることのできる、数少ない場所だと思います。オススメです! ただし、真夏は暑くてちょっとツライかも...。


座喜味城跡 フォトギャラリー(75枚・16MB)

文化財分布マップ
(全国の国宝、重要文化財の詳細位置をプロットしてあります)

このページは、
現地案内看板
読谷村 公式サイト
などの記述を参照しています。

by h9w457y8i | 2019-07-08 07:45 | 沖縄 | Comments(0)

サイトマップ > 愛知県 近代文化遺産 > 乃木倉庫

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この倉庫は、明治の初め頃(1870年代?)、陸軍歩兵第六連隊の火薬庫として名古屋城の敷地内に建てられました。陸軍大将・乃木希典(のぎ まれすけ)が名古屋鎮台(ちんだい)に赴任していた頃に建造されたため、誰言うとなく「乃木倉庫」と呼ばれるようになったそうです。レンガ造りで壁の厚さは60cmもあり、太平洋戦争の際には、名古屋城の障壁画や天井絵をここに避難させていたため、大空襲でも焼失を免れました。名古屋における明治時代のレンガ造り建造物はとても貴重であり、再現することが容易でない建造物ということで、平成9年(1997年)、国の登録有形文化財となりました。


乃木倉庫 フォトギャラリー(16MB)




アクセス



乃木倉庫は黄11


乃木倉庫は名古屋城の敷地内にあります。

名古屋城へのアクセス(行き方)は、国指定重要文化財・名古屋城のページを参照してください。

名古屋城 正門。地図・黄1
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名古屋城 東門。地図・黄2
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見学のしかた


乃木倉庫は、名古屋城の敷地内にあります。

名古屋城の開園時間、入園料、休園日などの最新情報は、名古屋城公式サイトを参照してください。

乃木倉庫の外観は、名古屋城の敷地内に入ればいつでも見学できますが、内部は普段非公開です。
特別公開がしばしば行われており、その時の公開情報は名古屋城公式サイトに掲載されていたようですが、2019.6現在は情報はありません。


遠景。ここは天守閣の西に当たり、あまり人気がない場所でした。
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正面。外壁が白塗りなのは、レンガを保護するために、第二次世界大戦後に塗られたからだそうです。
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正面右側から。
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側面。
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入口。
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入口扉。頑丈そうな金属製です。
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現地案内看板。
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↓ 新しく建て直され、2019年春に公開となった本丸御殿。ここに、名古屋空襲の中乃木倉庫の中で難を逃れた天井絵や障壁画が展示されています。
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↓ 名古屋城天守閣。太平洋戦争の名古屋空襲で焼け落ちてしまい、現在あるのは戦後に建て直された鉄筋コンクリート製のものです。2019.6現在は老朽化のために内部は非公開となっています。
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乃木倉庫 フォトギャラリー(16MB)

文化財分布マップ
(全国の国宝、国指定重要文化財の詳細位置をプロットしています)

このページは、
現地案内看板
名古屋城公式サイト
愛知県公式サイト
などの記述を参照しています。

by h9w457y8i | 2019-06-11 22:58 | 愛知 | Comments(0)

サイトマップ > 愛知県 江戸時代以前の文化財 > 名古屋城

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国指定重要文化財 名古屋城 西北隅櫓

名古屋城は、戦国時代の武将、今川氏親(いまがわ うじちか)が建てた那古野(なごや)城の跡に徳川家康が建て直した城です。江戸時代は尾張徳川家の居城であり、明治時代に入ってからも大小の天守閣は残っていましたが、1945年の空襲でほぼ消失してしまいました。その際に焼け残った3つの櫓(やぐら・城敷地の隅に防御と見張りの目的で造られた建造物)と3つの門が、国の重要文化財となっています。いずれも江戸時代初期の1612年頃の建築です。またその城跡は、近世城郭の代表的なものとして学術上の価値が非常に高いとされ、国の特別史跡にも指定されています。


東南隅櫓
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西南隅櫓。
左奥に大天守の屋根が写っていますが、これは戦後に再建されたコンクリート製で、文化財ではありません。
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西北隅櫓
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表二の門
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旧二之丸東二之門
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二之丸大手二之門の画像はありません。


名古屋城 フォトギャラリー(158枚)




アクセス



名古屋城の重要文化財は、黄色マーカー5〜10
スマートフォンはこちらのマップ


名古屋城の敷地に入るには、二つの入口があります。

名古屋城の東側入口。上の地図、黄色マーカー2
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こちらは西側の入口。上の地図、黄色マーカー1
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駐車場
施設付属有料駐車場が二つあります。

入口は、上の地図、黄色マーカー3と4。
営業時間、料金などは名古屋城公式サイトを参照してください。

2019.3
[営業時間] 08:45〜21:30(二の丸東駐車場は22:30まで)
[料金] 30分ごとに180円
[休業日] 年末年始(12/30〜1/1)






見学のしかた


二之丸大手二之門以外の門と櫓は、名古屋城の有料区画にあります。

開園時間、入園料、休園日、イベントなどに関する情報は名古屋城公式HPへ。

2019.3
[開園時間] 9:00〜16:30
[入園料] 500円(各種割引あり)
[休園日] 年末年始(12/29〜1/1)

二之丸大手二之門(上の地図、黄色マーカー10)は公園の敷地内にあり、いつでも無料で見学できます。

3つの櫓のうち、南西隅櫓のみ内部が公開されています。
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消防法の規定により、上の階には決まった人数しか登れません。
なので、入場制限がされていました。
訪れたのは平日で、5分くらい並んで上がれました。
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南西隅櫓の屋根の一部。
明治以降、宮内庁が管理していた頃の改修で、瓦に菊の御紋が入りました。
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表二の門と堀
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表二の門の門扉。鉄板で覆われています。
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表二の門の内側
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旧二之丸東二之門の内側
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立派な大天守。昭和34年(1959年)に竣工した鉄筋鉄骨コンクリート造です。
コンクリート造の天守にたまに見られる違和感がほとんどないのは、窓のサッシなどが巧みに隠されているからでしょうか。
2019.3現在は残念ながら耐震性の問題で閉館中です。
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こちらは戦災で焼失し、再建されて2018年から公開となった本丸御殿。
ピカピカです。
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内部は建造当初を忠実に再現したそうです。
また、戦災で焼け残った重要文化財の障壁画を多数保存・展示しています。
フラッシュを発光させなければ、内部の写真撮影は可能です。

現地案内看板地図
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現地案内看板特別史跡
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名古屋城 フォトギャラリー(158枚)

文化財分布マップ

このページは、
名古屋城公式サイト
現地案内看板
などの記述を参照しました。

by h9w457y8i | 2019-03-29 07:19 | 愛知 | Comments(0)

サイトマップ > 香川県 江戸時代以前の文化財 > 高松城

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北之丸 月見櫓と水手御門

高松城は、豊臣秀吉の家臣、生駒親正(いこま ちかまさ)が自らの居城とするために、安土桃山時代の1588年に建造した城です。かつて北の丸は海に面しており、全国的にも珍しい水際の城でした。江戸時代に入ってからは徳川一族、松平家の居城となり、更に海を埋め立てるなどして規模を大きくし、明治時代まで続きました。
松平家の居住や政務のための建物は、明治時代に老朽化のため取り壊され、その跡地に松平家の別荘として披雲閣(国指定重要文化財)が建てられ、現在も残っています。また城郭の隅にある旧東の丸艮櫓(うしとら やぐら)、かつて海に面していた北の丸の月見櫓(つきみ やぐら)・水手御門(みずのて ごもん)・渡櫓(わたり やぐら)は江戸時代に入ってから、1676年頃に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。また高松城址は国の史跡に指定されています。


高松城 フォトギャラリー(48枚 2013.11 撮影)




アクセス



旧東の丸艮櫓は赤マーカー4
北の丸月見櫓・水手御門・渡櫓は赤マーカー5〜7
スマートフォンはこちらのマップ


高松城址は玉藻(たまも)公園として一般公開されており、高松城址にある国指定重要文化財を見学するには、公園内に入る必要があります。


最寄りの駅から徒歩
JR予讃(よさん)線 高松駅 東口から、玉藻公園(高松城趾)西入口(上の地図、赤マーカー 1)まで、徒歩約4分(約300m)。

高松琴平電気鉄道(通称「ことでん」) 琴平(ことひら)線 高松築港(たかまつちっこう)駅から、玉藻公園(高松城趾)西入口(上の地図、赤マーカー1)まで、徒歩2分。


バス
ことでんバス 高松築港(たかまつちっこう)バス停(上の地図、赤マーカー11)から、玉藻公園(高松城趾)西入口(上の地図、赤マーカー1)まで、徒歩2分。

高松築港バス停はことでんバスの基幹停留所で、多くの系統のバスが停車します。

ことでんバスの時刻・料金検索は、各種乗り換え案内アプリ、Google Map ルート案内機能が対応しています。

2019年3月より、全国共通交通系ICカードでことでんバスの乗車が可能になりました。


駐車場
玉藻公園付属の無料駐車場が、公園の東入口付近にあります。

駐車場入り口は、上の地図、赤マーカー3。
収容台数 57台。

営業時間についてサイトにも現地にも記載は見つけられませんでしたが、現地案内看板に「玉藻公園利用者専用駐車場」とあったので、おそらく公園の開園時間とリンクしていると思われます。






見学のしかた


高松城址=玉藻公園の開園時間、入園料、休園日などの最新情報は、玉藻公園公式HPを参照してください。

2019.3
[開園時間] 東門 8:30〜17:00(夏以外)、西門 日の出〜日の入り。
入り口ごとに、月日によって細かく分かれています。

[入園料] 200円。ただし、年始、桜の時期の夜間や5/5は無料で解放されます。そのほか、各種割引もあります。

[休園日] 12/29〜12/31

月見櫓の内部が、日曜日の9:00〜15:00に公開されています。
また同じ時間に、水手御門が開扉されます。


旧東の丸艮櫓。上の地図、赤マーカー4。
江戸時代前期、1677年に竣工しました。
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東の丸は現在の香川県県民ホールのある辺りで、かつては海に面していました。そこに建てられた櫓なので、城の東北方向、つまり艮(うしとら)の櫓という名前がつきました。
現在の位置は城の南東であり、この位置に移築されたのは昭和40年(1965年)です。

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玉藻公園 東入口につながる橋。上の地図、赤マーカー2。
今回はここから入りました。
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公園の東口。
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艮櫓を城側から。
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艮櫓案内看板
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北の丸、水手御門。上の地図、赤マーカー6(7付近)。
艮櫓と同時期の1676年に竣工しました。
かつては海に面しており、海から直接船で城に出入りできるようになっていたようです。
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水手御門の両側に、月見櫓と渡櫓がくっついて建っています。

月見櫓。赤マーカー7
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渡櫓。
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水手御門案内看板
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史跡案内看板
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高松城 フォトギャラリー(48枚 2013.11 撮影)

文化財分布マップ

このページの記載は、
玉藻公園 公式HP
文化庁国指定文化財等データベース
琴平電鉄 公式HP
高松市 公式サイト
現地案内看板
などを参照しています。

by h9w457y8i | 2019-03-27 11:22 | 香川 | Comments(0)

サイトマップ > 石川県 江戸時代以前の文化財 > 金沢城土蔵

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この土蔵は江戸時代後期、1848年に武具倉庫として建てられました。天井裏を土壁で塗り込め、その上に瓦を葺く鞘屋根という構造になっています。幅、奥行きが15m x 22mで、全国のお城の中にある土蔵の中でも最大級の規模です。明治期以降、陸軍によって被服倉庫として使われ、その頃から「鶴丸倉庫」と呼ばれるようになりました。
平成20年(2008年)に国の重要文化財に指定されています。


金沢城土蔵(鶴丸倉庫) フォトギャラリー 13枚の画像



アクセス


金沢城土蔵(鶴丸倉庫)は黄色マーカー13
スマートフォンはこちらのマップ


金沢城土蔵(鶴丸倉庫)は、金沢城公園の中にあり、普段は外観のみ見学できます。

また、4〜11月には、毎月数日間、内部が特別公開されます。
特別公開に関しては、兼六園・金沢城管理事務所に問い合わせるか、「鶴丸倉庫 公開」で検索してください。

金沢城公園へのアクセス、公園の入園案内は、石川門紹介ページを参照。
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金沢城土蔵(鶴丸倉庫) フォトギャラリー 13枚の画像

文化財分布マップ

by h9w457y8i | 2019-02-06 16:03 | 石川 | Comments(0)

サイトマップ > 石川県 江戸時代以前の文化財 > 金沢城三十間長屋

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日本のお城では、倉庫と防壁を兼ねた細長い建物を「多聞櫓(たもんやぐら)」と言いますが、金沢城ではそれを「長屋(ながや)」と呼びます。三十間長屋はその長さから名付けられました。
元々この場所には、江戸時代初期に櫓を持つ三十間長屋が建てられていましたが、1759年に焼失し、しばらくは石の土台だけが残されていました。現在残るこの長屋は、幕末の1858年に再建されたものです。長さは三十間よりも若干短い、26.5間(48.2m)となっています。
建物は高い石垣の上の縁に立っており、入り口は上の画像のように天守の方に向いていますが、そちらは実は裏側で、石垣側の表側が、城下に睨みを効かせていました。

↓ こちらが建物の表側
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金沢城 三十間長屋 Photo Gallery 画像15枚
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アクセス


金沢城 三十間長屋は、黄色マーカー12
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最寄りの駅から徒歩
JR金沢駅、北鉄金沢駅から、徒歩約35分(2.5km)。


バス
北鉄バス 香林坊周辺のバス停から、徒歩約12分(800m)。

北陸鉄道バス(通称「北鉄バス」)の時刻・料金検索は、各種乗り換え案内アプリ、Google Map ルート案内機能が対応しています。
全国共通交通系ICカードは使用不可。2018.12 車内での両替は1000円札と硬貨のみ。
JR金沢駅 東口バスターミナルから、乗車時間10分、200円。
金沢駅東口バスターミナルの詳しい乗り場案内はこちら


駐車場
金沢城三十間長屋は金沢城公園の中にありますが、公園の付属駐車場はありません。
半径500m以内に多数の時間貸駐車場があります。
NAVITIME 駐車場検索ページにて「三十間長屋」で検索。

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見学のしかた


金沢城三十間長屋は、金沢城公園の中にあります。
公園の開園時間、休園日、入園料に関しては、石川県公式サイトの金沢城公園案内HPを参照。

2018.12
開園時間
<3/1〜10/15> 7:00〜18:00
<10/16〜2/28> 8:00〜17:00
年中無休。
入園無料。


三十間長屋の内部は、普段は非公開ですが、しばしば期間限定で特別公開されるようです。
直近では、2019年2月、および3月の何日間か、内部が特別公開されます。
詳細はJRおでかけネットを参照。
あるいは、金沢城公園に問い合わせ。

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金沢城 三十間長屋 Photo Gallery 画像15枚
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文化財分布マップ

by h9w457y8i | 2018-12-27 13:02 | 石川 | Comments(0)


サイトマップ > 千葉県 江戸時代以前の文化財 > 本佐倉城跡 > フォトギャラリー


スマートフォンの方はこちらのマップ

1 駐車場(上の地図、マーカー3)付近。
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6 東光寺ビョウ。マーカー1
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13 東山虎口。内郭への玄関口で、蛇行した狭い坂と二つの門で非常に厳重に作られ、固い守りが可能だったとされます。マーカー2
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17 城跡の北には水田が広がり、その奥に京成電鉄が走っています。当時はその線路があるあたりまで、印旛沼が広がっていました。江戸時代の大規模な干拓で、現在は水田となっています。
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19 Ⅳ郭虎口。名称の伝承はなく、大型の門の跡が見つかっています。マーカー5
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20 大堀切。二つの郭(城山と奥ノ山)の間にある堀切で、高低差は6m。門が設置されていました。マーカー6
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23 城山への通路と城山虎口。城山に入るための出入り口。マーカー7
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26 城山。城主の居住・執務のための場所。台所や倉庫もありました。マーカー8
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31 奥ノ山。マーカー9。千葉氏の守護神、妙見さまを祀った妙見宮があり、妙見郭とも呼ばれました。
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35 奥ノ山の斜面。かなりの高さまで急勾配で土が盛られているのがわかります。
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38 倉跡。マーカー10。米を備蓄したりしていた場所と思われます。7つある内郭のなかで最大の広さです。
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41 本佐倉城跡の周囲には竹林が広がっていますが、中を見ると結構荒れていました。
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42 妙見神社。マーカー11。千葉氏の守護神で、もともと奥ノ山にありましたが、この場所に移設されました。移設時期は不明です。
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47 城跡の南には集落と田んぼが広がっていますが、かつてはここに中池と呼ばれる池がありました。戦国時代には貴重な水源池だったと考えられます。マーカー12
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52 水の手。中池と同じく水源池だったところです。現在は水はなく、窪地となっています。マーカー13
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54 セッテイ空堀。マーカー14。セッテイ(マーカー17)と呼ばれた内郭は、ひときわ深く大規模な空堀に取り囲まれていました。画像ではわかりにくいですが、高低差は16mもあり、現在でもかつての姿をほぼそのまま残していると言われています。セッテイは、人質を捕らえていたか、あるいは接待のための館が存在していたと考えられている場所です。
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56 セッテイ虎口。セッテイへの出入り口です。マーカー15
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60 金明竹という珍しい種類の竹が、城跡の周囲には群生しています。緑と黄色の縦縞模様の竹です。マーカー16
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61 倉跡とセッテイの間にある空堀。マーカー18。高低差10m。
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62 南奥虎口。マーカー19。東山虎口と同じく、城北側の玄関口でした。当時はこの虎口には木戸と板塀が張り巡らされ、虎口の内側は外からは見えないようになっていました。
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記事中の解説は、酒々井町公式サイトを参考にしました。

by h9w457y8i | 2018-03-08 10:29 | 千葉 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。