Кремль (クレムリ)

各聖堂の竣工時期は下記記事参照。
世界文化遺産 1990年登録



クレムリンの概要については、クレムリン(壁、塔、宮殿など)の記事を参照。

ソ連時代の秘密主義を象徴するかのようにも見える巨大な城壁に囲まれたクレムリン。その内部は、現ロシア政府・議会の中枢部と、ロシア正教の中枢部とに別れる。この記事では、後者の宗教施設の外観画像をご紹介。

クレムリンの建物配置図
赤の広場の記事





聖堂広場
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帝政時代からロシア正教の数々の行事や皇帝の戴冠式なども行われ、外国からの使節を招く場所でもあった。現在もしばしば行司や祭典が行われる。





パトリアーシェ宮殿および十二使途教会
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ロシア正教の総主教の宮殿。竣工時期不詳。5つの丸屋根を持つ十二使途教会は1656年の竣工。現在は17世紀ロシアの工芸博物館として使われ、祭服や聖具、銀器など精緻な品々が数多く展示されている。*1






ウスペンスキー大聖堂
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かつてロシア帝国の国教大聖堂とされ、ロシア皇帝が戴冠式に臨み、モスクワ総主教が葬儀に付された場所。地震で倒壊した初代大聖堂に代わり、イタリアの名匠アリストーテリ・フィオラバンティの設計で1479年に再建。古都ウラジーミルのウスペンスキー大聖堂を模して作られたといわれている。*1






イワン大帝の鐘楼
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イワン雷帝(イワン4世)の頃、モスクワにこれ以上高い建物はなかった。それは誰もこの建物より高い建築物を建てる権利がなかったから。1505年~1543年にかけて工事が行われた。ナポレオンがモスクワから撤退する際に鐘楼の爆破を命じたが、18個の鐘は残った。1992年の復活祭を機に、教会としての機能を再開。鐘楼の高さは81mで内部は非公開。*1







アルハンゲルスキー聖堂
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軍の守護聖人、大天使アルハンゲル・ミハイルを祀って建てられた教会。現在の建物は、イワン大帝が死の直前に下した命により、ヴェネツィアのイタリア人アレヴィズ・ジュニアの設計で1505年から1508年にかけて建設された。もともと建物は16世紀のロシア建築を踏襲したものだが、設計者がイタリア人だったこともあり、どことなくルネッサンス様式の面影もたたえている。外壁上部の貝殻模様は、この教会にエキゾチックな雰囲気をもたらしている。14世紀からこの教会には、歴代のモスクワ公、後にロシア皇帝の遺体安置所となっていて、ピョートル大帝が首都をサンクト・ペテルブルグに移すまでの間の皇族たち、全部で48の棺が堂内に所狭しと並べられている。*1
堂内は見学可能だが写真撮影は不可。







ブラゴヴェシチェンスキー聖堂
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イワン大帝の命により、1484年~1489年にモスクワとプスコーフの名匠たちによって建てられた。グラノヴィータヤ宮殿に隣接し、皇帝自身の礼拝に使われた。この教会は、イタリア人の手によるクレムリンのほかの教会に比べ、純ロシア的な色合いが強いとされる。1547年に火災に見舞われたが、イワン雷帝によって修復されている。このとき拡張された部分が元の教会を取り巻くポーチで、イワン雷帝のポーチと呼ばれている。*1 
2番目の画像に写っているのがそのポーチ、かな?








見学メモ

アクセス
地図
赤の広場の記事、見学メモ参照。

普段の見学
クレムリンへの入場に関しては、クレムリンの塀、塔、宮殿などに関する記事の見学メモを参照。
訪れたのは2011年7月。このときはアルハンゲルスキー聖堂のみ内部に入れた。他の聖堂の内部に他の日であれば入れるのかどうかは不明。

特別公開
情報は見つけられなかった。



*1 ダイアモンド・ビッグ社「地球の歩き方 ロシア 2006~2007年版」
by h9w457y8i | 2011-09-27 08:31 | Comments(0)

Кремль (クレムリ)

15世紀末、レンガ造りの壁と塔が竣工。
寺院は15世紀末から16世紀初めにかけ、竣工。
大宮殿、武器庫などは19世紀中ごろ、竣工。
世界文化遺産 1990年登録。




クレムリンはもともとロシア語で「城」を意味し、正しくは「クレムリ」と発音する。一般的にはモスクワの中心地、モスクワ川そばの小高い丘の上にある、レンガ造りの巨大な壁に囲まれた宮殿や寺院などの一連の施設をさす。言わずと知れた旧ソ連、そして現ロシア連邦の政治、宗教の中心である。
1156年にユーリー・ドルゴルーキーがモスクワ川の左岸の小高い丘に砦(とりで)を築いたのがクレムリンの始まりといわれる。1367年、ドミトリー・ドンスコイがモンゴル軍の襲来に備えて白い石で壁と塔を建てた。さらに、1480年にモンゴルからの独立を達成したイワン3世が、1485年から95年にかけて壁と塔をれんが造にかえ、ウスペンスキー寺院(1475~79)、ブラゴベシチェンスキー寺院(1484~89)、グラナビータヤ宮殿(1487~91)、アルハンゲリスキー寺院(1505~08)、イワン大帝鐘楼(しょうろう)(1505~08)などの建設を始め、この時代に今日のクレムリンの景観がほぼできあがった。18世紀初めにピョートル大帝がペテルブルグ(ソ連時代のレニングラード)をつくり、首都を同地に移したので、皇居としての機能はなくなったが、歴代皇帝の戴冠(たいかん)式はウスペンスキー寺院で行われた。遷都後も元老院の建物(1776~87)、クレムリン大宮殿(1839~49)、武器庫(1844~51)などが建てられた。
1917年11月(露暦では10月)の革命後、モスクワがふたたび首都となり、クレムリンがソ連政治の中心となった。旧元老院の建物に人民委員会議が置かれ、レーニンがそこに住みながら同議長として活躍した。1959年から61年にかけて大会宮殿が建設され、劇、バレエ、音楽会などの会場として利用されている。*1

クレムリンの建物の位置の地図は、こちら



兵器庫前の壁と塔。
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第二次世界大戦における無名戦士の墓。ここでは定時に衛兵の交代が行われ、観光名物となっている。
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クタフィア塔そばの、城壁の中に入るチケット売り場。このようにいつも行列ができているらしい。
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クタフィア塔。ここがクレムリン敷地内への入口のメイン。
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クタフィア塔と長い廊下?で繋がっている、トロイツカヤ塔。たくさんある望楼の中で最も高い。*2
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兵器庫。現在はクレムリン警備隊の兵舎として使われているらしい。観光客は立ち入り禁止。というか、この画像に写っている道路に一歩足を踏み入れただけで、そこここに立っている歩哨に「ピピーッ!」と笛を吹かれてしまう。
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ロシア連邦大統領府。1934年竣工。立ち入りはおろか、画像に写っている道路に立つこともできない。しかし逆に言うと、ここまで建物に接近できることは驚きであった。
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国立クレムリン宮殿。1961年竣工。ソ連時代は「クレムリン大会宮殿」と呼ばれ、共産党大会や国際会議場として使われた。現在は劇、バレエ、音楽会の会場などとして使用される。鉄筋コンクリートとガラスでできた外観はクレムリンの中ではかなり異彩を放っており、この建物だけは世界遺産の指定から外れてしまっている。
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大砲の皇帝。1586年完成。一度も発射されていない。*2
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モスクワ川。
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クレムリン大宮殿。1849年竣工。現在はロシア連邦の国会議場。
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武器庫。19世紀半ばに竣工。現在は歴史博物館となっている。
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ボロヴィツカヤ塔。もうひとつのクレムリンへの入口。
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ボロヴィツカヤ塔からクレムリン大宮殿方面。
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クレムリンの北西部分に広がるアレクサンドロフスキー庭園。
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見学メモ

アクセス
地図
赤の広場へのアクセスに関する記載を参照。

普段の見学
休場日 木曜日。
開場時刻 10:00~17:00(チケットは9:30から販売)
城壁の中に入るには、350ルーブル(記事掲載時、1ルーブル≒2.8円)
武器庫の歴史博物館見学料 700ルーブル(オーディオ・ガイドは別途200ルーブル)
かつての旅行ガイドには、この他に「場内で写真撮影を行う場合は50ルーブルでシールを買い、それを目立つところに貼り付ける必要アリ」という趣旨の記載が見られるが、現在はそれはなくなった。
チケット売り場は記事内、リンク地図に記載。夏の平日の午前11時で、約15分並んだ。
チケット売り場のすぐ隣、クタフィア塔がメインの入場口。ここでセキュリティー・チェックを受ける。大き目のバッグ、バックパックは持ち込み不可、とあるので、そういうものは入場口の地下の手荷物預かり所に荷物を預ける。ただ、今回A4程度の手提げバッグを持って行ったら持ち込み可能だった。一眼レフカメラも持ち込み可。
武器庫内部とmuseum cathedral(?)内部は撮影不可。
城内にはトイレはあるが、食べ物、飲み物の売店、レストラン、カフェはない。ペットボトルに入れた飲み物は持ち込み可能だった。
詳細はクレムリン公式サイト参照。(ロシア語および英語)

特別公開
記事掲載時は見つけられなかった。


*1 Yahoo!百科事典
*2 ダイヤモンド・ビッグ社「地球の歩き方 ロシア」2006~2007年版
by h9w457y8i | 2011-08-06 15:51 | ロシア | Comments(2)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。