【重要文化財|丸沼堰堤】 行き方、見学のしかた (群馬県 片品村)
アクセス 駐車場 イカダ ダム
サイトマップ > 群馬県の国宝・重要文化財 > 丸沼堰堤

1 アクセス詳細案内
1-1 アクセスマップ/span>
1-2 公共交通機関
1-3 駐車場
2 見学のしかた (ダム周辺へのアクセス可否など)
3 訪れた時の様子 (写真)
4 丸沼堰堤の説明
5 問い合わせ
1 【アクセス詳細案内】
1-1 アクセスマップ
丸沼堰堤は、赤マーカー1
大きな地図で見る
1-2 公共交通機関
6/1〜10月下旬の土日のみ、奥日光湯元温泉にあるバス停(地図・黒7)から運行される、関越交通の路線バスに乗車。
「丸沼ダム」バス停(地図・黒2)からダムの入口まで、徒歩1分。
時刻、料金などの詳細は、関越交通公式HP内、片品尾瀬・日光白根山ロープウェイ・湯元温泉方面バス案内ページを参照してください。
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1-3 駐車場
12月下旬〜4月下旬は、アクセスのための国道120号が積雪のため閉鎖されます。
この期間は全く接近できません。
堰堤(ダム)の近くに、見学者用の駐車場があります。
収容台数は、5〜6台です。
地図・黒3
5月でも、こんな感じで雪が残っています。
▲ 目次へ
2 【見学のしかた】
丸沼堰堤へのアクセスには国道120号線を使いますが、かなりの山の中であり、冬季(12月下旬〜4月下旬)は積雪のため、国道が閉鎖されます。よって、この期間中は見学できません。
上記期間以外であれば、ダムへの接近は、ある程度可能です。
ただし、上端部分に立ち入ることはできません。
上端部の見学については、下の「訪れた時の様子」を参照してください。
ダムの下端は丸沼の隣の大尻沼の中ですが、そのすぐ近くまでハイキング・コースがあり、そこから間近でダムを見上げることができます。
また、ダム下端部分には沼を渡る渡りイカダが設けられており、自由に乗って、対岸に行くことができます。
地図・黒3の駐車場から、かなり急で細い山道ではありますが、イカダのあるダム下流側にアクセスできます。
ただし、おそらく6月上旬ごろまではハイキング・コースに雪が残っており、ダム下端に接近するのはかなり困難です。
詳細は、下の「訪れた時の様子」を参照してください。
▲ 目次へ
3 【訪れた時の様子】
全ての画像はクリックまたはタップで拡大できます。
画像表示から記事に戻るには、画像をクリックするか、ブラウザバックしてください。
5月。クルマで奥日光にやって来ました。
1 戦場ヶ原。道路は国道120号です。

2

国道を更に山奥に入って行きます。
3 戦場ヶ原から20km。国道沿いに、小さく「丸沼ダム」の案内がありました。
4 案内看板を右(北)に入ると、すぐに見学者用の駐車場があります。
5 駐車場から、眼下に丸沼が見えます。堰堤のダム湖ですね。
6 駐車場から更に丸沼の方に下る道があります。車両は入れませんが、徒歩では問題ありません。
7 上の画像、左側に、舗装されていない細い山道があり、その入り口に立っていた看板。
丸沼遊歩道をダムの下流側に降りていくと、ダム全体を間近で見上げることができる渡しイカダに乗れることは知っていたので、そっちに進んでみましたが。
8 歩き始めてすぐに、行く手を雪に塞がれてしまいました。え、5月なのに...?
9 せっかくはるばるここまで来たのだから、なんとか下まで行けないか、と思いましたが。斜面は非常に急で、雪で滑ったら、最悪、一番下まで滑り落ちてしまいそうだったので、泣く泣く諦めました。標高約1,500mの山奥を舐めてはいけないってことですね。
そこで、一旦駐車場に戻り、そこからダム上端部へ向かう道を進みました。
10 駐車場から坂を50メートルほど下ると、こんな感じでダムの上端部と、その脇の広場が現れます。
11 ダム上端部には入れません。扉は施錠されていました。

12 ダムの下流側。
13 扉の隙間から。

14 ダムの上流側。
15 広場から、ダム湖である丸沼。
16 広場には、重要文化財の記念碑や幾つかの案内看板がありました。
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18 拡大版はこちらへ。

そう言えば、駐車場にあった案内看板の地図だと、ダム下流側にアクセスできる遊歩道が別にあるような感じだったので、その遊歩道の起点、大尻沼の取水口近くに行ってみることにしました。
19 この看板。

画像はありませんが、大尻沼の取水口近くの国道沿いに、クルマが1〜2台なんとか停められそうな路肩(地図・黒4)があったので、そこにクルマを停めて。
20 そこから数10mのところに、取水堰へのアクセス道がありました。
21 大尻沼一之瀬発電所の取水堰。上端部が遊歩道になっています。
22 上端部から大尻沼側。
23 取水堰の大尻沼側。
24 取水堰近くの大尻沼。沼(というか湖)は大きく曲がっていて、ここからは丸沼堰堤は全く見えません。

25 大尻沼の北側の湖畔に、細い道が続いていました。途中、結構起伏があります。
26 道はかなり細く、崩れかけて、危ないなーと思うところも。
27 道が完全に雪に埋もれているところも。斜面になっていて、滑りそうになりながら雪の上を歩きました。正直、危ないです。
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29 ハイキングコースに入ってから30分。足元は悪く、起伏の多い道を歩き続けると、湖畔の広場に出ました。
30 広場から、遠目ではありますが、堰堤全体を見渡すことができました。地図・黒6。
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33-2000

ここから更に同じくらいの距離を歩くと、丸沼堰堤の真下まで行けそうではありましたが。帰りのことを考えると、合計2時間近く、あの凸凹で起伏が多く滑りやすい細い道を歩くのは体力的に無理、と判断して、ここで引き返しました。
無念...。
▲ 目次へ
4 【丸沼堰堤の説明】
群馬県北部、尾瀬や日光に近い山中にある丸沼、菅沼、大尻沼の三つの湖は、日光白根山の火山噴火に伴う溶岩流が大滝川を堰き止めたことにより生まれた、典型的な「せき止め湖」です。丸沼堰堤(えんてい。ダムのこと)は、標高約1,400mの高地である大尻沼と丸沼の間に建設され、バットレス構造と呼ばれる特殊な構造を持っています。幅約88m、高さは約32mもあり、水圧を支える遮蔽壁を、鉄筋コンクリート造りの柱と梁(はり)を格子状に組み合わせた「バットレス」と呼ばれる構造物で補強するこの方式は、全体がコンクリートの塊である重力式コンクリートダムなどと比較すると、建設当時は安価に造ることができましたが、複雑な構造となっています。
このダムの耐震設計には、当時日本の耐震設計に関する第一人者であった内務省土木試験所長の物部長穂が提唱する耐震構造理論が適用され、丸沼ダムはこの理論を適用した初のバットレスダムと言われています。
ダムの工事は昭和3年(1928年)に当時の上毛電力により着工され、昭和6年(1931年)に完成しました。国内には他に7つのバットレスダムがありますが、それらと比較しても、高さ、ダム湖の面積、総貯水容量などが群を抜いて大きく、しかもコンピューターなどがない昭和初期に、このような複雑な構造のダムを設計・施工したことについて、高く評価されています。
バットレスダムの希少性、ダムの規模の大きさ、先進的な理論による設計、丁寧で高度な施工技術など、丸沼堰堤は我が国屈指の近代化土木遺産であると言えます。これらのことが高く評価され、平成15年(2003年)に、発電用ダムとしては初めて、国の重要文化財に指定されました。
ダム上端近くの広場にある案内看板。



駐車場にある案内看板。

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5【問い合わせ】
片品村(かたしなむら)役場
電話番号 0278-58-2111
片品村観光協会
電話番号 0278-58-3222
東京電力リニューアルパワー
電話番号 03-6373-1111
このページは、以下の記載などを参照しています。
片品村役場公式サイト内、丸沼堰堤案内ページ
土木学会公式サイト
文化庁 国指定文化財等データベース
現地案内看板
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by h9w457y8i
| 2025-05-07 05:57
| 群馬
|
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【重要文化財|旧唐人屋敷門】 行き方、見学のしかた (長崎県 長崎市)
サイトマップ > 長崎県の国宝・重要文化財 > 旧唐人屋敷門

1 アクセス詳細案内
1-1 アクセスマップ
1-2 公共交通機関
1-3 駐車場
2 見学のしかた (見学可能時間、拝観料など)
3 訪れた時の様子 (写真)
4 旧唐人屋敷門の説明
5 問い合わせ
1 【アクセス詳細案内】
1-1 アクセスマップ
旧唐人屋敷門は、赤マーカー1
大きい地図を見たい場合は、地図右上のアイコンをタップ
1-2 公共交通機関
門は、興福寺の境内にあります。
路面電車 市役所 駅から興福寺入口(上の地図・黒1)まで、徒歩約6分(400m)。
▲ 目次へ
1-3 駐車場
門は、興福寺の境内にあります。
興福寺入口に3台分の駐車スペースがあり、参拝者も利用可能です。地図・黒1

ただ、住職など関係者が使用されている場合が多いので、基本的には公共交通機関でお越しください、とのことでした。
半径300m以内に、複数の時間貸駐車場があります。
NAVITIME 駐車場検索ページにて、「東明山興福寺」で検索してください。
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2 【見学のしかた】
重要文化財の門は、興福寺の境内にあります。
一般公開されており、自由に見学ができます。
ただし、門は普段は閉じられており、通り抜けることはできません。
興福寺の拝観について 2025.3
[拝観時間] 7:00〜17:00
[拝観料] 300円
[拝観休止日] 原則なし
境内の入口は、お寺の山門(地図・黒1付近)です。
▲ 目次へ
3 【訪れた時の様子】
全ての画像はクリックまたはタップで拡大できます。
画像表示から記事に戻るには、画像をクリックするか、ブラウザバックしてください。
1 長崎市街の東部、山裾にある興福寺にやって来ました。この門は山門で、境内への入口です。

2 周囲は静かな住宅地と、お寺が立ち並んでいます。

3 山門の扁額。興福寺の山号「東明山」と描かれています。

4 山門をくぐると、参拝受付があります。そこで参拝料を払います。

5 明治時代に再建された本堂(大雄宝殿とも呼ばれます)は、国の重要文化財に指定されています。
地図・赤2

6 興福寺は、華僑の人々の菩提寺で、本殿は純中国風の建物です。

7 本殿に向かって左手に、小さな中国風の門が建っています。
これが、旧唐人屋敷の門です。

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10-1980

11 裏側は柵と植栽で囲まれていて、これ以上接近できませんでした。

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13 興福寺の境内には、ところどころ、南国を感じさせるソテツの木が。

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4 【旧唐人屋敷門の説明】
江戸時代前期の1689年、幕府は中国から渡来した人々が自由に民宿することを禁止し、彼らを収容するための居留地、すなわち唐人屋敷(とうじんやしき)を、十善寺郷御薬園(現在の長崎市館内町。興福寺から南西に約1km)に建設しました。密貿易を防止するための措置とも言われましたが、外出は比較的自由に許可されたそうです。約3万㎡の敷地には、住宅、店舗、祠堂(しどう)その他の建物が軒を連ね、一市街地を形成していました。1784年の大火でほとんどの建物が焼けてしまい、それ以降は、中国人が自前で敷地内に住宅などを建てることが許可されました。この門は、その後に建てられた、一般住宅用の門と推測されています。使われている材木は中国特産の広葉杉(こうようざん)で、建築様式も中国特有のものです。昭和35年(1960年)、保存のために長崎市が持ち主から買い受け、現在の興福寺境内に移されました。そして翌・昭和36年、長崎の歴史を示す異色の建築物としての価値が認められ、国の重要文化財となりました。

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5【問い合わせ】
興福寺
電話番号 095-822-1076
または、
長崎市 文化観光部 文化財課
電話番号 095-829-1193
このページは、以下の記載などを参照しています。
長崎市 公式サイト
長崎県 公式サイト
文化庁 国指定文化財等データベース
興福寺 公式HP
現地案内看板
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by h9w457y8i
| 2025-05-03 07:30
| 長崎
|
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【重要文化財|興福寺 本堂(大雄宝殿)】 行き方、見学のしかた (長崎県 長崎市)
アクセス 駐車場
サイトマップ > 長崎県の国宝・重要文化財 > 興福寺本堂

1 アクセス詳細案内
1-1 アクセスマップ
1-2 公共交通機関
1-3 駐車場
2 見学のしかた (拝観時間、拝観料など)
3 訪れた時の様子 (写真)
4 興福寺本堂の説明
5 問い合わせ
1 【アクセス詳細案内】
1-1 アクセスマップ
興福寺本堂は、赤マーカー2
大きい地図で見たい場合は、地図右上のアイコンをタップ
1-2 公共交通機関
路面電車 市役所 駅から興福寺入口(上の地図・黒1)まで、徒歩約6分(400m)。
1-3 駐車場
興福寺入口に3台分の駐車スペースがあり、参拝者も利用可能です。地図・黒1

ただ、住職など関係者が使用されている場合が多いので、基本的には公共交通機関でお越しください、とのことでした。
半径300m以内に、複数の時間貸駐車場があります。
NAVITIME 駐車場検索ページにて、「東明山興福寺」で検索してください。
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2 【見学のしかた】
興福寺の本堂(大雄宝殿)は、外観、内部ともに一般公開されており、自由に拝観・見学ができます。
堂内の写真・映像撮影はできません。
2025.3
[拝観時間] 7:00〜17:00
[拝観料] 300円
[拝観休止日] 原則なし
境内の入口は、お寺の山門(地図・黒1付近)です。
▲ 目次へ
3 【訪れた時の様子】
全ての画像はクリックまたはタップで拡大できます。
画像表示から記事に戻るには、画像をクリックするか、ブラウザバックしてください。
1 長崎市街の東部、山裾にある興福寺にやって来ました。この門は山門で、境内への入口です。

2 周囲は静かな住宅地と、お寺が立ち並んでいます。

3 山門の扁額。興福寺の山号「東明山」と描かれています。

4 山門をくぐると、参拝受付があります。そこで参拝料を払います。

5 本堂(大雄宝殿)。地図・赤2

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9 和風建築にはない軒下の構造になっています。

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16 本堂の横にある三江会所門。三江(江南・浙江・江西)出身の中国人にとって、興福寺は創建以来の菩提寺であり、同郷会館でもありました。これは、明治13年に集会所として建てられた三江会所の門です。地図・黒2

17 中島聖堂遺構大学門。地図・黒3

18 鐘鼓楼。地図・黒4

19 媽祖堂。海の守護神を祀っています。地図・黒5

20 境内には、江戸時代の唐人が住んでいた屋敷の門が残っています。「旧唐人屋敷門」として、国の重要文化財に指定されています。地図・赤1

21 食事時を僧侶に知らせるための魚の板。黄檗宗の特徴です。

22 境内にはソテツの木が。南国の雰囲気が漂います。

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4 【興福寺の説明】
興福寺(こうふくじ)は、江戸時代初期の1620年に創建された、日本で最初の唐寺(とうでら)です。当時、キリシタン禁教令下の長崎では中国人の渡来が多く、彼らは自分たちがキリスト教徒ではないという証明と、海の守護神「媽祖(まそ)」を祀ることを目的に唐寺を建立し、菩提寺としました。長崎には興福寺以外にも、崇福寺などの唐寺が、華僑の出身地別に存在します。1654年には、新しい禅宗の日本への伝来を熱望し、福建省・黄檗山万福寺(おうばくさんまんぷくじ)の隠元禅師を招いて住職としました。これが、日本における黄檗宗の起源となっています。
中国の寺院で本堂に相当するのが大雄宝殿(だいおうほうでん)で、「大雄」は釈迦を意味しています。最初の大雄宝殿は1632年に建立されましたが、その後火災や暴風雨で何度か破壊され、現在の大雄宝殿は、明治16年(1883年)に再建されたものです。中国人大工による純粋な中国建築であり、巧みで緻密な彫刻、華麗な彩色、氷裂式(ひょうれつしき)と呼ばれる組子の丸窓が特徴です。
興福寺本堂(大雄宝殿)は、昭和25年(1950年)に国の重要文化財に指定されています。


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5【問い合わせ】
興福寺へ。
電話番号 095-822-1076
このページは、以下の記載などを参照しています。
興福寺 公式HP
ながさき旅ネット 公式サイト
文化庁 国指定文化財等データベース
現地配布パンフレット
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by h9w457y8i
| 2025-04-30 09:00
| 長崎
|
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【重要文化財|幡頭神社】 行き方、見学のしかた (愛知県 西尾市)
アクセス 駐車場
サイトマップ > 愛知県の国宝・重要文化財 > 幡頭神社

いずれも、国指定重要文化財
1 アクセス詳細案内
1-1 アクセスマップ
1-2 公共交通機関
1-3 タクシー
1-4 駐車場
2 見学のしかた (拝観時間、見学の可否など)
3 訪れた時の様子 (写真)
3-1 本殿
3-2 境内社 熊野社本殿
3-3 境内社 神明社本殿
4 幡頭神社とその文化財の説明
5 問い合わせ
1 【アクセス詳細案内】
1-1 アクセスマップ
幡頭神社の国指定重要文化財建造物は、赤マーカー1〜3
大きい地図で見たい時は、地図右上のアイコンをタップ。
1-2 公共交通機関
実質的に利用可能な公共交通機関はありません。
強いて言えば、名鉄 吉良吉田駅から、徒歩3.4km。
▲ 目次へ
1-3 タクシー
名鉄 吉良吉田(きらよしだ)駅前に、タクシー乗り場があります。
幡頭神社の参道入口(上の地図・黒2)まで、最短3.2km。1,500円程度と思われます。
吉良吉田駅は小さな駅なので、タクシーが常駐していない可能性があります。
幡頭神社がある西尾市は、タクシー配車アプリ GO の対応エリアです。
(GOを使った場合、別途手数料などがかかります)
▲ 目次へ
1-4 駐車場
参拝者用の駐車場はないと思われます。
ただ、すぐ近くの恵比寿海水浴場の大型駐車場を利用できます。
恵比寿海水浴場 駐車場入口。地図・黒1


海水浴のシーズンは、1日830円。それ以外の時期は無料です。
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2 【見学のしかた】
幡頭神社の境内は普段は無人で、いつでも自由に入ることができ、三棟の国指定重要文化財建造物は、いずれも間近で自由に見学ができます。
拝観料は無料です。
お祭りや催しについての記述は、見つけられませんでした。2025.4
▲ 目次へ
3 【訪れた時の様子】
全ての画像はクリックまたはタップで拡大できます。
画像表示から記事に戻るには、画像をクリックするか、ブラウザバックしてください。
1 愛知県南部、三河湾に面した西尾市吉良町にやってきました。

2 砂浜が広がります。

3 海水浴場の駐車場(地図・黒1)にクルマを停め。

4 参道入口。地図・黒2
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6 階段を登っていくと、一の鳥居が見えてきます。地図・黒3

7 一の鳥居を抜けると、その奥に、二の鳥居。
8 参道脇に、立派な椿の木が。
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10 二の鳥居の先は、平らな境内で、奥に拝殿が見えます。

11 振り返ると、海が望めました。

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13 拝殿。こちらは国指定文化財ではありません。
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16 拝殿の横から、境内。
17 社務所兼集会所。立派な建物ですが、訪れた時は無人でした。
18 拝殿の裏に周ると、国の重要文化財に指定された三つの建物が並んでいます。
手前から、境内社の熊野社本殿、幡頭神社本殿、境内社神明社(しんめいしゃ)本殿。

3-1 本殿
国指定重要文化財
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23 虹梁(こうりょう)は直線的で、彫られている絵柄は控えめです。

24 正面中央、軒下の蟇股(かえるまた)。植物の彫刻が美しいです。

25 社殿の側面。

26 屋根が大きく反り返っているのが特徴です。

3-2 境内社 熊野社 本殿 けいだいしゃ くまのしゃ ほんでん
国指定重要文化財
27 入母屋造(いりもやづくり)。部材の墨書きから、江戸時代前期の1641年建立であることが明らかになっています。

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29 屋根は、、本殿と同じ檜皮葺(ひわだぶき)です。
3-3 境内社 神明社 本殿 けいだいしゃ しんめいしゃ ほんでん
国指定重要文化財
30 三間社 見世棚造(みせだなづくり)で、熊野社と同時期の江戸時代前期ごろの建立とされています。
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33 こちらの屋根も檜皮葺です。
34 拝殿の西側にある、稲荷社。

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4 【幡頭神社と境内文化財の説明】
三河湾を一望できる岬の先端に鎮座する幡頭神社(はずじんじゃ)は、飛鳥時代末期の702年の創建と伝えられ、平安時代初期に成立した延喜式(えんぎしき)にも記される古い神社です。祭神は建稲種命(たけいなだねのみこと)で、日本武尊(やまとたける)の東方征伐に従った建稲種命が駿河沖で遭難し、遺骸が宮崎海岸に漂着。当時の村人がその地に祀ったことが始まりと伝えられています。
三棟横並びに並んだ社殿のうち、中央の本殿は桃山時代の様式を伝える安土桃山時代の1580年の建築です。三間社流造(さんげんしゃ ながれづくり)で、雄健な曲線を用いた絵様や素朴な蟇股(かえるまた)の形、大きく反りかえった檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の美しいラインが特徴です。 両側の神明社(しんめいしゃ)、熊野社(くまのしゃ)も同時期の建築と考えられます。
幡頭神社本殿は、大正10年(1921年)に国の特別保護建造物に指定されたのち、戦後に改めて重要文化財に指定されました。その両側の境内社も、異なる形式の三社殿が並列する独特の景観を伝え、歴史的価値が高いことから、令和4年(2022年)に国の重要文化財に追加指定されました。


▲ 目次へ
5【問い合わせ】
西尾市観光協会
電話番号 0563-57-7882
文化財としての問い合わせ
西尾市教育委員会事務局 文化財課
電話番号 0563-56-2459
問い合わせフォーム
(幡頭神社の公式HPはありません。2025.4)
このページは、以下の記載などを参照しています。
西尾市観光協会 公式サイト
西尾市 公式サイト
文化庁 国指定文化財等データベース
現地案内看板
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by h9w457y8i
| 2025-04-25 22:00
| 愛知
|
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【国登録有形文化財|国立天文台 三鷹キャンパス】 建物の画像、説明 その2 (東京都 三鷹市)
サイトマップ
> 東京都の国登録有形文化財
> 国立天文台三鷹キャンパス アクセス、見学情報
> 大赤道儀室・旧図庫および倉庫・レプソルド子午儀室・ゴーチェ子午環室・第一子午線標室・第二子午線標室
1 大赤道儀室
2 旧図庫および倉庫
3 レプソルド子午儀室
4 ゴーチェ子午環室
5 第一子午線標室
6 第二子午線標室
表門、門衛所、第一赤道儀室、太陽分光写真儀室(アインシュタイン塔)の写真、解説ページはこちら。
国立天文台 三鷹キャンパスへのアクセス、見学のしかた、天文台全体の解説などはこちら。
国立天文台三鷹キャンパス内の国登録有形文化財建造物は、赤マーカー
大きい地図で見たい場合は、地図右上のアイコンをタップ
1 大赤道儀室 国登録有形文化財 地図・赤5
赤道儀(せきどうぎ)とは、地球の自転に合わせて動く星や太陽を追尾する、望遠鏡の台のことです。設計は東京帝国大学営繕課。大正15年(1926年)に竣工しました。現在は天文台歴史館として使われています。地面からの高さは19.5m、ドーム直径は15mもある、巨大な建築物です。建設当時、この巨大な半球ドームを作る技術が建築業者にはなく、船底を作る技術を持った造船技師の力を借りて作られました。建物の外壁には、11〜12世紀のヨーロッパ・ロマネスク様式の建築に多く見られるロンバルト帯と呼ばれる小さなアーチを繰り返す装飾がつけられていて、ヨーロッパ歴史主義の影響を受けた明治建築に近い特徴を持っています。
2階にある65cm屈折望遠鏡は、屈折望遠鏡としては日本最大の口径を誇っており、主に、星の位置測定を行なっていました。1998年3月で研究観測から引退しましたが、現在でも観測が可能な状態を保っています。観測床はエレベーター式に上下し、望遠鏡がどんな向きになっていても、楽な姿勢で望遠鏡を覗くことができるようになっています。なお、現在の床は固定されており、動きません。
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2 旧図庫および倉庫 国登録有形文化財 地図・赤6
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3 レプソルド子午儀室 国登録有形文化財 地図・赤7
大正14年(1925年)竣工。鉄筋コンクリート造。当時流行していた新しい造形芸術運動であるセセッションの流れを汲んでおり、直線模様が柱の頭部や入口のひさし部分に使われており、建物にアクセントを与えています。建物内部は現在「子午儀資料館」となっており、入口から見学することができる。観測時には、鉄骨造りの屋根が中央から左右に分かれて開閉する仕組みになっている。
なお子午儀とは、経度や時刻を決めるため、子午線上を通過する天体を観測する装置のことです。子午儀資料館の中央に設置されたレプソルド子午儀は1880年ドイツ製で、海軍省海軍観象台が購入した本格的な天体観測装置です。天文台が港区麻布にあった頃は、時刻の決定と経度測量に使われていました。三鷹に移されてからのレプソルド子午儀は、月、惑星、主要な小惑星の赤経(地球の重心を原点、自転軸を南北とする仮想の球(天球)の経度)の決定に使用されました。昭和12年(1937年)以降は主に恒星の赤経観測に使用され、昭和24年(1949年)に日本で初めての本格的観測星表である「三鷹黄道帯星表」が出版。昭和37年(1962年)には「三鷹赤道帯星表」も出版されました。レプソルド子午儀は130年以上の歴史を持った基本的な天文観測装置として、日本の天文学史上、とても貴重な望遠鏡です。この点が評価され、このレプソルド子午儀は、平成23年(2011年)に国の重要文化財に指定されています。
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4 ゴーチェ子午環室 国登録有形文化財 地図・赤8
大正13年(1924年)竣工。半円形のドームに、出っ張った入口の屋根が台形、というユニークなデザインです。基礎と側壁は鉄筋コンクリート造、ドーム屋根は金属板葺きの鉄骨造。天体観測時には屋根は左右にスライドして開く仕組みで、屋根開閉の機構は今もそのまま残されています。
内部中央に据えられたゴーチェ子午環はフランス製。明治37年(1904年)に導入されました。当時天文台のあった麻布で試験的に使用され、三鷹に移転後、主要装置として本格稼働しましした。なお子午環とは、子午線(真北、天頂、真南を結んだ天空上の線)上の天体の精密位置を観測するための望遠鏡で、天体位置観測には不可欠な存在でした。そのため子午環の基礎は建物から独立し、基礎周囲には砂を入れ、建物の振動が伝わりにくいように工夫されています。また、子午環は南北方向でのみ回転する仕組みで、軸線を正確に捉える必要があります。そのため子午環からそれぞれ南北100mの位置に、第一および第二子午線標室(ともに登録有形文化財だが非公開)を設置し、軸線の制度を確保していました。長期にわたって眼視による観測を行ってきましたが、のちにCCDカメラ(デジタルカメラ)を使った精密な観測も行われるようになり、現在では、大気の揺らぎの影響を受けない衛星を使った位置観測が一般的となり、ほぼ使われていないそうです。
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5 第一子午線標室 国登録有形文化財 地図・赤9
非公開。建物は藪に覆われており、接近することもできません。
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6 第一子午線標室 国登録有形文化財 地図・赤10
非公開。
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88 天文機器資料館。

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国立天文台内の他の4つの国登録有形文化財(表門、門衛所、第一赤道儀室、太陽分光写真儀室)の写真、解説は、こちらのページへ。
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by h9w457y8i
| 2025-04-22 06:26
| 東京
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