中城城跡

なかぐすくじょうあと

14世紀中ごろ(室町時代)、築城。
世界文化遺産 2000年登録。
国指定史跡 昭和47年(1972年)指定。




首里城を中心とした琉球王族を守るための、北の前線の城のひとつ。王族側の座喜味城按司(城主)であり、また築城家としても名高い護佐丸(ごさまる)が、1440年ごろから按司として住んでいた。王族に最後まで抵抗した勝連城の按司、阿麻和利(あまわり)に急襲されたこともあった。*1
その他、詳しい解説、城跡マップなどの情報は、中城城跡公式サイトに記載されている。


b0212342_10415220.jpg駐車場から歩いてすぐ、
城跡の入口にある管理事務所。
ここで入場料を支払う。

b0212342_104453.jpg梅?の花が咲く道を登っていく。
訪れたのは2月中旬。



城跡の最も東に位置する場所。見える石垣は、三の郭の城壁。
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城跡を南西方向から見た模型。
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こちらは西方向から。
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石のアーチ門は、裏門。ペリー探検隊一行がエジプト式と評した、精巧なアーチ門。*1
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北の郭。
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「三の郭」と「二の郭」の間の城壁。
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b0212342_1058952.jpg城跡には、さまざまな亜熱帯性の植物が生い茂っている。
本土の城跡とはかなり趣が異なる。

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「二の郭」より、「一の郭」へ通じるアーチ門。
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城跡の中で最も高い位置にある、「一の郭」。中城城で最も広い。かつては正殿があった。
後に間切番所が建てられ、廃藩置県後は中城村役場に使用されていたが、沖縄戦で焼失した。*1
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「一の郭」から南、中城湾を望む。
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「一の郭」北側城壁から西方向。
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「一の郭」の西側に接する、「南の郭」
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「南の郭」には、首里の王を拝む首里遙拝所がある。*1
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「南の郭」と「一の郭」を通じるアーチ門。
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b0212342_11125011.jpg南の郭は、修復工事中だった。


b0212342_11134689.jpg西の郭。
兵馬の訓練をしたといわれている。長さが120mある。*1


ウフガー(大井戸)。城内に水を確保するための施設。急な石段を降りていく。かなり薄暗く、ちょっとコワイ。
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見学メモ
アクセス
地図
中城城跡公式サイト内、案内ページ参照。
<バス>
沖縄本島内の鉄道は、那覇市内のごく一部を走るモノレール「ゆいレール」1本のみであり、それ以外の公共交通機関とはすなわち、路線バスとなる。沖縄本島ではバスの路線網が全島をカバーしており、那覇市街中心部に近い「那覇バスターミナル」から、乗り継ぎも含めるとほぼ全域に行くことができる。ただし遠方へは1時間以上かかる場合も珍しくない。路線バスは琉球バス交通沖縄バス東陽バス那覇バスの4社が主に運行しており、路線の系統番号は全社共通となっている。こちらのサイトだと全ての運行会社の全ての路線が非常に見やすく掲載されており、時刻表、料金も見られてとても参考になる。ただし公式サイトではないので、最新の情報に関しては各運行会社に問い合わせるのがベターだろう。
中城城跡に行く場合のバスの路線などは、上記リンクの公式サイト参照。
<クルマ>
沖縄は圧倒的に車社会であり、ハッキリ言って那覇市の市街地や首里地区以外を訪問するのなら、クルマのほうが断然便利である。レンタカー料金も、沖縄地方のみで営業するローカルな会社なら、タクシーの運転手さんが「あんなに安いと我々も商売上がったりです~」とこぼすほど格安な会社、プランがある。具体的な社名や料金の記述は差し控えるが、「沖縄 レンタカー」で検索すれば容易に見つかる。格安とはいえ、自分が今まで利用した会社のクルマ・サービスは十分満足のいくものだった。沖縄本島ドライブの注意点は、自分の実感としては、1、那覇市街での朝と夕方のラッシュがひどい。2、時刻によって道路の中心線が移動、つまり車線が増減する道がところどころにあり、初めてだと結構とまどう。というところか。いずれもレンタカー会社で説明してくれる。
中城城跡には付属の無料駐車場があり、50台分のスペースあり。特別なイベントでもない限り、満車になることはないだろう。

普段の見学
年中無休。見学は有料。料金、開城時間などは、公式サイト案内ページを参照。

特別公開
特になし。

問い合わせ
中城城跡共同管理協議会へ。


*1 中城城跡公式サイト
# by h9w457y8i | 2011-06-30 11:34 | Comments(0)

勝連城跡

かつれんじょうあと

13~15世紀中頃、城としての機能あり。
世界文化遺産 2000年登録。
国指定史跡*1 昭和47年(1972年)指定。




首里を中心とする琉球王国に最後まで抵抗した有力者の住んでいた城。座喜味城を築いた護佐丸を倒し、首里に攻め入ったが敗れ、1458年に廃城となった。その後も何らかの形で16世紀まで使用されていた。*2

勝連城の歴史、関わりの深い人物などについての解説は、勝連城跡公式サイト、案内ページ参照。かなり詳細な記載がある。




勝連城前の駐車場より。
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b0212342_14224222.jpg世界遺産に登録されたことを記念する
現地案内看板。

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三の曲輪(くるわ)への階段。雨で滑りやすかった。
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三の曲輪に到着。
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「肝高の御嶽(チムタカヌウタキ)」                  「ウシヌジガマ」 ウシヌジ=伝説では、
城が滅んでからは祭祀所として使われた。             敵に攻められたときに身を隠す洞穴。   
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b0212342_1463391.jpgウシヌジガマ。

b0212342_14111922.jpg眼下に広がる、うるま市・与那城地区。

b0212342_1424493.jpg三の曲輪にある、「ウタミシガー」。ガーとは、井戸のこと。



そして、さらに一の曲輪に登る。
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雨が時折、横殴りに吹きつけていた。すでに安物のビニール傘は吹き飛び、非常に滑りやすい石の階段を、濡れながらゆっくりと登る。
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一の曲輪。
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一の曲輪から、三の曲輪と建物の基礎が残っている二の曲輪を見下ろす。
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見学メモ

アクセス
<バス>
沖縄本島内の鉄道は、那覇市内のごく一部を走るモノレール「ゆいレール」1本のみであり、それ以外の公共交通機関とはすなわち、路線バスとなる。沖縄本島ではバスの路線網が全島をカバーしており、那覇市街中心部に近い「那覇バスターミナル」から、乗り継ぎも含めるとほぼ全域に行くことができる。ただし遠方へは1時間以上かかる場合も珍しくない。路線バスは琉球バス交通,沖縄バス,東陽バス,那覇バスの4社が主に運行しており、路線の系統番号は全社共通となっている。運行会社公式サイトでは、自分が調べた範囲ではなぜか路線図、時刻表、料金の検索システムは充実していないが、こちらのサイトが非常に見やすく参考になる。ただし公式サイトではないので、最新の情報に関しては各運行会社に問い合わせるのがベターだろう。
最寄の停留所。52系統「勝連団地前」停留所から、徒歩約5分。27,180,227系統「西原」停留所から、徒歩約10分。
<クルマ>
沖縄は圧倒的に車社会であり、ハッキリ言って那覇市の市街地や首里地区以外を訪問するのなら、クルマのほうが断然便利である。レンタカー料金も、沖縄地方のみで営業するローカルな会社なら、タクシーの運転手さんが「あんなに安いと我々も商売上がったりです~」とこぼすほど格安な会社、プランがある。具体的な社名や料金の記述は差し控えるが、「沖縄 レンタカー」で検索すれば容易に見つかる。格安とはいえ、自分が今まで利用した会社のクルマ・サービスは十分満足のいくものだった。沖縄本島ドライブの注意点は、自分の実感としては、1、那覇市街での朝と夕方のラッシュがひどい。2、時刻によって道路の中心線が移動、つまり車線が増減する道がところどころにあり、初めてだと結構とまどう。というところか。いずれもレンタカー会社で説明してくれる。
記事掲載時期のgoogle map航空写真ではまだできていないように見えるが、実際はすぐ近くに数10台は留められる、見学者用無料駐車場がある。

google map

普段の見学
入場を制限するゲートなどはなく、いつでも無料で見学できる。ライトアップはない。*2 すぐそばの見学者用無料駐車場には休憩所があり、遺跡から出土した土器などの展示コーナー、遺跡のビデオ紹介コーナー、トイレなどがある。休憩所の開所時間、休館日などは、下記*2参照。

特別公開
特になし。

問い合わせ
勝連城跡休憩所へ。電話&FAX 098-978-7373


*1 用語解説
*2 勝連城跡公式サイト 
# by h9w457y8i | 2011-06-17 14:55 | Comments(0)

ざきみじょうあと

15世紀初頭、竣工。
国指定史跡*1  昭和47年(1972年)指定。
世界文化遺産  「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つ。平成12年(2000年)登録。




座喜味城は、15世紀の初頭、築城家としても名高い護佐丸(ごさまる)によって築かれたといわれる。護佐丸は当初、座喜味の北東約4kmにある山田グスク(=城)に居城していたが、1416年(1422年の説もあり)中山尚巴志(ちゅうざんしょうはし)の北山城(ほくざんじょう)攻略に参戦、北山攻略後は戦後処理のため、一時北山城にとどまったといわれ、その間に座喜味の地へ築城を開始したという。国王の居城である首里城と緊密な連携を図るという防衛上の必要性から、首里城より眺望可能な丘陵上に立地し、北山が滅びた後も沖縄本島西海岸一帯に残存していた旧北山勢力を監視するという役目を担っていた。
城跡は座喜味部落北側の小高い丘、標高120mあまりの名護層からなる台地を石灰岩の切石積(きりいしづみ)で取り囲んで築かれており、城は二つの郭からなる連郭式(れんかくしき)の形態になっている。城郭内の面積は約4012㎡で、沖縄のグスクとしては中規模である。
この城は一の郭と二の郭に分かれており、アーチの門がそれぞれ一つずつ造られている。
座喜味城跡は1972年の沖縄本土復帰に伴って国の史跡に指定され、翌年の10月から沖縄県で初めて史跡整備事業が文化庁と県の補助を受けて開始された。整備事業に伴う遺構発掘調査がなされた結果出土した遺物は、グスク系土器と須恵器(すえき)が少量、中国製陶磁器や古銭などがあり、これらの出土品中最も多いのは中国製の青磁と陶器で、これらの中国陶磁からみると、15世紀から16世紀までのものが見られることから、座喜味城は護佐丸が1440年に中城城へ移った後も使用されていたと考えられる。
遺構については一の郭の北側に間口約17m、奥行き約15mの石組が発掘され、この中に建物が立っていたと思われる。しかし瓦などは出土しないことから、屋根は板葺きか茅葺の建物であったと推定され、また一の郭内の南側では城壁を作る以前の柱穴(ちゅうけつ)群も発見され、出土遺物からそれほどの時代差はないものの、一の郭内において二つの時期の遺構が確認された。
城跡は第二次世界大戦において、一の郭内に日本軍の高射砲陣地が築かれ、戦後も米軍のレーダー基地が建設されたが、整備の始まった翌年返還された。城壁は1982年に修復を完了した。城壁の上に立つと首里、那覇をはじめ本島西側本部半島や東シナ海に浮かぶ慶良間諸島、久米島、伊江島、伊平屋諸島が眺望できる要害の地にある。*2 *3



b0212342_22151174.jpg城跡入り口の駐車場に面して、読谷村立美術館、歴史民族資料館がある。
今回は時間の関係で立ち寄らなかった。

b0212342_22172964.jpg駐車場内にある、世界遺産登録の記念碑。

b0212342_22184429.jpg駐車場から城跡に向かう階段が始まる。


城跡に向かう途中には、松林。
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b0212342_0584796.jpg松林の途中にあった現地案内看板の、航空写真。下記「見学メモ」内の地図からgoogle earthにいって見ると、結構キレイな画像で見られる。


そして松林を抜けると、石垣が見えてくる。画面がやや暗いが、この日は風が非常に強く、雨も混じっていた。差していた傘はこの辺りですでにブッとんで、使いモノにならなくなった。
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外側の石垣と、二の郭へのアーチ門、「追手門」*2
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b0212342_10384.jpgアーチの中央部には、細いクサビ型の石がはめ込まれている。これは他のグスクでは見られない形。この石門は沖縄では最古のアーチ型の石門。*3


以下、二の郭。
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一の郭へのアーチ門、石造拱門*2。
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b0212342_165182.jpgにょっきりと突き出す石の柱は、1843年(中国年号の道光23年)に設置された座喜味親方の「寄進灯籠」。座喜味親方とは毛恒徳座喜味親方盛普のことで、毛氏は護佐丸の子孫である。座喜味親方が江戸への慶賀使として無事任務を果たしたお礼として城内の神に灯籠を寄進したのだろう。*4

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今回は事前の調査不足で、一の郭にある建物跡は撮影しなかった。





見学メモ
アクセス
地図
<バス>
沖縄本島内の鉄道は、那覇市内のごく一部を走るモノレール「ゆいレール」1本のみであり、それ以外の公共交通機関とはすなわち、路線バスとなる。沖縄本島ではバスの路線網が全島をカバーしており、那覇市街中心部に近い「那覇バスターミナル」から、乗り継ぎも含めるとほぼ全域に行くことができる。ただし遠方へは1時間以上かかる場合も珍しくない。路線バスは琉球バス交通沖縄バス東陽バス那覇バスの4社が主に運行しており、路線の系統番号は全社共通となっている。こちらのサイトだと全ての運行会社の全ての路線が非常に見やすく掲載されており、時刻表、料金も見られてとても参考になる。ただし公式サイトではないので、最新の情報に関しては各運行会社に問い合わせるのがベターだろう。
で、座喜味城跡へ行く場合は、29系統、「座喜味」停留所から徒歩約9分=約600m。「那覇バスターミナル」からの直行便だと約1時間。2~4時間に1本しかない。このようなバスの旅も、沖縄独特の情緒を楽しむのならそれなりにオススメである。一方「那覇バスターミナル」発「読谷バスターミナル」行きの28系統だと、1時間に3~4本運行しており、「高志保入口」停留所から徒歩約19分=約1.5km。
<クルマ>
沖縄は圧倒的に車社会であり、ハッキリ言って那覇市の市街地や首里地区以外を訪問するのなら、クルマのほうが断然便利である。レンタカー料金も、沖縄地方のみで営業するローカルな会社なら、タクシーの運転手さんが「あんなに安いと我々も商売上がったりです~」とこぼすほど格安な会社、プランがある。具体的な社名や料金の記述は差し控えるが、「沖縄 レンタカー」で検索すれば容易に見つかる。格安とはいえ、自分が今まで利用した会社のクルマ・サービスは十分満足のいくものだった。沖縄本島ドライブの注意点は、自分の実感としては、1、那覇市街での朝と夕方のラッシュがひどい。2、時刻によって道路の中心線が移動、つまり車線が増減する道がところどころにあり、初めてだと結構とまどう。というところか。いずれもレンタカー会社で説明してくれる。
で座喜味城跡周辺の駐車場。座喜味城跡入口に20台ほど留められる無料駐車場があり、雰囲気的に満車になることはあんまりなさそう。

普段の見学
見学は常時可能。(現地には時刻によって開閉するようなゲートは見つけられなかったし、開場時間が決まっているという情報も見つけられなかった) 無料。

特別公開
特になし。

問い合わせ
読谷村役場へ。



*1 用語解説
*2 文化庁文化財等データベース 
*3 文部省、沖縄県、読谷村による現地案内看板
*4 読谷村公式サイト、座喜味城跡案内ページ
# by h9w457y8i | 2011-06-13 01:31 | 沖縄 | Comments(0)

しまだい (4棟のよみがなの記載なし)

明治16年(1883年)、竣工。

酒店 : 木造2階建、瓦葺、建築面積80㎡ 
書院(古硯堂): 木造平屋建、瓦葺、建築面積88㎡
巽蔵 : 土蔵造2階建、瓦葺、建築面積44㎡
絲店 : 木造2階建、瓦葺、建築面積113㎡

国登録有形文化財*1 平成16年(2004年)、登録。




京都中心部では珍しい、並木のある大通り、御池通(おいけどおり)に面している。いわいる「町屋」に分類されるが、間口が狭く奥行きが長いウナギの寝床、という町屋の構造的なイメージとは異なり、間口は広い。
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b0212342_7353479.jpg建物の前、御池通にて。
画像の方向は東。




酒店
敷地の南東隅に建ち,東街路側を正面とする。平面は巽蔵を囲むL字型で,総土間とする。1階正面は連子格子を設け,南寄りに入り口を開く。庇上は土壁とし,虫籠窓を開く。御池通に面した妻面は上部白漆喰塗とし,巽蔵と連続する景観を形成している。*2
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書院(古硯堂)
敷地の奥に建ち,絲店と中庭を介して向かい合う。昭和27年に敷地内で移築されている。切妻造,桟瓦葺で,12畳半の主室と,9畳の次の間からなる。天井をやや低めにとり,栂などの良材を用いた質の高い意匠を備え,欄間彫刻などにも特徴がある。*3
撮影時は内部に入れなかったので、画像はない。



巽蔵
御池通に面して建つ土蔵。3間四方の平面で,東と北の酒店側に扉口を開く。外観は腰縦板張,上部は漆喰塗とし,軒まで塗込め,屋根は本瓦葺である。内部は1階・2階とも柱を現し,いずれも一室とする。京都の近代初頭の景観を今日に伝える建築である。*4
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絲店
御池通りに南面して建つ。切妻造,桟瓦葺,平入で,西側を一段高く葺く。正面には庇をかけ,出格子を設ける。庇上の壁面は土壁とし,横長の虫籠窓を設けている。平面ほぼ中央南北に土間を通し,1階はその両脇を広い2室とする。近代初頭京町屋の好例である。*5
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「清酒」という看板がかかっている通り、かつては造り酒屋だったらしい。






見学メモ

アクセス
<鉄道>
京都市営地下鉄烏丸線、および東西線「烏丸御池(からすまおいけ)」駅から、徒歩約1分。
京阪電鉄本線「三条」駅から、徒歩約17分(約1.4km)。
阪急電鉄京都線「烏丸(からすま)」駅から、徒歩約12分(約900m)。
<バス>
京都市街は市営バスと京都バスが網の目のように走っており、鉄道駅が最寄になくてもバスを駆使すれば、少なくとも京都市街地内の移動にはほとんど不都合なし。市バスの路線図 ・ 京都バスの路線図
(乗り放題パスはいろいろな種類がある。市営地下鉄、市バス、京都バスが全て使えるパスもある。詳しくは
京都市交通局案内ページへ)
最寄の停留所は、市バス15,45,51,65系統、および100円循環の「烏丸御池」。あるいは京都バス45,61,62,63,65系統「烏丸御池」。時刻表、料金などは京都市交通局公式ホームページ、もしくは京都バス公式サイトへ。
<クルマ>
半径200mに10程度のコインパーキングあり。詳しくはこちら

google map

普段の見学
外観は見学自由。市街地にあり、建物を遮る塀もない。ただし、書院は中庭にあり外部からは見えない。内部はしばしばギャラリーや集会場としてオープンしているらしいが、常時公開されているわけではない。

特別公開
上記のように内部はしばしばギャラリーや集会場として使用されている。しかし常時一般公開されているわけではない。内部見学ができる日程、スケジュール、頻度に関する情報は見つけられなかったので、いつ内部を見られるかは不明。過去の内部使用に関する情報は以下の通り。
京都大学によるセミナー和のクリスマスフェスタ2010京都木工芸展(京都新聞)

問い合わせ
不明。内部見学の機会については、「嶋臺」で検索して催しをキャッチするしかないと思われ。


*1 用語解説
*2 文化庁文化財等データベース
*3 文化庁文化財等データベース
*4 文化庁文化財等データベース
*5 文化庁文化財等データベース
# by h9w457y8i | 2011-06-11 09:18 | 京都 | Comments(0)

きゅうにっぽんぎんこうきょうとしてん

附(つけたり)*1 : 旧金庫

明治39年(1906年)、竣工。

煉瓦造、建築面積884.4㎡、二階建、一部地下一階、スレート・銅板葺*2、両翼塔屋付、袖塀*1附属

国指定重要文化財  昭和44年(1969年)、指定。




建物の沿革
明治27年(1894年) 日本銀行京都出張所が東洞院通御池上る(東洞院通と御池通の交差点をやや北に行ったとこ
              ろ、という意味)に開設。
明治39年(1906年) 業務拡張に伴い、この地に新築移転。
明治44年(1911年) 出張所から京都支店に名称が変更。
昭和40年(1965年) 日本銀行京都支店が河原町通り二条に移転。
昭和42年(1967年) 建物が財団法人古代学協会の所有となるり、「平安博物館」として使用開始。
昭和44年(1969年) 国の重要文化財に指定。
昭和61年(1986年) 建物が京都市に寄贈、京都府教育委員会文化財保護課により創建当初の姿に修理・復元。
昭和63年(1988年) 京都府京都文化博物館別館として使用開始。*2

外観は三条通に面して左右対称で、赤レンガに白い花崗岩を装飾的に配している。この意匠は19世紀後半のイギリスの建築によく使われた様式である。両翼には塔屋が付き、屋根には通気塔、採光窓などを設けて変化に富む。内部には旧営業室の吹き抜けの大きな空洞があり、カウンターのクスリーンや壁面の装飾、天井などは時代の雰囲気をよく表している。左右の各室は応接室や所長室として使われていた。二階には上等室、大広間が設けられた。この建物の背後には別棟の金庫があり、渡り廊下により繋がっている。金庫棟は煉瓦造、1階建て、桟瓦葺*1である。設計は、明治建築界の帝王と言われ、東京駅などを設計した辰野金吾(1854年~1919年)と、辰野の弟子で各地の銀行建築を手がけた長野宇平治(1867年~1937年)とによる。*2


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旧営業室。大きな吹き抜けとなっている。現在はホールとして使用されている。
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京都文化博物館の本館は鉄筋コンクリートの建物で、この別館のすぐ北側に隣接して建てられている。各種展示のほか、多くのオシャレな京都料理店、雑貨店なども入っていて、昼食時は賑わっていた。
訪れたときは旧金庫が附に指定されているとは知らず、画像はない。旧金庫の画像や建物の間取りなどについては、京都文化博物館公式サイト、建物案内ページ参照。




見学メモ

アクセス
京都文化博物館公式サイト、アクセス案内ページ参照。有料駐車場(36台)あり。京都市街のバスについては、こちらの記事の見学メモが参考になるのではないだろうか。


google map

普段の見学
博物館開館時間内は、内部のホールは無料で一般公開されている。
旧金庫については、そのすぐそばにカフェがあったので外観は開館中は見学自由と思われる。内部に関しては不明。

特別公開
普段公開されない部分が見られる、という特別公開の情報は見つけられなかった。一方1階ホールでは、時折演奏会や講演会などが催されている。詳しくは京都府京都文化博物館公式サイト内、別館ホール案内ページへ。

問い合わせ
京都文化博物館へ。


*1 用語解説
*2 現地案内看板
# by h9w457y8i | 2011-06-09 11:48 | 京都 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。