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サイトマップ茨城県 近代文化遺産シャトーカミヤ旧醸造場施設フォトギャラリー

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文化財分布マップ

by h9w457y8i | 2018-01-04 11:00 | 茨城 | Comments(0)

サイトマップ > 茨城県 近代文化遺産 > シャトーカミヤ旧醸造場施設



アクセス(行き方)

見学のしかた

文化財の説明

管理人のおすすめポイント

フォトギャラリー


国指定重要文化財 シャトーカミヤ旧醸造場施設 事務所



アクセス



スマートフォンの方はこちらのマップ


牛久(うしく)駅 東口から、徒歩約9分。

施設と提携している大型有料駐車場あり。割引あり。
詳細は牛久シャトー公式サイト/アクセス・利用案内へ。

タイムズ牛久中央」と提携。収容台数280台。1時間100円、1日最大300円(平日のみ)、牛久シャトーでの利用金額1,000円以上は2時間、2,000円以上は4時間無料。
駐車場入口のピンポイント案内は、上の埋め込み地図を参照。

重要文化財 発酵室






見学のしかた


開園時間 09:00〜21:00
休園日 年末年始
入園・入館料 無料

「事務所」 現在も施設の事務所として使用されており、内部は非公開。
「発酵室」 神谷傳兵衛記念館として内部を一般公開。10:00〜17:00
「貯蔵庫」 フレンチレストラン「キャノン」として営業中。11:30〜21:00。月曜日定休(例外あり)。ただし、レストランの内装は重要文化財指定から除外されている。←文化庁国指定文化財等データベース

重要文化財 貯蔵庫






施設の説明


オエノンホールディングス株式会社シャトーカミヤ(現・牛久シャトー)旧醸造場施設は、神谷伝兵衛が創設したワイン醸造施設で、現存する事務室、醗酵室、貯蔵庫は明治36年(1903年)9月竣工とみられる。本施設は、明治中期の本格的な煉瓦造ワイン醸造所の主要部がほぼ完存しており、高い歴史的価値がある。とりわけ醗酵室は、各階ごとに配された設備構成等から当時のワイン醸造工程を窺うことが可能であり、産業技術史上も重要である。また事務室は、シャトーを名乗るに相応しい意匠を有し、明治中期の煉瓦造建築の意匠水準を計るうえでも価値が高い。平成20年(2008年)に国の重要文化財に指定された。
文化庁国指定文化財等データベース

牛久シャトー(旧シャトーカミヤ)は、実業家である神谷傳兵衛(かみや でんべえ)が明治36年(1903年)に茨城県牛久市に開設した日本初の本格的ワイン醸造場です。フランスに現存した醸造場をモデルに、ボルドー地方の技術を用いて、葡萄の栽培からワインの醸造・瓶詰めを一貫して行なっていました。現在は、約6万㎡ある敷地内に、当時の建物を活かした記念館やレストランを展開し、ワインの歴史を紹介するとともに“食の楽しさ”を提供しています。
牛久シャトー公式サイト







管理人のおすすめポイント


事務所、発酵室、貯蔵庫のいずれも、非常に良く管理が行き届いています。100年以上経った古いレンガ造りの建物の、長いあいだ風雪に耐えた趣きをしっかり残しつつ、みすぼらしさを全く感じさせない。国内に数ある大型レンガ造文化財の中でも、あそこまでしっかり保存・管理されたものはなかなかないと思います。そしてもっとも興味をそそられたのは、発酵室1Fと地下室の、重厚で暗〜い雰囲気。巨大な発酵用の樽が当時のままずらりと並んでいる様子、特に、見学できる資料館としてはありえない暗さの地下室の怪しさ。あの演出センスは特筆モノです。是非こちらのフォトギャラリーを見ていただきたいと思います。
そして重要文化財の「貯蔵庫」を改装したフレンチレストラン「キャノン」。そこでランチをいただこうと、開店直後、弾む気持ちでドアを開けたのですが、「予約がいっぱいでご案内できません」と丁重に断られました。きっと美味しいんでしょうね...。

発酵室 醸造場地下室

フォトギャラリー

文化財分布マップ


by h9w457y8i | 2018-01-02 09:19 | 茨城 | Comments(0)

サイトマップ神奈川県 江戸時代前の文化財仏法寺跡

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仏法寺跡(ぶっぽうじ あと)は、神奈川県南東部、鎌倉市中央部の西側山稜部に所在する、西大寺流律宗極楽寺の13世紀後半から17世紀中頃の有力末寺(まつじ)の寺院跡である。北西側は谷を挟んで極楽寺に続き、北側には極楽寺坂が通っている。極楽寺忍性(にんしょう)は13世紀後半に極楽寺坂を開削し、仏法寺に住して請雨法を修したと伝えられている。仏法寺跡の山稜は、地元では霊鷲山(りょうじゅさん)、霊山と呼ばれており、江戸前期頃の「極楽寺境内絵図」には霊山の山頂付近に仏法寺と請雨池が描かれている。元弘3年(1333年)の鎌倉攻め関係史料には「鎌倉霊山寺」とあり、一帯は激戦地の一つであった。鎌倉市教育委員会の発掘調査により、山頂部付近で葬地、供養遺構を、平場(画像1)で礎石建物堂舎跡、池跡等を検出した。13世紀後半から16世紀のかわらけ、陶磁器、石塔類、火葬骨等が出土し、池跡からは柿経等も出土した。極楽寺の寺伝では、明暦3年(1657年)に仏法寺の建物を移築して極楽寺の方丈にしたという。
仏法寺跡は、鎌倉幕府、北条氏の支援のもとで陸上・海上交通を支配した極楽寺の有力末寺の寺院跡で、元弘の鎌倉攻めの激戦地の一つでもあり、都市周縁部の葬送、供養関係の遺構も良好に残されており、我が国の歴史を考える上で重要である。
平成18年(2006年)、国の史跡に指定された。
文化庁国指定文化財等データベース


アクセス

仏法寺跡は人が普段立ち入るようなところではなく、アクセスのための道は、獣道同然の険しい山道しかない。
特殊な装備は不要だが、真夏でも長ズボン、長袖、運動靴、そして顔や服が蜘蛛の巣だらけになる覚悟が必要。

スマートフォンの方はこちらのマップへ。



江ノ島電鉄 極楽寺(ごくらくじ)駅から、徒歩約20分。

2 ↓ 極楽寺駅を出たところ。すぐ目の前の階段を登る。

階段を登り始めるとすぐに二股に分かれるので、右へ。

3 ↓ 登り始めて20mくらい行くと、目の前に墓地が広がる。その墓地の一番右(南西角)の、岩澤家のお墓へ。赤◯で囲ったところ。


4 ↓ 岩澤家のお墓。


5↓ お墓の裏に、うっすらと獣道が見える。それをたどって山に入る。


6 ↓ しばらく、非常に急な登り斜面が続く。道らしい道はないが、とにかく木が少ない部分を縫うようにして上に上がって行く。道の近くの木にはところどころに赤いビニールテープが巻いてあり、目印になる。


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8 ↓ 高低差20mほど?登り切ると、細い尾根道に出る。


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10 ↓ 尾根道の所々には、このような境界の杭がある。それも目印になる。


11 ↓ 途中、非常に急な登りの斜面がいくつかあり、そこにはビニールのロープが張ってあった。画像では斜度が分かりづらいが、スキー場の上級者コースくらいか。

12 ↓ 墓地から歩くこと20分ほど。尾根道の下に広くひらけた場所が見えてきた。これが仏法寺跡の平場。平場が見えてくると、道は平場に向かって急な下り坂となる。


13 ↓ 平場に着いた。平場は東が海、西が山。北東側には由比ヶ浜が見渡せる。


14 ↓ 平場の南西側。


15 ↓ 山側。恐ろしいほどの勢いで蔓性の雑草が生い茂っている。


16 ↓ 平場はかつて発掘調査がなされており、そのときの写真には柱の跡の穴などがみられる。ただ、現在の平場はこれら画像のように雑草に覆い尽くされ、そのような柱の跡が見られないどころか、足を踏み出しても地面に足がつかない(17)。草の上をふわふわ歩く感じ。


17 ↓ 草の上に足を踏み出して平場の真ん中に歩いて行こうとしたが、草の中に体ごと埋まってしまうのが怖くてやめておいた。

18 ↓ 途中の道とこの平場が観光スポットとして整備されれば、きっと絶景ポイントとして有名になることだろう。



なお、仏法寺跡とは何の関係もありませんが、極楽寺駅から極楽寺坂を長谷の方に下っていったところに、雰囲気のある和菓子屋さんがありました。「力餅家」。江戸時代から続く老舗。
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柔らかい餅の上にこし餡が乗ったあんころ餅は、甘すぎず、素朴で優しい味わいでした。オススメです。
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文化財分布マップ


by h9w457y8i | 2018-01-01 06:16 | 神奈川 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。