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サイトマップ東京都 近代文化遺産自由学園明日館フォトギャラリー

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文化財分布マップ

by h9w457y8i | 2018-01-30 11:23 | 東京 | Comments(0)


サイトマップ東京都 近代文化遺産自由学園明日館


アクセス(行き方)

見学のしかた

建物の説明

管理人のおすすめポイント

フォトギャラリー


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アクセス



スマートフォンの方はこちらのマップ

JR、西武鉄道、東武鉄道 池袋駅 メトロポリタン口(上の地図、マーカー3)または東京メトロ 出口3(上の地図、マーカー2)から、徒歩約7分(500m)。

↓ 道すがら、このような案内看板がいくつかある。
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施設付属駐車場はない。
半径200m以内に多数のコインパーキングあり。NAVITIME駐車場検索ページにて「自由学園明日館」で検索。






見学のしかた



内部も含め一般公開されているが、非公開の日時がまちまちなので、自由学園明日館公式サイト/見学案内ページを参照。

2018.1
原則として、
開館日 10:00〜16:00、休日見学日 10:00〜17:00
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
入館料 喫茶付き 600円、入館のみ 400円

毎日14:00から、職員によるガイドツアーがある。

「喫茶付き」を選ぶと、中央棟のラウンジホール、あるいは食堂で、コーヒー、紅茶、クッキー、ケーキを振舞われ、くつろげる。

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以上、自由学園明日館公式サイト/見学案内ページより。

自分のスマートフォンで館内のwi-fiに接続すると、オーディオガイドを聞くことができる。

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建物の説明



自由学園(じゆうがくえん)は、大正10年(1921年)、ジャーナリストであり思想家であった羽仁(はに)もと子・吉一(よしかず)夫妻により設立された私立学校です。キリスト教プロテスタントの精神を教育理念とし、現在も学校法人として、幼稚園から大学までの教育を行っています。
明日館(みょうにちかん)は学園設立と共に竣工した学舎で、設計は、20世紀初頭のアメリカを代表する建築家、フランク・ロイド・ライト。帝国ホテル設計のために来日していたライトに、羽仁夫妻とライトの共通の知人を通じて設計が依頼され、学園の理念に共感したライトが、彼が手がけた初期の建物によく見られる、高さを抑え水平を強調した形=プレーリー・スタイル(草原様式)を取り入れて設計しました。プレーリー・スタイルはライトの故郷、ウィスコンシンの大草原から着想を得たものだそうです。
大正12年(1923年)の関東大震災、昭和20年(1945年)の東京大空襲なども免れた明日館は、その後老朽化が顕著となったため、平成11年(1999年)から2年余りをかけて保存修理工事が行われました。

フランク・ロイド・ライトが日本に残した建物で思いつくのは、帝国ホテルの他には兵庫県芦屋市の旧山邑家住宅(現・ヨドコウ迎賓館)です。あちらはプレーリー・スタイルではなく、鉄筋コンクリート造りのがっしりした様式です。

明日館の随所に見られる、ホールの大きな窓の天井部分の角度。家具にもそれは取り込まれています。工費を抑えるため、高価なステンドグラスは使わず、木製の窓枠や桟のデザインでユニークな空間を演出しています。

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一方、敷地の南側に建つ講堂は昭和2年(1927年)の竣工。羽仁夫妻とライトを引き合わせた遠藤新(えんどうあらた)による設計です。学園設立当初は明日館中央棟のホールを講堂として使っていましたが、生徒数の増加に伴い、この講堂が建てられました。
平成26年(2014年)から耐震補強工事のため非公開となっていましたが、平成29年7月に一般公開を再開。現在では高性能の空調システムも備え、コンサート、講演会、結婚式など幅広く利用されています。

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自由学園明日館は、中央棟、東教室棟、西教室棟、講堂の4つの建物が、平成9年(1997年)、国の重要文化財に指定されました。






管理人のおすすめポイント



池袋駅からわずか徒歩5分余りの住宅地の中にひっそりと建つ明日館。思ったよりも小規模で、背も低いし、外観にはいわゆる洋館的な装飾はほとんど見られません。オシャレな幼稚園の園舎?という風情。
ですが、中に入るとそのレトロモダンさにびっくり。設計者ロイドのこだわりが、これでもか!というくらいひしひしと感じられます。とにかく、140度?の角度をあちこちに使った設計。椅子の背もたれ、窓枠、照明器具にまで。ここでしか見られない独特の幾何学模様を持った窓から差し込む光はあくまでも優しげで、竣工から100年近く経った今でも、学園創設者と設計者の子供達への暖かい眼差しを感じられたような気がしました。そんな館内を一通り見てから外に出て改めて建物を見ると、は〜、この斬新な建物が、100年前に建てられたのか、素晴らしいな、と思いました。

明日館では数々の家具も建物の一環として設計されており、特に喫茶コーナーでは、そんな木製のテーブルや椅子、照明器具に周りを取り囲まれます。都心部にはたくさんの古い洋館が今でも残っていますが、ここまで木の温もりを感じられる建物は珍しいかもしれません。建物をささっと見るだけではなく、喫茶付きのチケットを買って、ホールか食堂でコーヒーを飲んでゆっくりとくつろがれることをオススメします。

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フォトギャラリー

文化財分布マップ


by h9w457y8i | 2018-01-29 15:17 | 東京 | Comments(0)


サイトマップ沖縄県 江戸時代以前の文化財銘苅墓跡群

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伊是名殿内墓

銘苅墓跡群(めかる はかあとぐん)は、沖縄グスク時代(1100〜1400年代後半)から琉球王府時代(1429〜1879年)、明治時代と、非常に長い期間にわたって造られた、たくさんの墓が集まっている場所です。その中には、沖縄地方における大型の墓の典型的な形、亀甲墓(かめこうばか)のうち、県内最大規模の伊是名殿内(いぜなどぅんち)の墓もあります。近年の区画整理で伊是名殿内をはじめとする一部の古い墓が保存されることになりましたが、他の墓は那覇市教育委員会により、平成2年(1990年)から平成15年(2003年)まで、断続的に発掘調査されました。調査が進むにつれ、様々な形の墓が330基以上発掘され、その成立が1300年代~1400年代に遡ることなどが明らかとなりました。
伊是名殿内(いぜなどぅんち)の墓は、伊是名、伊平屋(いへや)両島の総地頭(そうじとう=上流士族)、伊是名家の墓です。銘苅墓跡群の中にあって他の墓とはその規模、造形などが大いに異なる亀甲墓(かめこうばか)です。面積約660㎡の県内最大級の亀甲墓で、その規模、建造技術は沖縄県の墓の中でも傑出しており、道教(風水)の思想を基につくられています。墓庭を囲む石垣には「相方(あいかた)積み」を用い、隅には突出した石「隅頭(すみがしら)」があり、上級士族の屋敷囲いの石積みを彷彿とさせます。入口には、本門と中門の二つの門があり、入口をクランク状につくることにより、ヤナカジ(悪い風)が直接墓本体に当たらない工夫が施されています。この墓は、その外観より18世紀代の様式のものである事がうかがえます。亀甲墓は17世紀に中国南部から伝わり士族階級に広がり、18世紀代に沖縄において独自の発達をして完成された墓で、この墓はその特徴をよく表している代表的な墓と言えます。
平成19年(2007年)、銘苅墓跡群は国の史跡に指定されました。
文化庁国指定文化財等データベース、現地案内看板


アクセス

那覇バス 10系統 「なは市民協働プラザ前」バス停下車。下の地図のマーカー2。1時間に2本。
バス停から現地まで、徒歩約2分。

那覇バスの時刻表、運賃は、バスロケーションシステムHPへ。
那覇バスを含む沖縄のバス路線図は、バスマップ沖縄のサイトを参照。バス会社の公式サイトではないけれど、すべてのバス会社の路線を網羅しており、とても見やすく使いやすいです。


施設付属駐車場はない。
伊是名殿内墓の西隣りに新都心公園があり、その専用駐車場が使える。入口は下の地図、マーカー3。


スマートフォンの方はこちらのマップ


伊是名殿内墓周辺は公園として整備されており、常に見学可能。


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文化財分布マップ

by h9w457y8i | 2018-01-28 08:31 | 沖縄 | Comments(0)


サイトマップ東京都 近代文化遺産旧丹羽家住宅蔵

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この旧丹羽家住宅蔵(きゅう にわけ じゅうたく くら)は、丹羽家の8代目当主、茂右衛門(もえもん)が、昭和11年(1936年)、9代目の結婚の際に新しく立て直したものです。東側の出入り口は、廊下を通じて主屋(おもや)と繋がっていました。当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りで、鉄製扉内側の家紋、扉周辺の大理石、外壁のあちこちの造作に、建築主のこだわりや職人の丁寧な仕事ぶりがうかがえます。
築80年を過ぎても建てられた当初の姿をよく残しており、これらの点が評価されて、平成20年(2008年)に国の登録有形文化財となりました。
←現地案内看板を要約

アクセスマップ

公園の中にあり、外観は常時見学が可能。
内部は普段非公開。特別公開の情報は見つけられなかった。

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文化財分布マップ

by h9w457y8i | 2018-01-26 07:12 | 東京 | Comments(0)


サイトマップ東京都 近代文化遺産三菱電機高輪荘

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三菱電機高輪荘(みつびしでんき たかなわそう)は、株取引で財をなした遠山芳三の東京邸です。昭和初期(1930年代)の建築で、木造2階建て、入母屋造(いりもやづくり)、桟瓦葺(さんかわらぶき)の近代和風邸宅。山の手の住宅地開発の様相を知る上で貴重、ということで、和風木造二階建て、瓦葺きの主屋、洋館、蔵の三棟が、平成12年(2000年)に国の登録有形文化財となっています。
文化庁国指定文化財等データベース

非公開。特別公開の情報もなし。高い塀に囲まれており、外観すらほとんど見ることができない。



上の地図、マーカー6
スマートフォンの方はこちらのマップ


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文化財分布マップ

by h9w457y8i | 2018-01-24 08:27 | 東京 | Comments(0)


サイトマップ東京都 近代文化遺産進開屋

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進開屋(しんかいや)は昭和初期の1930年前後、蕎麦屋として建てられた。東京大空襲においても被害を免れ、現在でも蕎麦屋として営業中。
平成15年(2003年)、「国土の歴史的景観に寄与している」として、国の登録有形文化財となった。
文化庁国指定文化財等データベース


11:00〜19:30
金曜日定休

都営地下鉄 三田線 千石(せんごく)駅 A2, A4, A5 いずれかの出口から徒歩約8分(600m)。

付属の駐車場はない。
半径400m以内に多数の有料駐車場あり。NAVITIME 駐車場検索ページにて、「進開屋 千石」で検索。




上の地図のマーカー3
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6 きつねそば。素朴な味わい。美味しかったです。
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文化財分布マップ

by h9w457y8i | 2018-01-23 09:11 | 東京 | Comments(0)


サイトマップ神奈川県 江戸時代前の文化財旧太田家住宅

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太田家住宅の旧所在地は茨城県笠間市片庭で、近世初頭にはすでにこの地に居住し、また名主の家柄と伝える旧家である。太田家住宅の大きな特徴は、棟方向を別にするふたつの屋根を接続して一軒の家を構成していることである。このような煮炊きをする竈を置く釜屋(土間)と居住部分に、別々に屋根をかける形式は分棟型または釜屋建などと呼ばれ、八丈島や南西諸島などに多く分布することから、かつては南方系の住居形式と考えられてきた。しかし太田家の茨城県中西部、あるいは栃木県宇都宮市の周辺にも昔はこうした家が存在したことが確認されるに及んで、このような解釈は再考を迫られることになった。
太田家の外観は、ひとつの屋根の下に土間も居住部も含む周辺の農家とは大きく相違しているが、間取りは基本的にはそれらとなんら変わるところがない。いわゆる広間型3間取の一種である。土間がかなり広いが、これは土間部分だけ一度建て替えられているからで、解体時の発掘調査によれば、当初の土間は桁行2.5間程度の小さなものであった。
主屋は17世紀末頃の建築、土間は18世紀後期頃と推定されている。
居住部はヒロマとザシキ、ヘヤの3室からなるが、日常生活の中心であるヒロマと土間との間には何の仕切りもなく、ひとつながりの空間である。そしてヒロマ前面を格子窓とするのはこの時期の関東地方の古民家に共通する構えである。ザシキは唯一畳敷の接客間だが、天井は竹簀子で、床の間もなく、客間としての形式が整えられていない。ヘヤは寝室で、ヒロマ側に入口を設けるほかは壁で閉ざされる。
別棟の土間は前面が主屋より前に出ているが、これはこの地方の民家に共通する形である。つまりこの地方では土間の厩の部分が前に出て、全体の平面がL字型になる。いわゆる曲屋の形式が一般的である。太田家の土間が建て替えられた時期には曲屋が一般化していたため、当家でも平面の形状はこれにならったのであろう。
主屋と土間とは年代が違うため、その構造もかなり相違している。例えば、主屋は棟束併用の扠首構造であるのに対し、土間では棟束は用いない。そして主屋では前面の半間を下屋とするため、前面より3尺入った位置に上屋根を立てるというきわめて古式な構法を見せている。また各室境や外周には1間ごとに柱を立て、柱の省略が全く行われていないし、ヘヤの内部には使用上邪魔になるはずの独立柱が2本残されたりしているなど、かなり古風である。これに対し、土間は内部に柱を全く立てないし、また梁行梁を二重に組み、桁行梁との交点は大栓で固定するという、進んだ構法が採られている。
なお、主屋部は土壁だが、土間廻りは板壁である。主屋と土間が接する部分の屋根には大きな谷ができるが、ここには大きな樋を設けて雨水を処理している。
このように太田家は分棟の形式を今に伝える貴重な遺構であり、かつ茨城県のこの種の民家では最も古く、この地方の民家の発展を知るうえで欠かせない存在である。
昭和43年(1968年)、国の重要文化財に指定された。現在は川崎市立日本民家園に移築され、一般公開されている。
川崎市公式サイト


川崎市立日本民家園へのアクセス、見学のしかたは、こちらのページへ。



スマートフォンの方はこちらのマップ

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文化財分布マップ

by h9w457y8i | 2018-01-21 07:49 | 神奈川 | Comments(0)


サイトマップ神奈川県 江戸時代前の文化財旧作田家住宅

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旧作田家住宅(きゅう さくだけ じゅうたく)は、イワシ漁で栄えた千葉県の九十九里にありました。漁具小屋は海岸近くにあり、この家そのものは内陸に立地していたため、漁村の家の雰囲気はありません。 外観は二棟が軒を接しているように見えます。これを分棟型(ぶんとうがた)と呼び、クリの木の半割丸太(はんわりまるた)をくり抜いた大きな雨樋(あまどい)が二つの屋根をつないでいます。居室部は囲炉裏のある広いカミがまず目に入ります。居間の梁は松の曲材を巧みに組み合わせており、見事な造形美を見せています。床の間の前身である押板(おしいた)や仏壇(ぶつだん)を備え、網元(あみもと)としての生活に使われた格式のある部屋です。その上手は畳敷(たたみじき)の部屋がつづき、座敷としては最高の扱いとなっています。背後には便所と風呂が付属し、座敷と同様に上層民家の接客部分を伝える貴重な建築です。
向かって左側の主屋は江戸時代中期、右側の土間は江戸時代後期に建てられ、昭和44年(1969年)に川崎市立日本民家園に移築されました。翌昭和45年(1970年)には国の重要文化財に指定されています。
←現地案内看板
文化庁国指定文化財等データベース


川崎市立日本民家園へのアクセス、見学のしかたは、こちらのページへ。




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by h9w457y8i | 2018-01-20 07:34 | 神奈川 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。