2018年 01月 21日 ( 1 )


サイトマップ神奈川県 江戸時代前の文化財旧太田家住宅

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太田家住宅の旧所在地は茨城県笠間市片庭で、近世初頭にはすでにこの地に居住し、また名主の家柄と伝える旧家である。太田家住宅の大きな特徴は、棟方向を別にするふたつの屋根を接続して一軒の家を構成していることである。このような煮炊きをする竈を置く釜屋(土間)と居住部分に、別々に屋根をかける形式は分棟型または釜屋建などと呼ばれ、八丈島や南西諸島などに多く分布することから、かつては南方系の住居形式と考えられてきた。しかし太田家の茨城県中西部、あるいは栃木県宇都宮市の周辺にも昔はこうした家が存在したことが確認されるに及んで、このような解釈は再考を迫られることになった。
太田家の外観は、ひとつの屋根の下に土間も居住部も含む周辺の農家とは大きく相違しているが、間取りは基本的にはそれらとなんら変わるところがない。いわゆる広間型3間取の一種である。土間がかなり広いが、これは土間部分だけ一度建て替えられているからで、解体時の発掘調査によれば、当初の土間は桁行2.5間程度の小さなものであった。
主屋は17世紀末頃の建築、土間は18世紀後期頃と推定されている。
居住部はヒロマとザシキ、ヘヤの3室からなるが、日常生活の中心であるヒロマと土間との間には何の仕切りもなく、ひとつながりの空間である。そしてヒロマ前面を格子窓とするのはこの時期の関東地方の古民家に共通する構えである。ザシキは唯一畳敷の接客間だが、天井は竹簀子で、床の間もなく、客間としての形式が整えられていない。ヘヤは寝室で、ヒロマ側に入口を設けるほかは壁で閉ざされる。
別棟の土間は前面が主屋より前に出ているが、これはこの地方の民家に共通する形である。つまりこの地方では土間の厩の部分が前に出て、全体の平面がL字型になる。いわゆる曲屋の形式が一般的である。太田家の土間が建て替えられた時期には曲屋が一般化していたため、当家でも平面の形状はこれにならったのであろう。
主屋と土間とは年代が違うため、その構造もかなり相違している。例えば、主屋は棟束併用の扠首構造であるのに対し、土間では棟束は用いない。そして主屋では前面の半間を下屋とするため、前面より3尺入った位置に上屋根を立てるというきわめて古式な構法を見せている。また各室境や外周には1間ごとに柱を立て、柱の省略が全く行われていないし、ヘヤの内部には使用上邪魔になるはずの独立柱が2本残されたりしているなど、かなり古風である。これに対し、土間は内部に柱を全く立てないし、また梁行梁を二重に組み、桁行梁との交点は大栓で固定するという、進んだ構法が採られている。
なお、主屋部は土壁だが、土間廻りは板壁である。主屋と土間が接する部分の屋根には大きな谷ができるが、ここには大きな樋を設けて雨水を処理している。
このように太田家は分棟の形式を今に伝える貴重な遺構であり、かつ茨城県のこの種の民家では最も古く、この地方の民家の発展を知るうえで欠かせない存在である。
昭和43年(1968年)、国の重要文化財に指定された。現在は川崎市立日本民家園に移築され、一般公開されている。
川崎市公式サイト


川崎市立日本民家園へのアクセス、見学のしかたは、こちらのページへ。



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文化財分布マップ

by h9w457y8i | 2018-01-21 07:49 | 神奈川 | Comments(0)
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