2014年 01月 03日 ( 1 )

兵庫県の近代文化遺産リスト布引水源地水道施設概要 > 五本松堰堤

国指定重要文化財
ごほんまつえんてい
竣工: 明治33年(1900年)
構造および形式: 重力式コンクリート造堰堤(ダム)、堤長110.3m、堤高33.3m、高欄
文化財指定: 平成18年(2006年)

附指定: 管理橋取水管2本(英国製及び日本製)、排泥管1本(英国製)、排泥管バルブ1点(アメリカ製。ダムの内部にある)、矢板2点 *1

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五本松堰堤(布引ダム)のフォトギャラリーこちら


「当時、山岳部にこの規模のダムをコンクリートで築造したことは、全国的にも初めてで、見本となる建設物もほとんど無い時代に、基本的なところから手探りで着手し、且つ、職人らを指導していった過程を考えると、並大抵の苦労ではなかったと推測されます。
 わが国では明治8年5月に初めてセメントが製造され、明治14年には山口県に民営のセメント会社が創立されていましたが、明治30年代当初、これほど大量にセメントを使用することは全国的にも少なかったと思われます。明治26年の計画では、土堰堤でしたが、人口増加のため、ダムを高くして容量を増やす必要があったため、コンクリートダムに変更され、このとき、高価であったセメント量を節約するとともに、堰堤重量を増すため、石を3割程度混入しました(粗石入りコンクリートダム)。
 また、建設現場は車両が入れない山岳地であったため、ほとんど人力で運搬・施工されています。そのため、大半の砕石・砂・切石は現地で採取され、当時の予算書によれば、堰堤本体の建設費用は約20万円でありました。  建設当時、堰堤の設計において浸透水による揚圧力は考慮されていませんでした。 明治28年(1895年)のブーゼイダム(フランス)の揚圧力による決壊を受けて、Lavyにより揚圧力の設計理論が確立されたのが明治32年(1899年)であり、布引ダムは建設に着手済であったためです。
 しかし、ダム内の水圧力が大きくなると、石積みが崩壊することも考えられるため、布引五本松堰堤では、157本の水抜き多孔管(直径3.8cm)を3mピッチで9段設置して、その端部を堤外に出すことにより内圧水を排水する構造になっています。
 その他の特徴的な箇所は、堤頂の高さ90cm、厚さ30cmの腰壁があり、そこにはダム建設に携わった技術者の名前を明示した英字の石造銘板が設置されています。
 また、ダム下流側上部に歯飾り(デンティル)が縁取られ、景観にアクセントを与えています。
 堰堤は建設当初は、水を貯め、少しずつ放水する施設でしたが、大正時代には直接、管を接続して取水するようになりました。
 堰堤中央部には、内径3mの半円筒状の取水塔があり、その内部に設置された12インチの取水管により4箇所(水深に合わせて各高さごと)から取水しています。
 堰堤の底部中央には、導水・排水管の通路(縦横約3mのアーチ状の監査廊)があり、明治の建設時には、川水の通路や材料搬入運搬の通路としても利用されていました。
 明治の堰堤正面の写真では見えていませんが、下流に向かって左側に、ダムが満水になった時の水の越流部があり、この上に架かる管理用の橋(通称管理橋)も堰堤に付属する特徴的構造物となっています。」



「管理橋は、写真の左下の越流部の上に架かる、鋼製(レール)トラス風の橋です。
 建設当時は7径間でしたが、水害による土砂堆積(山裾側が埋没)のため、現在は、上流側2径間が撤去されて5径間となっています。
 管理橋の明治の設計にあたっては、工学會誌に特別の記述は無く、これは当時、鉄道全盛期で鋼材橋が多くあり、特段珍しくなかったのか、もしくは、見本となる橋梁が外国に数多く存在していたため詳細をはぶいたためと思われます。
 ちなみに、下図に示すように、フランスの軽便鉄道メーカー『ドコービール社』が発刊したカタログ(明治38年)にも、同様な形式の橋梁(Portable Bridges)が記載されています。
 神戸市水道誌には、管理橋は『古鉄軌の利用に成る』と書かれており、先人は、この解釈を、ダム建設工事における資材運搬用の軽便鉄道(トロッコ)のレールを、橋梁部材に再加工したとしてきたが、『古鉄軌』という言葉を中古品レールの代名詞と受け取ると、橋梁用の中古レールを注文購入したとも受けとれます。」



排泥管
「ダム底の泥水を、監査廊を経て、ダム下流側に放流を行うための管で、英国製のフランジ管(内径16インチ)です。
 コンクリートに包まれていたため腐食が少なく、当時のフランジパッキンを保存するため、フランジ部の解体をせず保存しています。
 当時のパッキンは、板ゴムではなく、麻糸もしくは鉛板を張付け、鉛丹等の入ったペースト状の物を接着材として塗りボルトで接合していました。
 取水塔底部の排泥管のあった部分は、工事中は、渓流水をそのまま流す仮排水路に使用していたため、堰堤完成直前に配管し、すぐ間詰をしないといけませんでした。
 そのため、フランジ最下部には平たがねが挟まったまま(ボルト頭の回転止めに使用)残置されており、フランジを接合する際に苦労した様子がうかがえます。」



排泥管バルブ
 堰堤底部の監査廊内部で、排泥管を開閉するためのバルブであり、設計時点で東京などの他都市を調査した結果、バルブ類はアメリカ製という結論で発注されました。
 当時、18インチ以上のバルブには、本弁にかかる水圧を減らすため、事前に開閉する小さいバルブと、その接続のための副管が付いていました。
 バルブにはケネディ社(米国)の紋章が見られ、反対面には、神戸水道のマークである六剣水が刻印されています。
 弁体構造も現代には無い構造で、弁が下まで降りきると、2枚の太鼓状弁が外側に開いて止水するという特殊構造となっています。



コンクリート型枠用矢板
 堰堤建設中に渓流水を下流に放流するのに使用していた監査廊(取水塔最深部)を閉塞するにあたり、ダム内部側に、矢板を使用して間詰コンクリートを打設しました。
 この残置された矢板には『神戸市水道臨時工事部』の焼印がありました。
 この臨時工事部とは、創設関連の残工事等を完成させるため設置された事務所で、明治33年4月から明治38年のわずか5年だけの事務所であり、佐野藤次郎が所長を務めていました。


*1 文化庁国指定文化財等データベースによると附の記載はないが、神戸市公式サイトによると、附指定についての記述がある。


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by h9w457y8i | 2014-01-03 00:13 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。