【史跡|小田城跡】 行き方、見学のしかた (茨城県 つくば市)
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1 アクセス詳細案内
1-1 アクセスマップ
1-2 公共交通機関
1-3 駐車場
2 見学のしかた (開場時間、入場料など)
3 訪れた時の様子 (写真)
4 小田城跡の説明
5 問い合わせ
1 【アクセス情報】
1-1 アクセスマップ
34.98521, 136.05993
小田城跡は、赤マーカー
大きい地図で見たい時は、地図右上のアイコンをタップ
1-2 公共交通機関
関東鉄道バス 小田バス停から徒歩700m。
バス停は、上の地図・黒4
運航頻度は、1時間に1本程度。
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1-3 駐車場
小田城跡見学者用の無料駐車場があります。
収容台数は、合計20台程度でしょうか。
駐車場入口は、地図・黒2。
↓ 駐車場は、地図・黒1。

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2 【見学のしかた】
小田城跡は、遺構の一部が復元され、歴史公園として整備されています。
入場はいつでも可能で、無料となっています。
公園の外縁には、小田城跡に関わる展示や説明を行なっている案内所もあります。
地図・黒3。


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3 【訪れた時の様子】
1 筑波山の麓にある、小田城跡にやってきました。

2 かつて、筑波鉄道の線路だった場所。現在はサイクリングロードになっていますが、それが、城跡の真ん中を突っ切っています。画面の中央、右側の黄色い建物が城跡の案内所です。
3 同じ場所の反対側。画面中央付近、高さ数mの土手がありますが、これが城の土塁を復元したものです。
4 堀と、左手が土塁。堀は幅が20mほどもあります。

5 復元土塁の一部が、トイレになっていました。

6 トイレの前の説明板。

7 土塁を抜けると、高さ3〜4mの復元土塁に囲まれた、広々としたスペースが現れます。本丸跡です。

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9 復元土塁の上に登ってみました。

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11 水が張られている堀もありました。それにしても、幅が広い、立派な堀だと思います。

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4 【小田城跡の説明】
小田城跡(おだじょうあと)は、鎌倉時代から戦国時代に、常陸国(ひたちのくに。現在の茨城県の大部分)南部に精力を持った小田氏の居城跡です。築城時期は明らかではなく、鎌倉時代初期から中期とされています。当初は、源頼朝の信頼が厚く、常陸守護職に任じられましたが、その後、北条氏の進出により所領を減少させ、守護職も鎌倉時代末期ごろには失ってしまいました。しかし室町時代に入ると、南朝側に立って戦い、関東で最も格式の高い名家を示す「八屋方」(はちやかた。千葉氏、小山氏など)の一つに数えられています。戦国時代には後北条、上杉、佐竹の勢力に挟まれ、この小田城は何度も合戦の舞台になりました。15代小田氏治(うじはる)の時に戦いに敗れて佐竹氏の城となり、江戸時代には佐竹氏が秋田に移封となって、小田城は廃城となりました。
城の周囲には堀が巡らされていますが、幅が20〜30m、深さが4〜5mもあり、堀の底はワッフル表面のような凹凸のある障子堀(下の模型の画像を参照)となっていました。堀の内側には、底の幅が10〜15mの土塁が築かれ、そのさらに内側に、115 x 100mの平らな本丸がありました。
小田城跡は、その歴史的な重要性や遺存状況が良好な平城跡であることから、昭和10年(1935年)に国の史跡に指定されています。




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5 【問い合わせ】
小田城跡歴史ひろば案内所(PDF)へ。
電話番号 029-867-4070
このページは、以下の記載などを参照しています。
現地配布パンフレット
文化庁 国指定文化財等データベース
現地案内看板
by h9w457y8i
| 2024-12-29 09:38
| 茨城
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