【重要文化財|北口本宮冨士浅間神社】 行き方、駐車場、境内の案内
How to Get Kitaguchi Hongu Fuji Sengen Jinja Shrine
World Heritage:Fujisan, Sacred place and source of artistic inspiration
サイトマップ > 山梨県 国宝・重要文化財 > 北口本宮冨士浅間神社
1 アクセス情報
1-1 アクセス・文化財分布マップ
1-2 公共交通機関でのアクセス
1-2-1 富士急行 富士山駅から
1-2-2 JR御殿場駅 富士山口から
1-2-3 駅からのバスの時刻表
1-3 無料駐車場
2 一般参拝情報 開場時間など
3 神社の説明
4 重要文化財建造物の紹介
4-1 本殿
4-2 拝殿および幣殿
4-3 西宮本殿
4-4 東宮本殿
4-5 惠毘壽社および透塀
4-6 神楽殿
4-7 手水舎
4-8 隨神門
4-9 福地八幡社
4-10 諏訪神社 拝殿
4-11 社務所
5 問い合わせ
拝殿
1,900年前の古代から続くとされる、北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐう ふじ せんげんじんじゃ)。
国の重要文化財、世界遺産にも登録されています。
1-1 【アクセスマップ】
1-2 【公共交通機関】
1-2-1 富士急行 富士山駅から
神社境内入口(地図・黒7)まで、徒歩約19分(1.4km)
または
富士山駅 3番バス乗り場から
富士急行バス 御殿場駅行きバスに乗車。
[乗車時間] 6分
[運賃] 160円
[運行頻度] 1時間に1〜2本
浅間神社前 バス停(地図・黒8)下車。
1-2-2 JR御殿場駅 富士山口から
御殿場駅 2番バス乗り場から
富士急行バス 河口湖駅方面行きバスに乗車。
[乗車時間] 約1時間
[運賃] 1,390円
[運行頻度] 1時間に1〜2本
浅間神社前 バス停(地図・黒8)下車。
1-2-3 富士急行バスの時刻表検索
NAVITIME バス乗り換え案内、Google Map ルート案内機能が対応しています。
また、関東・関西各地から、高速バスも運行されています。
富士急行バス 浅間神社前 バス停。地図・黒7
1-3 【駐車場】
神社付属の無料駐車場が、合計7ヶ所もあります。
それらの入口位置と駐車場の様子を、地図と画像を使って、一つずつ解説しています。
駐車場は黒マーカー
駐車場の営業時間は、いずれも9:00〜16:00と思われます。
(一部駐車場の看板に記載あり)
それより遅くクルマで来られる場合は、事前に神社に問い合わせるのがいいでしょう。
電話番号 0555-22-0221 2021.2
駐車場の入り口の一つ。「P5」の案内看板があります。
林の中が駐車場になっているところもあります。
2 【一般参拝情報】
神社境内入口には開閉する門はなく、いつでも参拝ができます。
(公式HPにも、参拝可能時間の記載はありません)
拝殿の授与所(おみくじやお守り、お札などを売っているところ)や社務所の営業時間は、9:00〜17:00 です。
祈祷、昇殿での正式参拝、登山の安全祈願、結婚式などについては、公式HPをご覧ください。
文化財建造物のガイドツアー、特別一般公開などの情報はありません。2021.2
3 【神社の説明】
弥生時代の西暦110年、日本古代史において英雄とされる日本武尊(ヤマトタケル)が東国征伐を行った際、富士山北側の山麓に立ち寄り、「ここから見える富士山はとても美しいので、ここから拝むのが良い」と言いました。そのため、その場所に大鳥居を建てて神社が創建されました。これが、北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐう ふじせんげんじんじゃ)の成り立ちと伝えられています。その後、奈良時代の末期に富士山が噴火し、現在の場所に社殿が移されて今日まで続いています。
江戸時代になると、富士山信仰のために代表者を富士登山に送る富士講(ふじこう)が庶民の間に広がりました。また各地から集まってきた代表者たちのために宿を提供し、教義の指導や祈祷、各種取次業務まで、富士山信仰の全般にわたって世話をする御師(おし)が現れ、登山口だった北口本宮冨士浅間神社のすぐそばに御師町を作りました。現在でもそのいくつかは残り、国の重要文化財に指定されている建物もあります。
(北口本宮冨士浅間神社公式サイトに、富士講や御師についての詳細な解説があります)
現在建っている社殿は、室町時代末期から江戸時代中期にかけて建てられたもので、その多くが国の重要文化財に指定されています。富士講によって整備された社殿も多く、北口本宮冨士浅間神社と富士講・御師は、切っても切れない関係にあるのです。
また平成25年(2013年)には、「富士山 - 信仰の対象と芸術の源泉」の構成要素として、世界文化遺産に登録されました。
4 【重要文化財建造物の説明】
4-1 本殿
4-2 拝殿および幣殿
4-3 西宮本殿
4-4 東宮本殿
4-5 惠毘壽社および透塀
4-6 神楽殿
4-7 手水舎
4-8 隨神門
4-9 福地八幡社
4-10 諏訪神社 拝殿
4-11 社務所
第一大鳥居。神社境内の入口です。こちらは重要文化財ではありません。地図・黒7
第一大鳥居から隨神門までの参道。
杉の巨木が立ち並び、鬱蒼とした森となっています。厳かな雰囲気です。
隨神門の前の大鳥居。こちらも重要文化財ではありません。
4-1 本殿
地図・赤1
江戸時代前期、1615年に造られました。
本殿を覆う覆屋。外から見るとかなり大きいように思えますが...。
拝殿から本殿を見たところ。奥の金色に光る小さな建物が、本殿です。
幅は一間(2m弱)、奥行き二間(約3.6m)の小さな社殿です。桃山時代の黄金・極彩色の豪華絢爛な装飾が施されています。現在は建物保護のため、覆屋ですっぽりと覆われています。
4-2 拝殿および幣殿 はいでん および へいでん
地図・赤2
拝殿は、本殿に祀られている神様を人間が拝む場所です。この拝殿は江戸時代中期の1739年に、それまであったものを建て替える形で、富士講中により造築されました。
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幣殿は、拝殿と本殿をつなぐ建物です。左から、拝殿、幣殿、本殿。
拝殿には、授与所(お守りなどの売り場)が併設されていました。
4-3 西宮本殿 にしのみや ほんでん
地図・赤3
現在の本社(神社のメインとなる建物群。本殿+拝殿+幣殿)が建てられる前、安土桃山時代の1594年に、当時の本社として建てられました。
幅一間、奥行き二間、桃山様式の建物で、本殿と同じ規模、同じ様式のものです。現在の本社の西側に位置しています。
訪れた時は保存工事中で、見ることができませんでした。
4-4 東宮本殿 ひがしのみや ほんでん
地図・赤4
室町時代後期の1561年に、武田信玄によって造築されたものです。現在残る社殿の中で、最も古い建物です。元々は鎌倉時代以降、この場所に本社がありました。
5
4-5 惠毘壽社 及び 透塀 えびすしゃ および すきべい
地図・赤5
本殿の裏側に、へばりつくように存在しています。
本殿の一部のようにも見えますが、それは本殿覆屋のせいで、本殿とは別の建物です。江戸時代中期に建てられたと推測されています。
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惠毘壽社の両脇から拝殿まで伸びている石の柵が、透塀です。
4-6 神楽殿 かぐらでん
地図・赤6
神楽殿(かぐらでん)は、本殿にいる神様に神楽を奉納するための建物です。
現在の建物は、江戸時代中期の1737年に富士講中によって建て替えられたものです。富士山御師(おし)により継承されてきた太々神楽が奉納される舞台であり、現在でも神社の祭礼には地元の神楽講により太々神楽が奉納されています。
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4-7 手水舎 ちょうずしゃ
地図・赤7
江戸時代中期、1745年に富士講中により建立されました。
本殿、東宮、西宮と並ぶ彫刻類の多さや、富士山の溶岩から削り出された巨大な水盤石と四本の柱などが目を引きます。
水盤石に立つ青銅の龍の口からは、富士信仰の霊場である富士八海の一つ、泉水から引き込んだ霊水が、現在も絶え間なく溢れ出ています。
4-8 隨神門 ずいしんもん
地図・赤8
江戸時代中期、1736年に富士講中により再建された門です。彫刻が多く施され、装飾性に富んでいます。
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4-9 福地八幡社
地図・赤9
江戸時代前期の1684年に建立された後、1740年に富士講中により再建されたものです。建立当初の古材を利用して、東宮本殿をモデルにしたとされています。
4-10 諏訪神社 拝殿
地図・赤10
諏訪神社は、奈良時代に北口本宮冨士浅間神社が移ってくる以前から、この場所にあったとされる古い神社です。大きな拝殿の建立時期は定かではありませんが、その様式などから、江戸時代中期に建てられたものだとされます。
拝殿の中にある小さな本殿は、昭和初期に焼失し、昭和51年(1976年)に再建したものです。
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4-11 社務所
地図・赤11
江戸時代中期、1741年の建物です。玄関の屋根が中国風の唐破風(からはふ)になっていること以外は、至って簡素な造りです。
内部の間取りは近所にある御師住宅と似ていることから、元々はそれに類似する目的で建てられたものだと考えられています。
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このページは、以下の記載などを参照しています。
北口本宮冨士浅間神社 公式HP
文化庁 国指定文化財等データベース
現地案内看板
広告なしのページ(Google Blogger)
201218
by h9w457y8i
| 2023-05-28 09:08
| 山梨
|
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