【重要文化財・世界遺産|旧外川家住宅】 行き方、見学のしかた (山梨県)
How to get The House of Togawa Family ("Oshi" Lodging House)
World Heritage:Fujisan, Sacred place and source of artistic inspiration
サイトマップ > 山梨県 国宝・重要文化財 > 旧外川家住宅
1 アクセス 詳細情報
1-1 ピンポイント詳細マップ
1-2 公共交通機関
1-3 駐車場
2 見学情報 (開場時間など)
3 現地配布パンフレット
4 訪れた時の様子 (写真)
5 旧外川家住宅の説明
6 問い合わせ
1-1 【アクセスマップ】
1-2 【公共交通機関】
富士急 富士山駅から
徒歩約7分(500m)。
御殿場駅 富士山口から
富士急行バスで、
[乗車時間] 約1時間
[運賃] 1,390円
[運行頻度] 1時間に1〜2本
富士急行バスの時刻、行き先・系統番号、料金検索は、
NAVITIME バス乗り換え案内
Google Map ルート案内機能
が対応しています。
関東、関西各主要駅から
富士急高速バスも運行されています。
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1-3 【駐車場】
施設付属の無料駐車場があります。
[収容台数] 普通車 15台
[営業時間] 9:30〜17:00
駐車場入口。地図・赤1
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2 【見学情報】
旧外川家住宅は、富士吉田市が運営するふじさんミュージアムの付属施設として、内部も含め一般公開されています。
開館時間、入館料などの最新情報は、ふじさんミュージアム公式サイトで確認してください。
[開館時間] 9:30〜17:00
[入館料] 大人 100円
[休館日] 火曜日、年末年始
スタッフの方に声を掛ければ、無料で館内を案内していただけます。
建物だけでなく、富士講、御師などについて、わかりやすく解説していただけます。
現地配布パンフレット(PDF 1.9MB)
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3 【訪れた時の様子】
1 国道137号線沿いの入口には、こんな看板が立っていました。
2 表通りから中門へと続く、タツミチ(進入路)。
3 タツミチの途中には、ヤーナ川が流れています。
訪れた道者は、この小さな滝で身を清めてから主屋に入りました。
4 中門。
5 中門を抜けると、すぐに主屋の玄関があります。
左手が受付になっています。
6 受付で入館料を払います。100円。
7 主屋の玄関。
8 主屋の奥から玄関方向。ここは外川家の人々の生活の場でした。
9 世界遺産の登録証。
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14 廊下の奥には、離座敷があります。
神殿のある離座敷は神聖な場所で、当主以外の家族は、滅多に入ることはなかったそうです。
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16 御神前にある神殿。ここで当主は祈祷を行いました。
17 上段の間。離座敷の中で最も格の高い客室で、床の間があります。
18 裏座敷の広縁。
19 離座敷の裏(東側)には、稲荷社がありました。
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5 【旧外川家住宅の説明】
旧外川家住宅(きゅう とがわけ じゅうたく)は、江戸時代以降、富士山を信仰し、富士登拝(ふじとはい)に訪れる富士講の人たちを宿泊させる宿坊でした。このような宿坊は上吉田地区には最盛期、86軒もあったとされ、御師(おし)と呼ばれていました。御師は単なる宿泊施設の経営者ではなく、祈祷を行い、登山のオフシーズンには関東地方各地に散らばる檀家を巡って宗教活動を行う宗教者でした。
旧外川家住宅は、主屋と裏座敷からなります。
玄関のある主屋は、江戸時代中期の1768年に建てられたもので、家人の住居として使われていました。上吉田地区に建てられた御師住宅の多くは19世紀以降に建てられたものがほとんどで、この時期まで遡るものは少なく、貴重な建物です。
また裏座敷は幕末の1860年に建てられました。登拝者のための宿舎と祈祷のための宗教施設としての役割を持った、神聖な場所でした。
旧外川家住宅は、富士山信仰の流行と共に発展した御師町や、その住宅の姿をうかがい知ることのできる貴重な資料であり、主屋、裏座敷、中門が、平成23年(2011年)に国の重要文化財に指定されました。
また同様の理由で、平成25年(2013年)には、「富士山 - 信仰の対象と芸術の源泉」の構成要素として、世界文化遺産に登録されました。
外川家から徒歩圏内に、国の重要文化財・世界遺産の御師の家、小佐野家住宅があります。
(住居として使われており、見学はできません。2021.2)
富士山の歴史と信仰
富士山は、その山容の美しさから日本一の山、名山と讃えられてきました。しかし一方では、古来より噴火の猛威をふるう火山として人々には畏敬の念をもって崇められ、山頂には神仏が住む霊山として、山岳信仰の対象とされてきました。そのため、繰り返す噴火を鎮めるために浅間大神(あさまのおおかみ)を祀ったのが浅間信仰の始まりとされています。
富士信仰の当初の形態は、麓から山体を仰(あお)ぐ、遥拝(ようはい)信仰でした。平安時代以降は、仏教の影響により修行のために山内に分いる修験者(しゅげんじゃ)が増え、遥拝する山から修行の山へと変化していきました。中世(鎌倉時代・室町時代)になると修行者以外にも富士山を信仰して登山をする一般の人々(道者 どうしゃ)が増えていきます。「勝山記」(妙法寺記)明応9年(1500年)の条に、「富士への道者参ること限りなし」と富士登山の盛況ぶりが記されています。こうして富士山は、時代とともに修験者による修行の山から信仰による一般の参詣登山という形に移行していきました。
富士山の信仰が一般的に受け入れられたのは、室町時代末期に長谷川(藤原)角行が、富士信仰を独自の考えをもって説いたからとされています。その後の弟子たちによって受け継がれ、六世の食行身禄(じきぎょうみろく)や村上光清らの行者の活躍により、江戸時代後半、富士講として隆盛を極めました。
〜現地配布パンフレットより
現地配布パンフレット PDF(1.9MB)は、こちらからダウンロードできます。
富士五湖ぐるっとつながるガイド 公式サイトや現地案内看板(このページに画像あり)に、詳しい解説が書かれています。
上吉田宿と御師 現地案内看板
元画像(7.4MB)
世界遺産登録 現地案内看板
元画像(8.1MB)
▲ 目次へ6 【問い合わせ】
旧外川家住宅へ。
電話番号 0555-22-1101
201218
by h9w457y8i
| 2022-02-12 13:49
| 山梨
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