【史跡|勝坂遺跡公園】 遺跡の紹介、画像など (神奈川県 相模原市)
#親子連れ #公園 #ホトケドジョウ
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遺跡の説明
訪れた時の様子 (画像)
ホトケドジョウ(絶滅危惧種)の棲む小川
勝坂遺跡(かっさかいせき)は、今から5千年ほど前の縄文時代中期に、大集落があった台地です。
台地は緑豊かな崖に囲まれ、湧き水も絶えず、縄文人が長い間に渡って暮らすのに適した土地でした。
大正時代に発掘された土器には、立体的な模様や「顔面把手」(がんめんとって)と呼ばれる顔の形を形どった把手がついており、のちに「勝坂式土器」として縄文時代中期の目安とされています。
また、この時に発掘された打製石斧(だせいせきふ。石器の一種)を、土を耕すための道具だったとする原始農耕論が提唱されたことは、日本の考古学にとってとても重要なのだそうです。
これらのことが評価され、昭和49年(1974年)以降、次々と土地が付け足されるような形で、国の史跡として指定されていきました。
勝坂遺跡は、青マーカー
敷石住居跡。地図・青4
縄文時代の後期に登場。その理由は、気候が寒くなっていったから、ということですが、その因果関係は自分にはよくわかりません。
敷石住居の現地案内看板。
敷石住居から更に南へ。広い公園が続きます。
公園の南端には、2棟の竪穴式縄文住居のレプリカがあります。
竪穴式住居 1号住居。4千7百年ほど前の家。地図・青5
家は全体を笹で覆われています。笹葺きの屋根は、全国的にも珍しいそうです。
内部。半地下で、意外と広くて深いです。
1号住居の案内看板。
竪穴式住居 3号住居。屋根に土を載せて、保温性を高めています。
家の中で火を炊けるように、屋根には通風孔が開いています。
この住居レプリカは、立ち入り禁止でした。2020.11
3号住居の内部。これ以上は入れません。
やはり広いですね。意外と深い半地下。10トン積みダンプカー4台分もの土が掘られたそうです。
とにかく寒さを防ぐため、半地下 & 土葺きの屋根にして、保温性を高めた、ということなのでしょうか。
通気性は悪く、湿った季節には不向きで、冬にだけ使われたようです。
竪穴式住居 3号 案内看板
放棄された家の跡の窪地。のレプリカ。ゴミ捨て場としても使われていたようです。
窪地の案内看板。
遺跡公園全体の案内看板。
公園南端から、北側を。気持ちのいい広さです。
公園は緑豊か。小さかった頃の娘を、連れて来たかったですね。
公園の西側は緩やかな谷になっていて、神社の祠が。地図・青7
神社のそばには綺麗な小川が流れていました。小川の源流は近くの湧き水。
縄文人たちもこの水を利用したのでしょうか。
小川のそばに、ホトケドジョウという絶滅危惧種!の珍しいドジョウがいる、という立て看板がありました。
湧き水、泥底の小川、たくさんの植物。ホトケドジョウの生育にぴったりなのだそう。
試しに探してみましたが、見つけられませんでしたね。
小川の向こうに、木道が見えます。
辺りは湿地帯になっていて、木道が。水生植物のお花畑にしたかったのかも。実際は雑草だらけでしたが。
でも、いい雰囲気。
一方ここは、公園からはちょっと離れたA地区。地図・赤マーカーのやや右の青い囲い。アクセスすることもできますが、この時は入口がよくわからず。入口は、地図・青6
遺跡とは何の関係もありませんが、すぐ隣がアメリカ陸軍の司令部、キャンプ・座間。軍用ヘリが離着陸していました。
by h9w457y8i
| 2021-01-22 04:58
| 神奈川
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