【重要文化財|布引水源地水道施設】 五本松堰堤、放水路隧道、締切堰堤 (神戸市) 重要文化財
神戸 布引の滝 五本松ダム ハイキング 観光
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前回に引き続き、神戸北部にある国指定重要文化財・布引水源地水道施設の9つの施設のうち、次の3つの施設をご紹介します。
五本松堰堤
放水路隧道
締切堰堤
布引水路橋(砂子橋)、雌滝取水堰堤、谷川橋
分水隧道、分水堰堤附属橋、分水堰堤
布引水源地水道施設の概要、アクセス・見学のしかたについては、こちらのトップページから。
布引水源地水道施設は、赤マーカー5〜13

五本松堰堤(ごほんまつ えんてい)は、この水道施設のメインとも言える大型ダムです。完成は明治33年(1900年)。当時の最新技術を駆使して造られた、日本最古の重力式コンクリートダムです。ダムの幅は約110m、高さは約33mもあり、当時は日本最大のダムでした。山岳部にこのような大型のダムを建設するのは国内初で、資材は全て手作業で運び込まれ、可能なものは現地調達されました。建設は、並大抵の苦労ではなかったとされています。
表面には、歯飾り(デンティル)と呼ばれる装飾も付けられました。

石を積み上げたように見えますが、コンクリートの表面に石を貼り付けた装飾です。

ダムのてっぺん。立ち入り禁止です。

ダム湖。

各種銘板。以前は国登録有形文化財だったんですね。

管理用の橋。下流に向かってダムの左側に設置されています。ダムが満水になった時、溢れた水がこの橋の下を通って、放水路に流れ込むようになっています。

明治33年(1900年)に完成した五本松堰堤には、予想外に多くの土砂が流れ込んでしまいました。そこで造られたのが、この放水路隧道(ほうすいろ ずいどう)です。隧道とはトンネルのことで、この隧道は、土砂が含まれた濁流を、ダムをバイパスして下流の放水路に流すためのものです。放水路は元々、五本松堰堤(ダム)が満水になった時に溢れた水を流す水路で、下流を向いてダムの左側に設けられていました。隧道の完成は明治41年(1908年)。長さ約264m、幅、高さは共に約3m。トンネルの壁と床の表面はセメントと石で仕上げられています。(トンネル内の画像はこちら)
上流側の隧道の入口です。縦横3mくらいの正方形。これが重要文化財であることをハイキングする人にアピールする気は全くないようで、現地案内看板などはありません。

隧道のすぐ上流の放水路。幅は6〜7mくらい? 石がゴロゴロしています。

こちらは隧道の下流側出口。地図・赤14。これ以上接近することはできません。

出口直後の放水路。

ここで再び、ダムの左岸にある放水路(画像右側)と、その上にある管理橋。放水路は元々、ダム(画像の左側)から溢れた水が、管理橋の下を通って流れ込むためのものでした。


これよりも上流にある分水堰堤隧道(川の流れをバイパスするトンネル)から流れてきた水が川の上流に逆流しないようにするための、アーチ式コンクリートダムです。幅約31m、高さ約8m。元々は、上流から流れてくる土砂をここで堰き止める砂防ダムとして建設されました。完成は明治41年(1908年)。水道施設の中で最後に建設されたと思われます。
上の画像は、2010年9月に訪れた時の写真。
画像左側が下流で、すぐそばに分水堰堤隧道の出口があります。右側が上流。
で、下がこないだ、10年ぶり(2020年9月)に行ったきた時の写真。幅は、パッと見て10mちょっと。31mもあるようには見えません。両端部が地面の中に埋まっているからです。


ハイキングコースのすぐ横にあるのですが、その気にならないと存在にも気づかない、まあ、地味〜なダムです。でも周辺の川の水は澄んだコバルト色で、とても綺麗です。
今回はここまでにします。
次回は、最後の3つの施設、分水堰堤、分水堰堤附属橋、分水堰堤隧道をご紹介します。
文化財分布マップ
(全国の全ての国宝、重要文化財建造物の詳細位置をプロットしています)
このページは、
放水路隧道に関する神戸市公式サイト
締切堰堤に関する神戸市発行文書
文化庁国指定文化財等データベース
現地案内看板
などの記述を参照しています。