【世界遺産|旧集成館 反射炉跡】 行き方、見学のしかた (鹿児島県)
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江戸時代末期の1851年、薩摩藩主となった島津斉彬(しまづ なりあきら)は、日本が西欧列強から植民地化されるのではないかと危惧していました。これを防ぐため、西欧の科学技術を導入し「集成館(しゅうせいかん)事業」という近代化事業を推進。その中核となったのが、日本初の洋式工場群「集成館」でした。そして、集成館で最初に築かれたのが、鉄製の大砲鋳造に必要な、この反射炉でした。薩摩藩は、欧米列強の艦船から国を守るには大型のカノン砲を並べた砲台要塞が必要であると考えましたが、当時の日本には大砲を鋳造するのに必要な量の鉄を溶かす技術がありませんでした。そこで、西洋にあった反射炉に着目したのです。オランダ人ヒュゲニンの図面を頼りに自力で反射炉建設に着手。反射炉は、炉内で焼いた木炭の炎をドーム型の天井で反射させ、その強い熱で鉄を溶かし、大砲の鋳型に流し込む施設です。数万個の耐火レンガを使った炉の重量に耐えるため、在来の石工技術で切石を組んで頑丈な基礎を作り、薩摩焼の技術で耐火レンガを焼き、炉の材料としました。この反射炉が作られたときは鎖国の時代で、海外の実物を見ることも、外国の技術者に話を聞くこともできない中、オランダの書籍だけを頼りに建造されました。1852年に1号炉の建設が始まりましたが、耐火煉瓦が崩れるなどして失敗。続いて建設された2号炉は1857年に完成し、鉄製砲の鋳造に成功しました。そして反射炉の周囲に溶鉱炉やガラス工場など様々な工場が整備されました。斉彬が築いた集成館は、1863年の薩英戦争でイギリス艦艇の攻撃を受け焼失しました。その後再建されましたが、それも明治10年(1877年)に大半が焼失。今は反射炉2号炉の基礎部分が残っています。平成27年(2015年)には、機械工場、旧鹿児島紡績所技師館と共に、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つに登録されました。
アクセス
旧集成館反射炉跡は、赤マーカー5
スマートフォンで地図の右側が見にくい場合は、画面を横向きに
旧集成館 反射炉跡は、国の名勝、仙厳園の中にあります。
バス
JR鹿児島中央駅 東口バスターミナルから、いわさきコーポレーションのバスを利用。
「仙巌園前」バス停(上の地図・青1)下車。
仙厳園入口はバス停の目の前。
ただし、鹿児島中央駅東口バスターミナルののりば、バスの系統、行き先表示、料金、所要時間はバラバラで、いわさきコーポレーション公式サイトを見ても、地域住民向けでイマイチ使いづらいです。
NAVITIME バス乗換案内ページの出発地に「鹿児島中央駅」、目的地に「仙巌園前」を入力し検索してみてください。
(ちなみに、Google Mapの乗換案内機能には、鹿児島交通バスの情報は未登録です)
全ての系統を合わせて1時間に数本の運行頻度。170〜190円。
鹿児島交通のバスでは、全国共通交通系ICカードは使用不可(2020.1)。
現金での支払いは硬貨のみ。両替はバス車内でできますが、1,000円札以外の紙幣は両替不可。
中央のドアから乗り、前から降ります。運賃は降車時に払います。
駐車場
施設付属の有料駐車場があります。
入口は上の地図、青マーカー1。
1日300円。
収容台数100台。
このほか周辺に駐車場多数。
最新情報は、仙厳園公式サイトを参照してください。
見学のしかた
旧集成館反射炉跡は、仙厳園の敷地内にあります。
仙厳園についての最新情報は、仙厳園公式HPを参照してください。
2020.1
[開園時間] 8:30〜17:30
[入園料] 大人 1,000円
[休園日] 年中無休
1 こんな感じで、土台だけが残っています。
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3 土台の上に登ってみました。
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5 大きな四角い石が緻密に並べられています。
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8 反射炉の土台部分。人が通れないほどの細い隙間がありました。
9 古そうな石碑ですね。
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11 現地案内看板
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13 世界遺産の案内看板。
14 こちらは反射炉跡のそばにあったレプリカ。縮小版です。
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17 反射炉周辺にあった小さな社。
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23 仙厳園は海のすぐそばにあり、そこからは桜島が正面に臨めます。
文化財分布マップ
(全国の国宝、重要文化財建造物の詳細位置をプロットしています)
このページは、
文化庁国指定文化財等データベース
現地案内看板
現地配布パンフレット
などの記述を参照しています。
by h9w457y8i
| 2020-05-10 05:43
| 鹿児島
|
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