銘苅墓跡群 (沖縄県 那覇市)


サイトマップ沖縄県 江戸時代以前の文化財銘苅墓跡群

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伊是名殿内墓

銘苅墓跡群(めかる はかあとぐん)は、沖縄グスク時代(1100〜1400年代後半)から琉球王府時代(1429〜1879年)、明治時代と、非常に長い期間にわたって造られた、たくさんの墓が集まっている場所です。その中には、沖縄地方における大型の墓の典型的な形、亀甲墓(かめこうばか)のうち、県内最大規模の伊是名殿内(いぜなどぅんち)の墓もあります。近年の区画整理で伊是名殿内をはじめとする一部の古い墓が保存されることになりましたが、他の墓は那覇市教育委員会により、平成2年(1990年)から平成15年(2003年)まで、断続的に発掘調査されました。調査が進むにつれ、様々な形の墓が330基以上発掘され、その成立が1300年代~1400年代に遡ることなどが明らかとなりました。
伊是名殿内(いぜなどぅんち)の墓は、伊是名、伊平屋(いへや)両島の総地頭(そうじとう=上流士族)、伊是名家の墓です。銘苅墓跡群の中にあって他の墓とはその規模、造形などが大いに異なる亀甲墓(かめこうばか)です。面積約660㎡の県内最大級の亀甲墓で、その規模、建造技術は沖縄県の墓の中でも傑出しており、道教(風水)の思想を基につくられています。墓庭を囲む石垣には「相方(あいかた)積み」を用い、隅には突出した石「隅頭(すみがしら)」があり、上級士族の屋敷囲いの石積みを彷彿とさせます。入口には、本門と中門の二つの門があり、入口をクランク状につくることにより、ヤナカジ(悪い風)が直接墓本体に当たらない工夫が施されています。この墓は、その外観より18世紀代の様式のものである事がうかがえます。亀甲墓は17世紀に中国南部から伝わり士族階級に広がり、18世紀代に沖縄において独自の発達をして完成された墓で、この墓はその特徴をよく表している代表的な墓と言えます。
平成19年(2007年)、銘苅墓跡群は国の史跡に指定されました。
文化庁国指定文化財等データベース、現地案内看板


アクセス

那覇バス 10系統 「なは市民協働プラザ前」バス停下車。下の地図のマーカー2。1時間に2本。
バス停から現地まで、徒歩約2分。

那覇バスの時刻表、運賃は、バスロケーションシステムHPへ。
那覇バスを含む沖縄のバス路線図は、バスマップ沖縄のサイトを参照。バス会社の公式サイトではないけれど、すべてのバス会社の路線を網羅しており、とても見やすく使いやすいです。


施設付属駐車場はない。
伊是名殿内墓の西隣りに新都心公園があり、その専用駐車場が使える。入口は下の地図、マーカー3。


スマートフォンの方はこちらのマップ


伊是名殿内墓周辺は公園として整備されており、常に見学可能。


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文化財分布マップ

by h9w457y8i | 2018-01-28 08:31 | 沖縄 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。