【重要文化財】 旧佐々木家住宅 (神奈川県 川崎市) 行き方、見学のしかた
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佐々木家住宅があったのは、八ヶ岳の東、千曲川の流れに沿った現在の長野県八千穂町の山あいの高冷地です。決して豊かな土地ではありませんでしたが、佐々木家は村の名主を交替で勤める有力農家でした。この家の建築に関してはたくさんの古文書が残されており、新築、移築、増築の過程が詳しくわかるとても珍しい例です。江戸時代半ばの1731年、代官所に家屋新築の普請願いが出され、その11年後には、村が川の氾濫によって大きな被害を受けたので、高台への村の移転に合わせて、無事だった佐々木家も移築された、という記録が残っています。更に、1747年には客座敷を増築したことも分かっています。畳敷きの座敷はL字型に配置され、鍵座敷と呼ばれますが、これは江戸時代後期の東日本の上層農家に見られる形式で、当時としては先進的な間取りでした。また居住性を良くするために、差物と呼ばれる長い梁の一種を使用して、柱の省略がかなり進んでいます。このように、江戸時代の民家としては建築過程が詳しくわかる珍しい存在であること、佐々木家があった地方ではもっとも進んだ間取りや建築技法が採用されていることがとても貴重であると評価され、昭和42年(1967年)、国の重要文化財に指定されました。日本民家園内には、昭和40年(1965年)に移築されています。
川崎市教育委員会公式サイトに、更に詳しい解説が載っています。
川崎市立日本民家園へのアクセス、見学のしかたは、こちらのページへ。
旧佐々木家住宅は、赤マーカー3
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5 増築の結果、幅は25mにもなりました。農家としてはとても大きな造りです。

9 家の正面、ドマに面した入口です。窓がなく、閉鎖的に思えますが、古民家の土間って、こんな感じが多いです。

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11 一方、居住部分の正面は、エンガワと掃き出し戸が連なり、開放的な造りです。

12 家のこちら側は、格が高い座敷が並んでいます。

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3 茅葺の屋根。

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2 屋根の板葺の部分には、風で飛ばされないように石が乗っかってます。

27 家の土間側だけが、このような兜造(かぶとづくり)になっています。採光のための作りで、東日本の農家に見られます。普通は養蚕の場所ですが、この家では下男部屋があります。

18 ドマとオカッテ。家族の生活の場でした。にしては、かなり薄暗いです。自分はこういう雰囲気、大好きですが。

21 ドマには二階がありました。下男部屋や物置などに使われたようです。

17 ドマから、オカッテ、チャノマ、そして座敷方向。最初に建てられた時の板の間は、ここまで広くはありませんでした。

7 オカッテと囲炉裏。

22 お魚の形をしているのは、鍋などを引っ掛ける自在鉤です。

19 オカッテの隣のチャノマ。神棚と仏壇があります。

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16 屋根裏。天井がないのは、やはり農家なので、格を高く見せないため、なんでしょうか。

6 左がナカノマ、右がマエノデザシキ、その奥がオクノザシキ。座敷がL字型に配置されています。1747年の増築でこの形になりました。

23 マエデノザシキと、その奥はオクノザシキ。接客スペースですね。

24 マエデノザシキと、その奥はナカノマ。

25 家の中でもっとも格式の高い、オクノザシキ。床の間があります。代官所の役人と接するための部屋だったのでしょうか。

26 オクノザシキに面した、来客専用のお便所。

1 マエデノザシキに面したフロバ。来客専用で、家の裏側ではなく、正面がわにあります。

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4 フロバの外には、排水口が見えます。

15 現地案内看板

なお、部屋の表記に漢字が使われていませんが、これは現存する他の古民家でも同じです。かつての農家では家族の間で部屋がどう呼ばれていたかの記録がほとんどなく、口承によるものだからです。
文化財分布マップ
(全国の国宝、重要文化財建造物の詳細位置をプロットしています)
このページは、
川崎市立日本民家園
川崎市公式サイト
文化庁国指定文化財等データベース
現地案内看板
現地配布パンフレット
などの記述を参照しています。
by h9w457y8i
| 2020-06-18 15:31
| 神奈川
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