仏法寺跡 (神奈川県 鎌倉市)

サイトマップ神奈川県 江戸時代前の文化財仏法寺跡

1


仏法寺跡(ぶっぽうじ あと)は、神奈川県南東部、鎌倉市中央部の西側山稜部に所在する、西大寺流律宗極楽寺の13世紀後半から17世紀中頃の有力末寺(まつじ)の寺院跡である。北西側は谷を挟んで極楽寺に続き、北側には極楽寺坂が通っている。極楽寺忍性(にんしょう)は13世紀後半に極楽寺坂を開削し、仏法寺に住して請雨法を修したと伝えられている。仏法寺跡の山稜は、地元では霊鷲山(りょうじゅさん)、霊山と呼ばれており、江戸前期頃の「極楽寺境内絵図」には霊山の山頂付近に仏法寺と請雨池が描かれている。元弘3年(1333年)の鎌倉攻め関係史料には「鎌倉霊山寺」とあり、一帯は激戦地の一つであった。鎌倉市教育委員会の発掘調査により、山頂部付近で葬地、供養遺構を、平場(画像1)で礎石建物堂舎跡、池跡等を検出した。13世紀後半から16世紀のかわらけ、陶磁器、石塔類、火葬骨等が出土し、池跡からは柿経等も出土した。極楽寺の寺伝では、明暦3年(1657年)に仏法寺の建物を移築して極楽寺の方丈にしたという。
仏法寺跡は、鎌倉幕府、北条氏の支援のもとで陸上・海上交通を支配した極楽寺の有力末寺の寺院跡で、元弘の鎌倉攻めの激戦地の一つでもあり、都市周縁部の葬送、供養関係の遺構も良好に残されており、我が国の歴史を考える上で重要である。
平成18年(2006年)、国の史跡に指定された。
文化庁国指定文化財等データベース


アクセス

仏法寺跡は人が普段立ち入るようなところではなく、アクセスのための道は、獣道同然の険しい山道しかない。
特殊な装備は不要だが、真夏でも長ズボン、長袖、運動靴、そして顔や服が蜘蛛の巣だらけになる覚悟が必要。

スマートフォンの方はこちらのマップへ。



江ノ島電鉄 極楽寺(ごくらくじ)駅から、徒歩約20分。

2 ↓ 極楽寺駅を出たところ。すぐ目の前の階段を登る。

階段を登り始めるとすぐに二股に分かれるので、右へ。

3 ↓ 登り始めて20mくらい行くと、目の前に墓地が広がる。その墓地の一番右(南西角)の、岩澤家のお墓へ。赤◯で囲ったところ。


4 ↓ 岩澤家のお墓。


5↓ お墓の裏に、うっすらと獣道が見える。それをたどって山に入る。


6 ↓ しばらく、非常に急な登り斜面が続く。道らしい道はないが、とにかく木が少ない部分を縫うようにして上に上がって行く。道の近くの木にはところどころに赤いビニールテープが巻いてあり、目印になる。


7


8 ↓ 高低差20mほど?登り切ると、細い尾根道に出る。


9

10 ↓ 尾根道の所々には、このような境界の杭がある。それも目印になる。


11 ↓ 途中、非常に急な登りの斜面がいくつかあり、そこにはビニールのロープが張ってあった。画像では斜度が分かりづらいが、スキー場の上級者コースくらいか。

12 ↓ 墓地から歩くこと20分ほど。尾根道の下に広くひらけた場所が見えてきた。これが仏法寺跡の平場。平場が見えてくると、道は平場に向かって急な下り坂となる。


13 ↓ 平場に着いた。平場は東が海、西が山。北東側には由比ヶ浜が見渡せる。


14 ↓ 平場の南西側。


15 ↓ 山側。恐ろしいほどの勢いで蔓性の雑草が生い茂っている。


16 ↓ 平場はかつて発掘調査がなされており、そのときの写真には柱の跡の穴などがみられる。ただ、現在の平場はこれら画像のように雑草に覆い尽くされ、そのような柱の跡が見られないどころか、足を踏み出しても地面に足がつかない(17)。草の上をふわふわ歩く感じ。


17 ↓ 草の上に足を踏み出して平場の真ん中に歩いて行こうとしたが、草の中に体ごと埋まってしまうのが怖くてやめておいた。

18 ↓ 途中の道とこの平場が観光スポットとして整備されれば、きっと絶景ポイントとして有名になることだろう。



なお、仏法寺跡とは何の関係もありませんが、極楽寺駅から極楽寺坂を長谷の方に下っていったところに、雰囲気のある和菓子屋さんがありました。「力餅家」。江戸時代から続く老舗。
19

柔らかい餅の上にこし餡が乗ったあんころ餅は、甘すぎず、素朴で優しい味わいでした。オススメです。
20

文化財分布マップ


by h9w457y8i | 2018-01-01 06:16 | 神奈川 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。