【重要文化財|誠之堂】 行き方、見学のしかた (埼玉県)
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アクセス
誠之堂は青マーカー5
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誠之堂は、深谷市大寄公民館の敷地内にある。元は東京都世田谷区にあったものを、1998年にこの地に移設した。
徒歩の距離が最も短い行き方 = バス利用
JR深谷駅 北口から、深谷市が運行するコミュニティーバス「くるリン」の北部定期便に乗車。バスというか、バン。
JR深谷駅北口のバス乗り場は、上の地図・青2。
運行頻度は1時間に1本程度。
乗車時間 40分。
料金 200円。
「大寄(おおより)公民館」停留所下車、現地まで徒歩1分。
大寄公民館停留所。

くるリンの時刻表など詳細は、深谷市公式サイトを参照。
駅から徒歩
JR深谷駅から徒歩約50分(3.7km)。遠い...。
駐車場
誠之堂は、深谷市大寄公民館の敷地内にある。
公民館の無料駐車場を利用できる。
収容台数 37台。
駐車場入口。「誠之堂」の看板が道路から見える。

見学のしかた
開館時間、休館日などの情報は、深谷市公式サイト内、誠之堂案内ページを参照。
2017.3では、9:00〜16:30開館、休館日は12/29〜1/3。
見学無料。
誠之堂のすぐ隣にある大寄公民館で受付を済ませてから見学する。
ガイドの方の解説もあり。時間は決まっておらず、受付でガイドをお願いすると、すぐにボランティアの方?がガイドを始めてくれる。
大寄公民館入口。

建物の説明
誠之堂(せいしどう)は、大正5年(1916年)、渋沢栄一の喜寿(77歳)を記念して第一銀行行員たちの出資により建設された。
渋沢栄一は現在の深谷市に生まれ、株式会社組織による企業の創設、育成に力を入れ日本の近代経済社会の基礎を築いたが、その拠点となったのが第一国立銀行であり、明治29年(1896年)に同行が第一銀行となってからはその初代頭取を務めた。
栄一は、喜寿を迎えるのを機に第一銀行頭取を辞任したが、誠之堂の建築には栄一が同行の行員たちから深く敬愛されていたことが伺われる。
「誠之堂」の命名は、栄一自身によるもので、儒教の代表的な経典の一つ「中庸」の一節「誠者天之道也、誠之者人之道也(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)」にちなんだものである。
設計者は、当時の建築界の第一人者であった田辺淳吉。誠之堂の設計にあたっては、条件とされた「西洋風の田舎屋」で「建坪は30坪前後」を守りつつ、独自の発想を凝縮してこの建物を造り上げた。
建築面積(1階の床の面積)112㎡、煉瓦造平屋建て、天然スレート(石の一種)葺き。外観はイギリス農家を模しながらも、室内外の装飾に、中国、朝鮮、日本などの東洋的なデザインを取り入れるなど、様々な要素が盛り込まれ、それらがバランスよくまとめられている。
平成15年(2003年)、国の重要文化財に指定された。

暖炉の後ろ側にあたる北側の壁面には、レンガによる朝鮮風の装飾積みで「喜寿」を文字を表している。また、外壁にはあえて色むらのあるレンガを使用し、リズミカルに配置することで、装飾性と変化を与えている。
なお解体の際に、外壁、基礎の各所から「上敷免製」の刻印のあるレンガが発見され、これらのレンガは深谷市上敷免にある日本煉瓦製造株式会社で焼かれたものであることが確認された。

化粧の間や大広間の窓のステンドグラスは目を引く。大広間のものの図案は森谷延雄(もりやのぶお)による。
中国風の珍しい題材で、漢時代の貴人と侍者、それをもてなす歌舞奏者と厨房の人物たちの像は、栄一を貴人にみたてて喜寿を祝う情景と考えられてる。

大広間の円筒形の漆喰天井(ヴォールト天井)は、石膏レリーフにより、雲、鶴、松葉の縁、寿の文字が配されて朝鮮風、一方、次之間の天井は日本的な網代天井で、数寄屋造りの様式を取り入れている。
誠之堂は、東京都世田谷区瀬田にあった第一銀行の保養・スポーツ施設「清和園」の敷地内に建てられていたものを現在地に移築・復元したものである。
清和園は当時あまり公開されることのなかった建築物であったが、建築研究者や建築関係者の間では、いずれも日本近代建築史上、対象時代を代表する建築物として高い評価を受けていた。
建築後は、銀行関係者のための集会施設として長い期間利用されていた。昭和46年(1971年)、清和園の敷地の半分以上が聖マリア学園に売却され、昭和50年代には、誠之堂は外国人教師の住まいとして貸し出された。建物や敷地は銀行(当時の第一勧業銀行)の所有であったが、平成9年(1997年)、学園の施設を広げる計画に伴い、誠之堂を取り壊す検討がなされた。渋沢栄一生誕の地である深谷市は、数少ない栄一にゆかりの貴重な建造物が取り壊されるのを見過ごすことはできず、譲り受けに名乗りを上げ、深谷市に移転することができた。
しかし、このような文化財的価値の高い建築物、特にレンガ構造物の移築は、日本でも初めての試みだったため、深谷市では移築保存検討委員会を設置し、移築方法などの検討を重ねた。その結果、「大ばらし」を応用した日本初の工法により実施することを決定した。これは、レンガ壁をなるべく大きく切断して搬送し、移築先で組み直す工法である。平成10年(1998年)2月から2年間の解体・復元工事を経て、平成11年(1999年)8月に復元が完成した。
以上、現地配布パンフレット、現地案内看板、深谷市公式サイトより。
管理人のおすすめポイント
正直に言います、この文化遺産に関してはこれといってオススメなところは...。
深谷市の渋沢栄一に対する並並ならぬ思い入れ、誇りはわかります。日本初の工法を使って東京からこの建物を移築したのも、さぞかし大変だったことでしょう。ですが、大正時代の建築に見られるような、良い意味での枯れた感じ、長い年月・風雪に耐えた感じ、文化遺産の趣きがほとんど感じられません。パッと見、おしゃれだけど一般の住宅、と言われても違和感がありません。すぐ隣にあるピカピカな鉄筋コンクリートの公民館や立派な運動場と、この建物の間に、ちょっとボリュームのある生垣とか植生を作るなどして、風情を出す工夫ができたのではないか、と残念に感じてしまいました。
深谷市にゆかりのある方には、渋沢栄一の偉業に想いを馳せる静かな場所として、いいかもしれません。
文化財分布マップ
by h9w457y8i
| 2017-06-08 07:28
| 埼玉
|
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