【重要文化財|日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設】 アクセス・見学のしかた


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アクセス(行き方)

見学のしかた

遺産の説明

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ホフマン輪窯六号窯は、保存修理工事のため2024年まで閉鎖しています。詳細は深谷市公式サイトを参照。


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ホフマン輪窯 六号窯



アクセス




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歩く距離がもっとも短くなる行き方 =バス利用

JR深谷駅 北口から、深谷市が運行するコミュニティーバス「くるリン」の北部定期便に乗車。バスというか、バン。
運行頻度は1時間に1本程度。
乗車時間 20分。
料金 200円。
「せきね商店前」下車、現地まで徒歩1分。
くるリンについての詳細は、深谷市公式サイトを参照。



駅から徒歩

JR深谷駅 北口から、徒歩約50分(4.1km)。
徒歩ルートは上の地図の紫の線。



駐車場

施設付属駐車場あり。無料。収容台数 約10台。
駐車場の入口は、上の地図の青色アイコン。

駐車場入口。
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見学のしかた



開館日、開館時間は深谷市公式サイトを参照。
2017.3 見学可能日は土・日のみ。時間は09:00〜16:00。見学は無料。


旧事務所は煉瓦資料館となっていて、日本煉瓦製造株式会社の歴史や煉瓦が作られる工程などが解説されている。
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見学の目玉、「ホフマン輪窯(わがま)六号窯」は、こんなふうにトタン張りの建屋で覆われており、外観は全く風情がない。
煙突はかつては煉瓦造りだったが、大正12年(1923年)の関東大震災で崩れ、その後コンクリート造りになっている。
建屋の中に入るには、煉瓦資料館(旧事務所。重要文化財)の中に詰めているボランティアガイドの方の案内が必要。
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建屋の中はこんな感じ。ヘルメットをかぶり、ガイドの方の説明を聞きながら見学する。写真撮影は自由。
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旧変電所(重要文化財)は駐車場から歩いて接近可能。内部は非公開。
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備前渠鉄橋(びぜんきょ てっきょう。重要文化財)は、煉瓦資料館入口のすぐそばの道から接近する。橋は通行可能。橋の詳細位置、橋へのアクセスは上の地図を参照。
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文化財の説明


国指定重要文化財「日本煉瓦(れんが)製造株式会社旧煉瓦製造施設」は、「ホフマン輪窯(わがま)6号窯」、「旧事務所」、「旧変電室」、「備前渠鉄橋(びぜんきょてっきょう)」の、4つの建造物で構成されています。平成9年(1997年)に重要文化財の指定を受けました。

日本煉瓦製造株式会社は、近代的な官庁街や鉄道等の整備を強く推進していた明治政府の意向を受け、明治21年(1888年)に操業を開始しました。当地で製造された煉瓦は、東京駅丸ノ内本屋や旧東宮御所(現迎賓館赤坂離宮)旧醸造試験所第一工場などに使用されており、日本の近代化に大きく寄与しました。しかし、時代とともに煉瓦需要が減少したこと、安価な外国産煉瓦の市場拡大を原因として、平成18年(2006年)、約120年の歴史に幕を下ろしました。
残された4つの建造物は日本煉瓦製造株式会社の事業清算の際に埼玉県深谷市に寄贈され、現在、市が所有、管理を行っています。また、市ではこれらの施設の保存・活用のための作業を進めています。

現存するホフマン輪窯は、明治40年(1907年)に竣工し、運転を始めた窯です。ドイツ人フリードリヒ・ホフマンが1858年に特許を得たと言われている窯で、昭和26年(1951年)には日本全国で50基がありましたが、現在では栃木県下都賀郡野木町、京都府舞鶴市、滋賀県近江八幡市にそれぞれ1基が現存するのみで、全国では4基しか残されていない貴重なものです。
そのうち、栃木県に残っている旧下野煉瓦製造会社ホフマン輪窯は国の重要文化財に指定され、一般公開されています。
ホフマン輪窯は、一度火をつけたら夜間でも炭を入れ続けなければなりません。このため職員は3交代制で就業し、昭和43年(1968年)まで稼働していました。操業中は窯の中の温度は1,000度を超えていました。
現在残っている6号窯は、関東大震災で崩れた煙突を鉄筋コンクリート造りに改め、3階部分の乾燥室が撤去されています。窯の周囲はトタン板で覆っていますが、現在も当時の覆屋の部材(木材)が残されています。

以上、深谷市公式サイト、現地案内看板、現地配布パンフレットより。
公式サイト掲載のパンフレットには、日本煉瓦製造株式会社の歴史や煉瓦窯のはたらきなどについて、かなり詳細に解説されている。


↓ 旧事務所
工場内で「異人館」「教師館」と呼ばれていたように、ドイツ人煉瓦製造技師ナスチェンテス・チーゼが、令嬢クララと暮らしていた事務所兼住宅。工場創始以来の建物として重要な建造物といえる。チーゼ自らが設計したとされ、明治21年(1888年)に竣工。当初は別の場所にあり、それ以来3回の曳家移転がなされ、現在の位置となった。チーゼが明治22年(1889年)に帰国した後は、工場の事務所として使用された。昭和53年(1978年)から会社が閉業する平成18年(2006年)までは、会社の沿革を示す資料を展示する資料館となっていた。
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↓ 旧変電室
明治39年(1906年)に高崎水力電気株式会社と契約を結び、電燈線を引いた時に建設された。この時期は、多くの産業で電灯・電動機の使用が広がりつつあったが、一般家庭にはまだ電灯はなく、現在の深谷市で最初に電灯線が引かれたのはこの煉瓦工場であったとされる。
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↓ 備前渠鉄橋
明治28年(1895年)、小山川・利根川水運に変わる煉瓦輸送手段として、煉瓦工場と深谷駅の間を結ぶ専用鉄道線が開通した。「備前渠」は埼玉県北部を流れる県内最古の農業用水路で、この鉄橋はその上にかけられ、プレート・ガーター橋と呼ばれるタイプ。線路があった場所は現在遊歩道となっている。
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管理人のおすすめポイント


2017.3の時点では、正直、外観はイマイチ。トタン板で覆われた工場はもちろん、旧事務所も塗装が剥げていたりして、「瀟洒な洋風建築」、といった趣きはあんまりありません。
ですが、旧事務所の内部は手入れが行き届いていて、明治時代の建物の雰囲気を味わえます。展示されている資料も充実。
そして、何と言ってもホフマン輪窯の内部がこの見学の見どころ。大人一人がかがんでやっと通れる窯の入口から中に入ると、巨大な煉瓦造りの空間がずっと奥の方まで続いていて、なんか洞窟を探検するようなワクワク感を味わえました。窯内部の様子はフォトギャラリーをご覧ください。

さらに健脚の方は、JR深谷駅から現地まで続く、かつてのレンガ運搬用鉄道の線路跡を利用して作られた遊歩道を歩いてみてはいかがでしょう。のんびり歩いて片道1時間。ハイキングにはオススメです。
遊歩道の位置は こちらのGoogle Map 参照。紫色の線が引いてあります。


文化財分布マップ


by h9w457y8i | 2017-06-03 06:23 | 埼玉 | Comments(0)

日本だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。


by h9w457y8i

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