横浜・みなとみらいにある重要文化財、「ハマのドック」を見学に行く!
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アクセス(行き方)
見学のしかた
船渠ってなに? なぜ重要文化財に?
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第一号船渠
アクセス
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第一号船渠(せんきょ=ドック)と第二号船渠は100mほど離れている。
第一号船渠は「日本丸メモリアルパーク」として整備されており、ドック内にはかつて練習船として活躍した帆船、日本丸が係留されている。第一号船渠へのへのアクセスは、日本丸メモリアルパーク公式サイト内、交通案内ページを参照。
● 徒歩の距離が最も短い行き方
JR桜木町駅から
南改札の東口から行くのがわかりやすいと思う。徒歩約4分。東口を出ると目の前にバスターミナルがあるので、その右側、「桜木町駅前」信号へ。すると海のほうにひときわ目立つ巨大なビル「横浜ランドマークタワー」が見えるので、そっちの方向へ。するとすぐに日本丸が見える。(桜木町駅前からランドマークタワーに直接行ける巨大歩道橋へのエスカレーターを上ると遠回りになる。東口を出た人たちはみんなそっちに行くけど)
● 他の駅から徒歩
みなとみらい線、みなとみらい駅から。
改札口から徒歩約6分。日本丸メモリアルパーク公式サイトに、改札口から現地までの詳細な行き方が写真付きで解説されている。
● 駐車場
施設付属駐車場はない。第一船渠、第二船渠周辺は横浜有数の観光地であり、周辺には多数の有料駐車場がある。NAVITIME公式サイト、駐車場案内ページ参照。
普通の週末なら駐車できるが、ゴールデンウィークをはじめ、連休中など観光客が集中する時期はどこも満車状態となるのでクルマでのアクセスはおすすめできない。

第一号船渠
見学のしかた
第一船渠も第二船渠も屋外にあって、周辺は横浜有数の観光地のパブリック・スペースとして整備されている。なので、いつでも見学が可能。
第一船渠には帆船・日本丸が係留されている。日本丸の乗船・見学に関しては日本丸公式サイト参照。

第二号船渠
横浜船渠の説明
船渠(せんきょ)とは、陸の上で船の修理や整備をするためのドックのことです。
江戸時代末期、安政6年(1859年)の横浜開港のあと、日本の貿易は飛躍的に発展しました。港を出入りする船の数が増えるにしたがい本格的な港の施設が必要となり、その一つとして船の修理用ドックの建設が計画されました。明治22年(1889年)に横浜船渠株式会社が設立。ドックの設計はイギリス人技師、H.S.パーマーの計画に基づき、海軍技師、恒川柳作が担当しました。ドック建設には神奈川県真鶴(まなづる)産の小松石(安山岩)が使われ、明治29年(1896年)には第二号船渠が、明治31年(1898年)には第一号船渠が竣工しました。
当初、横浜船渠株式会社はこれらのドックで日本郵船が所有する船の検査や修繕を主に行っていましたが、次第に外国船や海軍艦艇も手がけるようになっていきました。1904年〜05年の日露戦争、大正3年(1914年)の第一次世界大戦での造船業の発達と並行して会社は発展。横浜市民から「ハマのドック」と呼ばれて親しまれました。しかし、日本海軍の軍艦を減らすことを定めた大正10年(1921年)のワシントン海軍軍縮条約締結で受注は激減、更に2年後(1923年)の関東大震災では施設の大半を失い、数年間の休業を余儀なくされてしまいました。国や横浜市の支援でなんとか復活、その後、国の威信をかけた大型豪華客船建造にチャレンジしましたが、それによって多くの設備投資が必要となり、会社の経営を圧迫するようになりました。1929年の世界恐慌に端を発する翌昭和5年(1930年)以降の昭和恐慌で会社の経営は更に傾いてしまい、昭和10年(1935年)、会社は日本郵船の仲介で三菱重工業株式会社と合併、三菱重工業横浜船渠(のちに、三菱重工業横浜造船所)となったのでした。
昭和40年代(1965年〜)に入ると、船の大型化、小型船修繕の中小造船所への移行等により、二つのドックの使用頻度が急速に低下。その結果、第二号船渠は昭和48年(1973年)に、第一号船渠は昭和57年(1982年)にその役目を終え、昭和58年(1983年)、造船所はドックのある場所から移転することになりました。
二つのドックは、建設当時には国内で最も大きな規模の明治時代の代表的ドライドックです。第一号船渠では大正期に、船の大型化に対応するための延伸工事が行われており、明治・大正時代のドックを造る技術を知る上で、価値の高いものです。また、国・横浜市、そして民間の会社が力を合わせることにより実現した、横浜港の修築第一期工事の最後を飾る土木構造物で、近代横浜が都市として形成される歴史から見ても、重要な産業遺産と言えます。
これらのことが評価され、第二号船渠が平成9年(1997年)に、第一号船渠が平成12年(2000年)に、国の重要文化財に指定されました。
ドライドックとは、船が入ったらドック内の海水を排水して、船の修理や検査を行うドックのことです。ドックの後方にある扉船(とせん)を開けて船を入れたあと、扉船を閉めて扉船内部に海水を入れてドックの底に着床させ、ドック内の海水を抜き、検査や船体の水面下部分の修理、外板や船底の清掃、塗装など、船の手入れを行いました。
第二号船渠の扉船。
第一号船渠
建設当初の長さは約168mだったが、横浜港に入港する船舶の大型化に伴い、大正7年(1918年)にドックの渠頭部(船首方向のドック先端部分)を内陸方向に延長し、約204mになった。幅約39m、深さ約11m。明治32年(1899年)5月から昭和57年(1982年)12月までの83年間に、数千隻の船の修理を行った。昭和58年(1983年)の造船所移転に伴い横浜市の所有となり、昭和60年(1985年)からは、日本丸メモリアルパーク内で、航海練習船を引退した帆船日本丸(昭和5年(1930年)竣工)を係留するドックとして保存、活用されている。
←第一号船渠の扉船
第二号船渠
民営のものとしては、現存する国内最古の石造乾船渠(ドライドック)。長さ約107m、幅約29m、深さ約11m。昭和63年(1988年)、ウォーターフロント再開発地区「みなとみらい21」構想を持っていた横浜市と、所有者の三菱地所が共同調査を行い、その結果、ランドマークタワー計画の中で、解体・復元による保全活用が決定された。平成5年(1993年)、イベントスペース「ドックヤード・ガーデン」として再生した。現在の規模はオリジナルよりも10mほど短くなり、位置も北東方向(海側)に約30m移動している。
以上、文化庁国指定文化財等データベース、日本丸メモリアルパーク公式サイト、現地案内看板より。
管理人のおすすめポイント
第一号船渠の日本丸は、全長約97m、海面からマストの一番高いところまでの高さが46m。世界最大級の帆船です。特に、年に10回ほど行われる「総帆展帆」(帆を張った状態の展示)の迫力・美しさは、まさに圧巻。「太平洋の白鳥」「海の貴婦人」というニックネームにふさわしく、近くを通りがかる全ての人の足を止めてしまう。そう言っても過言ではないでしょう。また、繋留保存されてから30年以上経ちましたが、今すぐにでも走り出せそうな、複雑で迫力満点のリギング(帆を張ったり動かすためのロープ)、ぴかぴかに磨かれた艤装(船を動かすための装備)の数々。いつ見ても、カッコイイ!とため息が出てしまいます。
日本丸のフォトギャラリーはこちら。
今の港湾施設ではなかなか見られない、ごつごつした石の壁やレンガ造りのドックの様子も、歴史ある日本丸と相まってとてもいい感じです。
一方の第二号船渠は、日本で2番目に高いビル、横浜ランドマークタワーに隣接していて、現在は「ドックヤードガーデン」として、しばしばイベントに活用されています。昼間は、深さが11mもあるドックの底を歩いて明治時代の巨大な産業遺産を肌で感じ、そのあと、ドックの石と石の間にあるドアを通ってその裏側にあるレストラン街でランチ。そして夜には、大規模なプロジェクション・マッピングが開催されており(2017.3)、こちらもオススメです。
ドックのフォトギャラリーはこちら。
船、特に帆船と、明治・大正時代の産業遺構が大好きな管理人にとってはまさにツボな、横浜のベスト・ポイントの一つです。
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by h9w457y8i
| 2017-04-06 09:29
| 神奈川
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