【重要文化財】 明治丸  アクセス・見学のしかた 公式HP補足情報

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アクセス(行き方)

見学のしかた

管理人のおすすめポイント

明治丸ってどんな船?

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  アクセス


明治丸は東京海洋大学越中島キャンパスの中にある。
東京海洋大学公式サイト、越中島キャンパスへのアクセス案内ページ

見学用マーカー付き Google Map
明治丸の位置、大学入口、駅の各出口をマークしてある。


徒歩の距離が最も短い行き方
JR越中島駅 出口1(階段のみ)から、東京海洋大学正門経由、徒歩約5分(350m)。
JR越中島駅 出口4(エレベーター)から、東京海洋大学正門経由、徒歩約6分(400m)。


他の駅から徒歩
都営地下鉄大江戸線 および 東京メトロ有楽町線 月島駅(つきしま) 出口2(階段のみ) または 出口4(階段のみ)から、東京海洋大学正門経由、徒歩約12分(900m)。
月島駅 出口6 および 出口7 付近のエレベーター出口から、徒歩約14分(1km)。

都営地下鉄大江戸線 および 東京メトロ東西線 門前仲町駅(もんぜんなかちょう) 出口4(エレベーター)から、東京海洋大学正門経由、徒歩約12分(900m)。


駐車場
施設付属駐車場はない。
NAVITIME 駐車場検索ページにて、「明治丸」で検索。300〜400mの範囲に有料駐車場多数あり。

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←東京海洋大学 越中島キャンパス 正門






  見学のしかた


外観のみの見学については特に情報なし。大学の正門が開いている間はいつでも可能と思われる。
正門脇には守衛所があり、そこで「明治丸を見学したい」と言うと、快く「どうぞどうぞ、中に入って、ごゆっくり自由にご見学ください」と言われた。身分証提示、来訪者署名などもない。

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← 正門脇に設置された越中島キャンパス内案内図。クリックで拡大。


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明治丸内部も、毎週火曜日と木曜日に一般公開されている。無料。ただし、入れない日もある。
見学時間、休館日などの詳細については、東京海洋大学公式サイト、明治丸紹介ページ参照。

← 明治丸の横には甲板に上がる階段が設置されていて、見学できるときは階段の門の鍵が開いており、この門を開けて階段を上がり、自由に中を見ることができる。



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← 画像の右側の建物が、100周年記念資料館。明治丸の歴史などが、豊富な画像と共に紹介されている。

ガイドツアーあり。
画像に写っている大きな錨のそばに入口があり、そこにボランティアの方が常駐している。その方々にお願いすると、詳しく分かりやすい解説付きで、明治丸の中を案内してもらえる。オススメ。





  管理人のおすすめポイント

陸に上がった帆船って、どうなの? 大学の中にあるのって、気分的に行きづらくない?
明治丸は帆船ですが、今では陸の上に安置・保存されています。そんなの見てもつまらない、と思うかもしれませんが、さにあらず。
建造されたのは140年以上前ですが、近年大幅な改修工事を受け、甲板上の構造物や、マストや帆を張るためのロープなどの艤装は忠実に再現され、見応えは十分。そして船の周りは、とてものんびりした雰囲気に包まれています。大学の敷地内ではあるものの、明治丸の周辺にはベンチや広い広場があって、学外の一般の人もそこでくつろぐことができます。実際、自分が見学した時には赤ちゃん連れのお母さんが子供を広場で遊ばせていました。

見学所要時間 30分〜1時間

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← 帆船がお好きなら、首都圏では横浜・みなとみらいの日本丸がオススメです!

日本丸自体は文化財指定を受けていませんが、
日本丸が係留されているドック、「旧横浜船渠(せんきょ)株式会社第一号船渠」は、国の重要文化財に指定されています。

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← また、東京海洋大学の品川キャンパスには、東京海洋大学の前身、農商務省水産講習所の練習帆船「雲鷹丸」(うんようまる)が、国の登録有形文化財として陸上に定置保存されています。外観は自由に見学できますが、内部は非公開となっています。






  明治丸の説明


明治丸は、明治政府が英国グラスゴーのネピア造船所に燈台巡廻業務用に発注し、明治7年(1874年)に竣工した鉄船(現在の船はすべて鋼船)で、翌8年(1875年)横浜に回航されました。
一等飛脚船同様の出来と言われたこの船は、特別室やサロンを備えた豪華な仕様の新鋭船で、単に燈台業務ばかりでなく、ロイヤルシップ(天皇の御用船)の役目も兼ねていました。明治天皇はじめ多くの高官が乗船し、わが国近代の重要な場面で活躍しました。
なかでも明治8年、小笠原諸島の領有権問題が生じた際に、日本政府の調査団を乗せ、英国船より早く小笠原に到達しました。このことによって、小笠原諸島はわが国の領土となったのです。その後の沖ノ鳥島、南鳥島の領有を含め、日本は領海と合わせて世界第6位となる447万k㎡の排他的経済水域を確保することとなりました。その約3分の1に当たる約150万k㎡が東京都小笠原村に属しています。
また、 明治9年、明治天皇が東北・北海道巡幸の際、青森から乗船され函館を経由し7月20日に横浜に安着されました。この日を記念して昭和16年(1941年)に「海の記念日」が制定され、平成8年(1996年)に国民の祝日「海の日」となりました。
およそ20年間、燈台巡廻船として活躍した明治丸は、明治29年(1896年)に商船学校(本学の前身)に譲渡されました。それからは係留練習船として昭和20年までの約50年間に、5000余人の海の若人を育てました。大正12年(1923年)の関東大震災や、昭和20年(1945年)の東京大空襲では、被災した多くの住民を収容し、災害救援にも貢献しています。
昭和53年(1978年)には、わが国に現存する唯一隻の鉄船であり、鉄船時代の造船技術を今に伝える貴重な遺産として、国の重要文化財に指定されました。船としての重要文化財指定は明治丸が初めてです。
その後、老朽化が進んだため、再び平成25年(2013年)12月より、本学と文部科学省により大規模修復工事が行われました。平成27年(2015年)3月に竣工し、その美しい姿がよみがえりました。

なぜ陸の上にあるの?
明治丸が船として海の上を航行していたのは、建造されてから22年後の明治29年(1896年)まで。その年に明治政府から東京海洋大学の前身、商船学校に貸与され、永久係留された状態で練習船として使われるようになりました。
その後、大正6年(1917年)の大型台風で岸に打ち上げられ動けなくなってしまい、船と海の間に現在も残る防潮堤が建設され、そのときから陸の上の船となりました。
←現地案内看板、およびツアーガイドの方の説明

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← 海と船の間にあるコンクリートの壁が、1920年ごろに建設された防潮堤。

by h9w457y8i | 2017-02-16 05:15 | 東京 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。