【重要文化財|明治丸】 行き方、見学のしかた 明治時代の鉄の帆船 (東京都)
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1 アクセス詳細情報
1-1 アクセスマップ
1-2 公共交通機関
1-3 駐車場
2 見学のしかた
2-1 開館時間・休館日など
2-2 ガイドツアー
3 訪れた時の様子 (画像での紹介)
4 明治丸の説明
5 問い合わせ
1 【アクセス詳細情報】
1-1 アクセスマップ
明治丸はマーカー7
スマートフォンで地図が見にくい場合は、画面を横向きに
1-2 公共交通機関
JR「越中島」(えっちゅうじま)駅から、東京海洋大学正門経由、徒歩約5分(350m)。
都営地下鉄 および 東京メトロ「月島」(つきしま)駅から、東京海洋大学正門経由、徒歩約12分(900m)。
都営地下鉄 および 東京メトロ「門前仲町」(もんぜんなかちょう)駅から、東京海洋大学正門経由、徒歩約12分(900m)。
1-3 駐車場
大学構内に、見学者用駐車場はありません。
300〜400mの範囲に時間貸駐車場が多数あります。
NAVITIME 駐車場検索ページで、明治丸 と検索してみてください。
2 【見学のしかた】
2-1 見学一般情報
明治丸は、東京海洋大学の越中島キャンパス内にあります。
外観のみの見学は、大学の正門(地図・5)が開いていればいつでも見学可能だと思います。
内部見学の最新情報は、東京海洋大学公式サイト内、明治丸案内ページを参照してください。
2019.9
[開館時間]
4〜9月 10:00〜16:00
10〜3月 10:00〜15:00
ただし、最終入館は閉館の30分前まで。
[入館料]
無料
[休館日]
毎週日・月・水・金曜日、祝日。
ただしイベントなどで臨時開館あり。
詳細は見学可能日カレンダーを参照。
[見学所要時間]
30分〜1時間。
内部見学は下記のガイドツアーのみで可能です。
2-2 ガイドツアー
明治丸のすぐ横にある百周年記念資料館で見学を申し込むと、ガイドの方が内部を案内してくださいます。
料金は無料です。
百周辺記念資料館の裏には、明治丸記念館があり、そこで明治丸の歴史について詳しく知ることができます。
3 【訪れた時の様子】
東京メトロ 有楽町線 月島駅で地下鉄を降りて、2番出口(地図・マーカー2)で地上に出ました。
そこから北東方向に、まっすぐ5分ほど歩くと。
1 運河の橋の上から、大きな帆船が見えました。

確かに、堤防の陸側に船があります。
更に大学の方に進むと。
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3 更にまっすぐ行くと、50mも行かないうちに、大学の正門へ到着。地図・5

4 前身は「東京商船大学」。明治時代から続く、船の幹部乗組員を養成する学校でした。

5 校舎からも歴史を感じます。昭和7年(1932年)に建てられたそうです。

正門脇には守衛所があったので、そこで「明治丸を見学したい」と申し出ました。
すると、快く「どうぞどうぞ、中に入って、ごゆっくり自由にご見学ください」と言われました。
身分証の提示や、来訪者リストへの記名などは求められませんでした。
6 正門脇には、こんな地図があります。

7 また、こんな案内看板もありました。

自分はGoogle Mapを頼りに行きましたけど。
正門から1分も歩かないうちに。
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17 マスト(甲板から縦に伸びている、帆を張るための大きな柱)は、3本あります。

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24 この縄のあみあみは、マストに登るためのハシゴ代わりです。

25 これは、舵ですね。

見学者用と思われる階段があったのですが。
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ということなので、明治丸のすぐ横にある「百周年記念資料館」へ。地図・6
入口のそばに受付があり、ボランティアのガイドの方つきで、見学できるということでした。
内部見学は無料。
外の階段を上がって、甲板に入ります。
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船中に張り巡らされた、おびただしいロープ。
帆や桁を動かすための動くロープと、マストを支えたり人が登ったりするための固定されたロープが、かなり複雑に入り組んでいます。
平成27年(2015年)の大規模な復元工事を経て、当時の様子が忠実に再現されているそうです。
こんな滑車も、いたるところに付いています。
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38 船首にある、イカリを巻き上げる装置。

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46 特別室。

47 配膳室。

48 重要文化財指定書。

首都圏で見学できる帆船
横浜みなとみらいの 日本丸
東京海洋大学 品川キャンパスの 雲鷹丸
4 【明治丸の説明】
明治丸は、明治政府が英国グラスゴーのネピア造船所に燈台巡廻業務用に発注し、明治7年(1874年)に竣工した鉄船(現在の船はすべて鋼船)で、翌8年(1875年)横浜に回航されました。
一等飛脚船同様の出来と言われたこの船は、特別室やサロンを備えた豪華な仕様の新鋭船で、単に燈台業務ばかりでなく、ロイヤルシップ(天皇の御用船)の役目も兼ねていました。明治天皇はじめ多くの高官が乗船し、わが国近代の重要な場面で活躍しました。
なかでも明治8年、小笠原諸島の領有権問題が生じた際に、日本政府の調査団を乗せ、英国船より早く小笠原に到達しました。このことによって、小笠原諸島はわが国の領土となったのです。その後の沖ノ鳥島、南鳥島の領有を含め、日本は領海と合わせて世界第6位となる447万k㎡の排他的経済水域を確保することとなりました。その約3分の1に当たる約150万k㎡が東京都小笠原村に属しています。
また、 明治9年、明治天皇が東北・北海道巡幸の際、青森から乗船され函館を経由し7月20日に横浜に安着されました。この日を記念して昭和16年(1941年)に「海の記念日」が制定され、平成8年(1996年)に国民の祝日「海の日」となりました。
およそ20年間、燈台巡廻船として活躍した明治丸は、明治29年(1896年)に商船学校(本学の前身)に譲渡されました。それからは係留練習船として昭和20年までの約50年間に、5000余人の海の若人を育てました。大正12年(1923年)の関東大震災や、昭和20年(1945年)の東京大空襲では、被災した多くの住民を収容し、災害救援にも貢献しています。
昭和53年(1978年)には、わが国に現存する唯一隻の鉄船であり、鉄船時代の造船技術を今に伝える貴重な遺産として、国の重要文化財に指定されました。船としての重要文化財指定は明治丸が初めてです。
その後、老朽化が進んだため、再び平成25年(2013年)12月より、本学と文部科学省により大規模修復工事が行われました。平成27年(2015年)3月に竣工し、その美しい姿がよみがえりました。
なぜ陸の上にあるの?
明治丸が船として海の上を航行していたのは、建造されてから22年後の明治29年(1896年)まで。その年に明治政府から東京海洋大学の前身、商船学校に貸与され、永久係留された状態で練習船として使われるようになりました。
その後、大正6年(1917年)の大型台風で岸に打ち上げられ動けなくなってしまい、船と海の間に現在も残る防潮堤が建設され、そのときから陸の上の船となりました。
海と船の間にあるコンクリートの壁が、1920年ごろに建設された防潮堤。



5 【問い合わせ】
明治丸の見学についての問い合わせは、東京海洋大学 越中島事務室 施設管理係へ。
メールアドレス e-sisetu@o.kaiyodai.ac.jp
電話番号 03-5245-7311
(e-mailでの問い合わせが原則)
このページは、以下の記述などを参照しています。
東京海洋大学公式サイト
文化庁国指定文化財等データベース
現地案内看板
ツアーガイドの方の説明
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by h9w457y8i
| 2021-11-19 07:27
| 東京
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