三井石炭鉱業株式会社三池炭鉱宮原坑施設 概要

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国指定重要文化財

b0212342_12461739.jpg第二竪坑 巻揚機室

竣工 : 明治34年(1901年)
構造および形式等 : 煉瓦造、建築面積 127.1㎡、スレート葺、巻揚装置1基及びウィンチ1基を含む。
重要文化財指定 : 平成10年(1998年)

b0212342_12480580.jpg第二竪坑 櫓

竣工 : 明治34年(1901年)
構造および形式等 : 鋼製櫓、高さ21.33m、コンクリート造基礎部附属
重要文化財指定 : 平成10年(1998年)




この地で石炭を産出することは近世より知られていたが、近代に入って一度国有化され、その後三井に払い下げられた。宮原坑第二竪坑は明治34年(1901年)、万田坑第二は明治41年(1908年)の竣工で、いずれも石炭を送り出すための第一竪坑とは別に、人員の昇降などを主目的として作られたもので、櫓や巻き上げ機室、附帯設備などが残っている。




1889(明治22)年、三池炭鉱は明治政府から三井に払い下げられました。そして三池炭鉱において三井が最初に独自開発を行った坑口が宮原坑でした。 1894(明治27)年、勝立坑の排水に成功した三池炭鉱事務長の団琢磨(だんたくま)は、宮原と万田付近に新坑掘削の必要性を上申し、1898(明治31)年に宮原坑第一竪坑(主に揚炭・入気)、同じく1901(明治34)年、第二竪坑(主に人員の昇降・排気)が完成しました。勝立坑(かったちこう)と同じくデビーポンプを設置、深さ約160メートルの竪坑から坑内水を汲み上げ、既存坑の七浦坑の排水難も解消され、深部展開が可能となりました。

 明治から大正にかけて年間40万トンから50万トンの石炭を掘り出していた宮原坑は、三池集治監(今の刑務所)に収監されていた囚人の労働力を利用するためにつくられたもので、囚人たちからは、その厳しい労働から別名「修羅坑」とも呼ばれていました。

現存する第二竪坑の櫓は、高さ22m、イギリスから輸入された鋼材を使用し、2基のケージ(昇降機)を備えていました。当初は蒸気で巻胴を動かしていましたが、後に電動モーターに切り替わります。現在のモーターは1933(昭和8)年製で万田坑から持ってきたものです。レンガ造の巻室は一見平屋建てのように見えますが。1階部分は埋め殺して巻胴のアンカー(基礎)となっています。このほかデビーポンプ室の壁の一部が残っています。

 1930(昭和5) 年、国で坑内での囚人労働が禁止されたことを受けて、翌年には、宮原坑も閉坑となります。あわせて三池刑務所(元三池集治監)が閉庁、熊本刑務所に合併されます。施設は順次規模を縮小していきますが、その後も、坑内水の汲み上げや坑内の定期点検のために使用され、1997(平成9)年三池炭鉱が閉山した後も第二竪坑は2000(平成12)年ごろまで坑内の点検のために稼動していました。その後、竪坑はコンクリートの蓋で閉塞工事が行われています。

 明治期の炭鉱施設がよく残っていることが評価され、炭鉱施設としては初めて、1998(平成10)年に国の重要文化財に、2000(平成12)年に国の史跡に指定されています。平成12年度には大牟田市が公有化し、櫓(やぐら)は平成13年度に防錆塗装工事を実施しています。





by h9w457y8i | 2015-02-14 09:00 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。
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