【重要文化財】 披雲閣(旧松平家高松別邸) 概要

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ひうんかく(きゅうまつだいらけたかまつべってい)
本館
本館付倉庫
倉庫

国指定重要文化財
附指定:  裏門、袖塀 x2、井戸屋形、四阿(あずまや)x2

竣工: 大正6年(1917年)
構造および形式等: 木造、建築面積1,916.51㎡、一部2階建、入母屋造および寄棟造、南面車寄附属、桟瓦葺
設計: 清水組(現清水建設株式会社)
文化財指定: 平成24年(2012年)

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大書院


 江戸時代にもこの場所に、約2倍の規模で政務が行われる場所、藩主が生活する場所として「披雲閣」という名前の御殿がありました。現在の披雲閣は、明治維新後、老朽化を理由に取り壊された旧披雲閣を、高松松平家の第12代当主、松平賴寿伯爵が大正3年に再建に着手し、3年余りの歳月をかけ大正6年(1917年)に完成したものです。当時の新聞記事には「壮麗目を奪う」「瀬戸内海の一大建造物」といった見出しが躍りました。
 この建物は松平家の別邸として建てられましたが、その一方で、香川を訪れる賓客をもてなす迎賓館としての役割も持ちあわせていました。建築的特色としては、伝統を踏まえた意匠は近世以来の正統的書院造としていささかの破綻もなく、伝統技術と洋風技術が見事に融合された構造となっています。




 披雲閣は、高松市街の中心部、瀬戸内海に面して築かれた高松城旧三之丸に所在する。旧高松城主の松平家が別邸として建設したもので、施主は松平頼壽、設計と施工は清水組(現清水建設株式会社)が一括して請負い、大正3年(1914年)に着工、翌4年に上棟、同6年(1917年)に竣工した。披雲閣の名は、江戸時代に三之丸にあった御殿の呼称に由来する。

 敷地は、天守台の東側から北側にかけて鉤の手に築かれた旧三之丸で、江戸時代の構成に倣い、南面に開く桜御門跡を正門として敷地中央に住宅を建て、海に面した北側に庭園をつくる。庭園は、東京から庭師大胡勘蔵を招いて住宅の建設と同時に作庭したもので、築山や石組など一部に江戸時代の庭園の造形を残す。
 高松城跡は、昭和30年(1955年)3月2日付けで国指定史跡となっている。披雲閣の建物は、平成17年(2005年)10月6日付けで高松市指定有形文化財となっている。

 本館は、木造で、接客、居住、家政などの機能をもつ各部を渡廊下で接続しており、建築面積は1,916㎡に及ぶ。南を正面として玄関を構え、西から北へ蘇鉄の間、大書院、槙の間の各広間を並置し、北方の庭園を望む接客空間とする。玄関の北には杉の間、桐の間、松の間、藤の間が連なり、居住と宿泊に供する。玄関の北東には勝手と調理場、桐の間の東には浴室を設ける。廊下と渡廊下で囲まれた大小の中庭を配し、ゆとりのある平面を構成する。平面計画は、廊下も含めて一間六尺五寸の柱割で、一体的に設計されている。
 槙の間の二階を波の間とするほかは平屋建である。大書院は入母屋造の桟瓦葺で、蘇鉄の間、波の間と玄関は起りのついた入母屋造の桟瓦葺とし、玄関の正面西端に入母屋造の車寄を突出する。その他は寄棟造の桟瓦葺で、調理場には切妻造の越屋根を載せる。小屋組は、梁間の広い蘇鉄の間と大書院の二棟をトラス構造とするほかは和小屋である。

 蘇鉄(そてつ)の間は、東の18畳と西の21畳の二部屋からなり、四周に入側を廻し、さらに南西北の三方に濡縁を廻らす。室内は内法長押と蟻壁長押を廻し、入側境に障子欄間、部屋境に筬欄間を入れる。外廻りには、縦長に桟を割付けた特徴的なガラス障子を建込む。室内、入側とも拭板張で、天井は、室内を吹寄格天井、入側を棹縁天井とし、和風シャンデリアを備える。
 大書院は、28畳三部屋が東西に並ぶ。南東北の三方に入側を廻し、さらに四周に廊下を廻らす。西面の中央に入母屋造桟瓦葺の附属屋を出し、物置と便所を設ける。室内は、西面にトコを構え、北に付書院を設ける。内法長押と蟻壁長押を廻し、入側境に障子欄間、部屋境に筬欄間を入れる。トコは幅二間半、奥行一間の規模で畳敷とし框を黒漆塗で仕上げる。トコ脇には天袋と鳥居棚形式の違棚を配する。室内、入側とも畳敷とし、入側を含めた座敷の規模は142畳に及ぶ。天井は、室内、入側とも棹縁天井で、和風シャンデリアを備える。
 槇の間は、12畳半二部屋が東西に並び、南北に入側を設ける。さらに四周に廊下を廻らし、西側の中央に表階段、東側に裏階段を設ける。室内は、西面にトコを構える。内法長押と蟻壁長押を廻し、入側境に障子欄間、部屋境に筬欄間を入れる。
 波の間は、槇の間の二階にあたり、10畳二部屋が東西に並び、四周に幅一間の廊下を廻らし、東側に三畳の控室を設ける。室内は、西面にトコを構える。内法長押のみを廻し、入側境に障子欄間、部屋境に板欄間を入れる。
 槇の間と波の間の西面には入母屋造、桟瓦葺の附属屋を出し、1階に3畳の控室と便所、2階に6畳の茶室と便所を設けるほか、南面の西端にも寄棟造、桟瓦葺の附属屋を出して物置を設ける。槇の間と波の間とも室内と入側を畳敷とし、天井は棹縁天井とする。
 杉の間は、幅一間の中廊下の南北に各三部屋を配し、南側と北側に縁を通す。南列は西から8畳二部屋と六畳を並べ、西の8畳の西面にトコを構える。一方、北列は6畳三部屋で、各部屋にトコを構える。
 桐の間は、東から10畳、8畳、8畳の三部屋を並べ、東北西の三方に廊下を廻し、南側に縁を通す。東の10畳と中央の8畳は続き間として東面にトコを構え、西の八畳との境には押入を設けて限る。
 松の間は、10畳二部屋を東西に並べ、四周に廊下を廻す。室内は、西の部屋の西面にトコを構え、東の部屋の東面に押入を設ける。
 藤の間は、松の間の東側に矩折れに連なる。北から10畳、6畳、10畳の三部屋を並べ、西側に廊下を通し、東北隅に便所を設ける。室内は、北の10畳の北面に押入、中の部屋の東面に流し、南の部屋の南面に流しと押入を設ける。
 玄関は、西に車寄からつながる表玄関15畳、東に脇玄関六畳を構え、表玄関の北面の小壁に「披雲閣」の額を掲げる。両玄関の間には各10畳の二部屋からなる使者の間を設け、北側に幅一間の畳廊下を通す。各部屋と玄関との境はトコと押入を設けて限る。
 本館付倉庫は、浴室の南側に建つ蔵で、藤の間から延びる廊下の南端に接続する。木造、東西7.9m、南北4.9m、二階建、切妻造、桟瓦葺で西面に戸口を開く。小屋組は和小屋とし、外壁は下見板張で仕上げる。
 倉庫は、本館付倉庫の東南に建つ蔵で、大正末年の建築とみられる。木造、東西4.9m、南北9.8m、二階建、寄棟造、桟瓦葺で北面に戸口を開く。小屋組はトラス構造とし、外壁は擬石塗で仕上げる。
 裏門は、旧三之丸東面の石垣を切欠いて設けた通用門で、大正末年の建築とみられる。門柱のみの簡易な形式で、門柱間3.2m、鉄筋コンクリート造、擬石塗で仕上げ、北側の袖壁に潜戸を設ける。
 袖塀は、本館玄関棟の東西に設けた、円弧形平面を呈する切妻造、桟瓦葺の塀である。東袖塀は、延長14.4m、八間で、北寄り二間分を切欠き、裏門への通路を設ける。西袖塀は、延長42.2m、二三間で、南寄りに庭園につながる棟門を開く。
 井戸屋形は、本館調理場と倉庫の間に位置する、切妻造、桟瓦葺、四方吹放ちの建物である。
 四阿(あずまや)は、庭園の東西二箇所に設けられる。東四阿は宝形造、西四阿は寄棟造で、各杉皮葺、四方吹放ちの建物である。

 披雲閣は、江戸時代の城内の殿舎を意識した伝統的な建物の配置や意匠をもつとともに、様々な規模、形式の座敷による充実した接客空間を擁する近代の和風住宅であり、江戸時代の城跡に再建された希少な事例である。また、近代的な組織体制により、設計と施工の管理が徹底された住宅建築であり、大正時代における我が国の大規模木造建築の技術的水準を示すものとして重要である。

【参考文献】 『香川県の近代和風建築』(香川県教育委員会 2010年)



by h9w457y8i | 2014-02-06 07:46 | 香川 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。