クラーク記念館 概要
京都府/近代文化遺産リスト > 同志社(旧英学校、神学校及び波理須理科学校) > 概要 > クラーク記念館
竣工: 明治27年(1894年)
構造および形式: 煉瓦造、建築面積389.4㎡、桟瓦葺、西南隅塔屋(銅板葺)付
国指定重要文化財 指定: 昭和54年(1979年)
附指定: 建築仕様書等、建築設計書
新島襄が死去した翌年(明治24年、1891年)に亡くなった息子(B.S.Clarke)を記念して、ニューヨーク州ブルックリン市(現ニューヨーク市)在住のクラーク夫妻が、同志社のために捧げた寄付金をもとに建てられた神学館。2階の北側が礼拝堂として使われた。昭和38年(1963年)に現在の神学館が竣工するまで「クラーク神学館」と呼ばれ、神学教育の中心施設であった。亡くなったB.S.クラークを記念するタブレットには、”The study of the Word of God was dear to him.”とある。
設計は東京の「官庁集中計画」のためにお雇い建築士として日本に招聘されたドイツ人のゼール(R.Seel)で、来日前に手がけた西プロイセン州議会議事堂(現ポーランド、グダニスク市)を模して重厚なドイツ・ネオ・ゴチック調に仕上げられている。特に天を突くようにそそり立つ尖塔は、同志社のシンボル的存在となっている。施工は京都の棟梁、小嶋佐兵衛。
昭和54年(1979年)、仕様書をも含めて国の重要文化財に指定された。
〜文化庁国指定文化財等データベース、現地案内看板より
クラーク記念館のフォトギャラリーはこちら
竣工: 明治27年(1894年)
構造および形式: 煉瓦造、建築面積389.4㎡、桟瓦葺、西南隅塔屋(銅板葺)付
国指定重要文化財 指定: 昭和54年(1979年)
附指定: 建築仕様書等、建築設計書
新島襄が死去した翌年(明治24年、1891年)に亡くなった息子(B.S.Clarke)を記念して、ニューヨーク州ブルックリン市(現ニューヨーク市)在住のクラーク夫妻が、同志社のために捧げた寄付金をもとに建てられた神学館。2階の北側が礼拝堂として使われた。昭和38年(1963年)に現在の神学館が竣工するまで「クラーク神学館」と呼ばれ、神学教育の中心施設であった。亡くなったB.S.クラークを記念するタブレットには、”The study of the Word of God was dear to him.”とある。
設計は東京の「官庁集中計画」のためにお雇い建築士として日本に招聘されたドイツ人のゼール(R.Seel)で、来日前に手がけた西プロイセン州議会議事堂(現ポーランド、グダニスク市)を模して重厚なドイツ・ネオ・ゴチック調に仕上げられている。特に天を突くようにそそり立つ尖塔は、同志社のシンボル的存在となっている。施工は京都の棟梁、小嶋佐兵衛。
昭和54年(1979年)、仕様書をも含めて国の重要文化財に指定された。
〜文化庁国指定文化財等データベース、現地案内看板より
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by h9w457y8i
| 2013-12-06 05:37
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