【重要文化財】 那須疏水旧取水施設 解説

栃木県の近代文化遺産那須疏水旧取水施設 > 解説

国指定重要文化財
竣工: 明治38年(1905年)から明治39年(1906年)
文化財指定: 平成18年(2006年)
附指定: 疏水橋、東水門および西水門の門扉および巻上装置、一号・二号・三号護岸


b0212342_7151677.jpg東水門 
竣工 明治39年(1906年)  
石造水門、石造擁壁附属

b0212342_7155015.jpg西水門 
竣工 明治38年(1905年)  
石造水門、石造擁壁附属

b0212342_7161714.jpg導水路及び余水路 
竣工 明治38年  
石造

那須疏水旧取水施設は、水に乏しい那須野ヶ原開拓地の飲用・水田灌漑等を目的に建設された那須疏水の施設で、明治期有数の規模を誇る貴重な土木遺産である。
 明治18年と同38年にそれぞれ築かれた隧道の坑門を利用して整えられた東水門と西水門、同38年に建設された導水路及び余水路よりなり、いずれも那珂川の湾曲地点の右岸に位置する。導水路の東方、余水路の北方等に明治38年に築かれた石造の一号、二号及び三号護岸が残る。また、東水門の約290m東方の水路には同年に疏水橋が架けられ、その南橋詰には疏水橋建設の経緯を陰刻した『疏水橋之記』の石碑と、橋名及び建設年月が陰刻された親柱が残る。これらを附指定とする。

b0212342_7244186.jpg東水門は石造で、坑門の上方に架けた角材の上に、鉄製の門扉巻揚装置を設け、さらに半円アーチ形開口部を川に向かって開くほぼ台形平面の上屋を設けたもので、正面5.4m、高さ8.6mとし、乱積の基礎部分を除き全体を切石の布積で築く。

なお、『大正三年ヨリ 工事請負並設計書』(那須疏水土地改良区所蔵)に、那須鉄工所が大正15年3月12日に作成した、門扉及び巻揚装置に関する見積書と添付図面が残る。この門扉及び巻揚装置を附指定とする。


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西水門は石造で、坑門の上方に架けた角材の上に、鉄製の門扉巻揚装置を設けたもので、正面5.1m、高さ3.9mとし、導水路に対しやや斜めに構える。

背後には長方形の石碑を中央に嵌め込んだ擁壁を布積で築く。

坑門を水門に改めた年代は詳らかでないが、設置された門扉及び巻揚装置は東水門のものと類似していることから昭和初期と推定され、これを附指定とする。


左 導水路                    右 余水路
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導水路及び余水路は、巨大な自然石を利用して築かれた角落水門から、くの字形に屈曲して西水門に至る導水路と、西水門の手前からさらにL字形に屈曲し、再び那珂川に至る余水路よりなり、全体で延長209.8mとする。導水路は、敷幅約6m、側壁法勾配約五分とした台形断面の石造構造物で、側壁を谷積、底版を石敷とする。余水路は、底版を石敷とし、西水門の東方約10mの地点に水量調節及び排砂機能を有する水門を設ける。この水門を導水路及び余水路の附指定とする。東水門と同様に、前掲『大正三年ヨリ 工事請負並設計書』に那須鉄工所が作成した門扉及び巻揚装置に関する見積書と添付図面が残るが、現在撤去されている。
 
 明治期の大規模な灌漑水路施設としては、この那須疏水の他、明治用水(愛知県、明治13年)、安積(あさか)疏水(福島県、明治15年)、琵琶湖疏水(京都府、明治23年)、淡河疏水(兵庫県、明治24年)等が知られる。那須疏水は、昭和42年から平成7年にかけて実施された那須野ヶ原総合開発事業の一環として、大規模な改修工事が行われ、小規模な隧道を除けば、旧態を現在も保持するのは旧取水施設のみである。なお、那須野ヶ原開拓に関連する遺構としては、旧青木家那須別邸(明治21年、国指定重要文化財)、旧山縣有朋那須別邸(明治42年、栃木県指定有形文化財)、旧大山家那須別邸(明治末期、栃木県指定有形文化財)等がある。
 那須疏水旧取水施設は、水門及び導水路等が旧態を良好に保持して残り、近代における大規模水利施設の取水システムの構成を知る上で、価値が高い。明治政府の殖産興業政策を背景として開拓が進められた那須野ヶ原の基盤施設であり、明治期有数の規模を誇る那須疏水の代表的遺構として重要である。*5



明治9年(1876年) 那須岳の裾野に広がる那須野ヶ原が、内務省が実施した官営開墾適地調査において、安積(あさか)原野に次ぐ開墾候補地の一つに選定される。
明治11年(1878年) 那須野ヶ原が官有地に編入。士族授産政策を背景として開墾が進められる。
明治12年(1879年)以降、地元有力者の設立した那須開墾社を筆頭に、三島通庸、西郷従道、青木周蔵等の政府高官による大農場経営が行われる。
明治15年(1882年) 開拓の基盤施設として、栃木県が飲用水路を建設。竣工直後より破損を繰り返す。
明治18年(1885年) 内務省土木局疏水課が新たに疏水を建設。竣工後「那須疏水」と称される。取水口から千本松に至る約16kmの本幹水路、4本の分水路とそこから分かれる多くの支線水路が、約1万haにおよぶ那須野ヶ原の開拓地を潤した。
明治18年(1885年) 取水施設については、那珂川右岸(川上から川下に向いて右側)の絶壁に、東水門の原型となる取水隧道入口(第一次取入口)が設けられる。しかしこの取入口には水量調節や土砂流入防止の機能がなく、川の水かさが増えるとたびたび使えなくなった。
疏水橋の元となる橋が竣工。
明治38年(1905年) 取水口竣工以降の河床の変動や岩盤崩落を受け、那須疏水普通水利組合は、栃木県技師井上二郎の設計に基づき、第一次取入口の西方約200mの位置に新たに取入口(第二次取入口)を建設。導水路から取り入れられた水が、西水門の原型となる第二隧道入口から取り入れられ、余った水が余水路を通って那珂川に戻る仕組み。
現在残る疏水橋が竣工。
明治39年(1906年) 第一次取入口から続く取水隧道を予備用として利用するため、坑門を石造に改める。
大正4年(1915年) 那珂川河床の変動に伴い、取水口が元の場所=第一次取入口に戻され、第三次取入口となる。
昭和3年(1928年) 第三次取入口に対し、水量調節施設の設置、上部へのアーチ型の石積み等の増設が行われ、現在見られる石組みの水門(東水門)となる。
昭和51年(1976年) 国営の那須野ヶ原総合開発の一環として、第三次取入口の北方30mの位置に取入口が新設(第四次取入口)。この西岩崎頭首工(にしいわさきとうしゅこう*1)建設に伴い、取水施設としての機能が廃止される。
平成13年(2001年) 旧取水施設周辺が那須疏水公園として整備される。*3

b0212342_9454046.jpg左 現地案内看板より。

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疏水橋(附指定*2)
竣工  明治38年(1905年)
構造・規模  石造単アーチ橋、幅3.2m、長さ13.1m

b0212342_9342935.jpg 那須疏水が開通した明治18年、最初の疏水橋が架けられ、地元の人々や疏水関係者等が利用した。しかし簡単な橋のため、時々修繕を必要とした。そこで明治38年、那須疏水取入口変更工事に合わせて永久橋を架けることとなり、那須疏水を管理する那須疏水普通水利組合似寄って、現在の疏水橋が造られた。当時としては大変豪華な橋で、その形から「めがね橋」とも呼ばれた。
その後橋の架かった道路は、那須温泉と塩原温泉を結ぶ道路として整備され、交通量の増加に伴いコンクリートで幅を広げ、アーチ部分の下方は疏水の改修工事に合わせて狭められた。平成7年(1995年)、下流部に隣接して新しい橋が架けられたことにより、疏水橋は増設したコンクリート部分を取り外し、原型に近い形で復元・保存された。
「疏水橋」と刻まれた角柱の石碑は、疏水橋の親柱(おやばしら。らんかんの端にある太い柱)。その近くにある石碑は、この橋の完成を記念して建立されたもので、建設の経過が刻まれている。かつては数10m北西に位置していたが、橋の復元と共に、現在の位置に移築された。*4




*1 用語解説参照。
*2 文化庁国指定文化財等データベースによると、附指定の情報は"なし"となっている。しかし、同データベースの当該施設詳細解説、および現地案内看板(フォトギャラリーに掲載)によれば、これらの施設が附として指定されている。
*3 参考資料  文化庁国指定文化財等データベース、現地案内看板(フォトギャラリーに掲載)、農林水産省公式サイト内当該施設案内ページ
*4 現地案内看板より(フォトギャラリーに掲載)
*5 文化庁国指定文化財等データベース内当該施設詳細解説より。


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Commented by chan luu 店舗 at 2013-10-28 11:56 x
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by h9w457y8i | 2013-05-08 09:40 | 栃木 | Comments(1)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。