【世界遺産】 ヴェルサイユ宮殿と庭園 概要
フランスの世界遺産 > ヴェルサイユ宮殿と庭園 > 概要
宮殿
大トリアノン
マリー・アントワネットの離宮
小トリアノン
王妃の村里
庭園

世界遺産に登録された範囲。
この地図はJPEG画像です。PDF(6.65MB)版のダウンロードはこちらのユネスコ公式サイトから。
色がついていてちょっとわかりにくいが、オレンジ色に塗られた部分の中心にある十字形の大きな水路(グラン・カナル)が目印になる。google map参照。
宮殿 Château de Versailles
この遺産は、パリ市街の南西、およそ20kmに位置する。バロック建築*1の代表的な建造物であるヴェルサイユ宮殿と、それに付随する離宮、ならびに広大な庭園からなる。
ヴェルサイユ宮殿は元々、17世紀前半にフランス国王ルイ12世が建てた煉瓦と石造りの小さな狩猟用の別荘だった。これを、”太陽王”ルイ14世の命を受け、当時のフランスを代表する著名な建築家、芸術家たちが大幅に増改築した。増築はル・ヴォー(Le Vau)によるものから始まり、庭園はル・ノートル(Le Notre)が手がけた。そして17世紀後半以降、ジュール・アルドゥアン=マンサール(Jules Hardouin-Mansart)により更に大幅かつ大胆に増改築。宮殿は広大な庭園に沿って670mも延長された。その巨大さ、豪華絢爛さは、絶対王政の象徴となった。

特に宮殿二階中央にある"鏡の間"("鏡の回廊"とも)は、ルイ14世スタイルとも呼ばれるフランス古典芸術の傑作として有名。豪華絢爛な装飾品が飾られた鏡の間は、訪れた人々に国王の権威を誇示する場となった。
やがて宮殿に宮廷と政府が移され、宮殿はフランス王政の中心となった。
18世紀末のフランス革命により国王一家は宮殿を後にし、19世紀中ごろからは、国王ルイ=フィリップの意向により歴史博物館として更なる改装を受けた。
宮殿の広間には、フランスの歴史上の大きな出来事を描いた数多くの絵画が運び込まれ、20世紀初頭までその数は増え続けた。
1624年 ルイ12世が、ヴェルサイユ宮殿の原型となる別荘を建築。
1661年 ルイ14世の命を受けたル・ヴォーにより、増築が開始される。
1678年 マンサールによる増改築が開始。
1682年 政府と宮廷がヴェルサイユ宮殿に移される。
1700年代、ルイ15世により、王の礼拝堂とオペラ劇場が建築。
1789年 フランス革命勃発。
1830年以降 フランス歴史博物館に改装。
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大トリアノン Grand Trianon

1687年から1688年にかけて、鮮やかなバラ色と白班が美しいカッラーラ産大理石とラングドック産大理石を使い、イタリア建築様式を採用してマンサールが建造した大トリアノンは、ルイ14世とその家族の別荘になっていた。ル・ノートルが手がけた花壇には、ヴェルサイユ宮殿の場合と同様に、マンサールによって改造と整備が加えられた。1749年には、ルイ15世がお抱えの建築家アンジュ・ジャック・ガブリエルにあずま屋とフランス式庭園を作らせる。

第一次大戦後、1920年に連合国とハンガリーの間の講和条約がここで調印された。この条約は「トリアノン条約」と呼ばれている。*2
1963年、シャルル・ドゴール将軍は大トリアノンの改築を指示。フランス共和国の迎賓館として利用できるようにすると共に、「森のトリアノン(トリアノン・スー・ボワ)と呼ばれる北翼に大統領の邸宅を設置した。
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マリー・アントワネットの離宮
ルイ16世の王妃、マリー・アントワネットは、宮廷の古いしきたりや窮屈な生活に嫌気がさし、宮廷から遠く離れた庭園の一角に自分専用の隠れ家となるスペースを建設させた。それが”マリー・アントワネットの離宮”であり、王妃に招待された者以外の立ち入りはできなかった。
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小トリアノン Petit Trianon
"マリー・アントワネットの離宮"の一角に建つ。元々はルイ15世が、公妾ポンパドール婦人のために1763年から1768年にかけて建造させたもの。設計はジャックザンジュ・ガブリエル(Jacques-Ange Gabriel)。建築様式は当時の最新流行だった「ギリシャ風」と呼ばれた新古典様式。簡素ながらも整然とした豪華さ、秩序、そして完璧さを備えていた。1774年、ルイ16世からその妻マリー・アントワネットに贈られ、彼女の隠れ家となった。
内装、特に上品な木工細工装飾には、ロカイユ様式からの逸脱も見受けられる。二階の謁見の間や王妃の居室で人々を出迎え、そこから中二階、そして最上階のアティッカ階にある王の居室へと続く。
2008年、時計メーカーのブレゲ社のメセナ活動により、全体的な補修が行われた。
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王妃の村里 La Demeure de La Reine
"マリー・アントワネットの離宮"の一部を占める、ノルマンディー地方の農村を模した村里。1783年から1787年にかけて作られた。単なる趣味の模造家屋ではなく、近くの農場を農夫が管理するための実際の農家として機能した。王妃はここで簡素な生活の中に喜びを見出し、自ら牛の乳搾りや釣りをして楽しんだという。村里は11軒の農家からなり、王妃の家、ビリヤードの家、私室のあった家、水車小屋、酪農小屋の5軒は、王妃とその客人たちのために使われた。その他、農場とその別館、納屋、鳩舎、酪農仕込小屋の4軒は農作業のために使われた。農場は村から離れた場所にあり、8頭の雌牛、1頭の雄牛、10頭の山羊、鳩といった家畜が飼われていた。そして1軒は家事専用に使われ、王妃の家や水車小屋に運ぶ夕食を準備するための料理保温小屋になっていた。


それぞれの家には小さな庭があり、キャベツ、カリフラワー、アーティチョークなどが植えられ、クマシデの生け垣と栗の木の柵で囲われていた。階段の手摺、回廊、バルコニーはサン=クレマンの陶器の壷で飾られ、白と青の壷にはヒヤシンス、ニオイアラセイトウ、ゼラニウムなどの花が植えられていた。小さな果樹園にはリンゴやサクランボの木が植えられ、家の壁や小道に木陰を落とす樹木のトンネルは、つる性の植物が這わせてあった。
また大きな湖の畔にそびえるマルルボローの塔は、ボート遊びや釣遊びに出かける際の出発点となっていた。
この村里は、建設当初から今日までほぼ完全な形を留めており、ごく最近、2006年から公開が開始された。
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庭園
1661年からアンドレ・ル・ノートルによって整備された庭園は、花壇、木立、彫像、泉水によって構成されており、均整の取れた「フランス式」庭園を代表するものである。その後、ジュール・アンドゥアン=マンサールが庭園に更に改造や整備を加えた。

庭園の整備には莫大な作業が必要であった。森林、牧草地、沼地でしかなかった場所に、花壇やオレンジ園、池、水路などを作るために、大量の土を運ぶ必要があった。土は手押し車に乗せて運ばれ、木はフランス全土から荷車によって運ばれた。何千人という人々が、時には一個連隊が丸々借り出されて、この大規模な造園工事を進めた。
太陽神アポロンの古代風の彫像が庭園のいたるところに配置されている。整然とした小庭園の向こう側には大庭園と水路が広がっており、徒歩やボート、自転車での散策、ハイキングなどを楽しむことができる。
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参考資料
ユネスコ公式サイト内、"ヴェルサイユ宮殿と庭園"案内ページ(英語)
Advisory body evaluation by ICOMOS in 1979
ヴェルサイユ宮殿公式サイト(日本語)
世界大百科事典
*1 用語解説参照。
フランスの世界遺産 > ヴェルサイユ宮殿と庭園 > 概要
宮殿
大トリアノン
マリー・アントワネットの離宮
小トリアノン
王妃の村里
庭園

この地図はJPEG画像です。PDF(6.65MB)版のダウンロードはこちらのユネスコ公式サイトから。
色がついていてちょっとわかりにくいが、オレンジ色に塗られた部分の中心にある十字形の大きな水路(グラン・カナル)が目印になる。google map参照。
宮殿 Château de Versailles
この遺産は、パリ市街の南西、およそ20kmに位置する。バロック建築*1の代表的な建造物であるヴェルサイユ宮殿と、それに付随する離宮、ならびに広大な庭園からなる。
ヴェルサイユ宮殿は元々、17世紀前半にフランス国王ルイ12世が建てた煉瓦と石造りの小さな狩猟用の別荘だった。これを、”太陽王”ルイ14世の命を受け、当時のフランスを代表する著名な建築家、芸術家たちが大幅に増改築した。増築はル・ヴォー(Le Vau)によるものから始まり、庭園はル・ノートル(Le Notre)が手がけた。そして17世紀後半以降、ジュール・アルドゥアン=マンサール(Jules Hardouin-Mansart)により更に大幅かつ大胆に増改築。宮殿は広大な庭園に沿って670mも延長された。その巨大さ、豪華絢爛さは、絶対王政の象徴となった。

特に宮殿二階中央にある"鏡の間"("鏡の回廊"とも)は、ルイ14世スタイルとも呼ばれるフランス古典芸術の傑作として有名。豪華絢爛な装飾品が飾られた鏡の間は、訪れた人々に国王の権威を誇示する場となった。やがて宮殿に宮廷と政府が移され、宮殿はフランス王政の中心となった。
18世紀末のフランス革命により国王一家は宮殿を後にし、19世紀中ごろからは、国王ルイ=フィリップの意向により歴史博物館として更なる改装を受けた。宮殿の広間には、フランスの歴史上の大きな出来事を描いた数多くの絵画が運び込まれ、20世紀初頭までその数は増え続けた。
1624年 ルイ12世が、ヴェルサイユ宮殿の原型となる別荘を建築。
1661年 ルイ14世の命を受けたル・ヴォーにより、増築が開始される。
1678年 マンサールによる増改築が開始。
1682年 政府と宮廷がヴェルサイユ宮殿に移される。
1700年代、ルイ15世により、王の礼拝堂とオペラ劇場が建築。
1789年 フランス革命勃発。
1830年以降 フランス歴史博物館に改装。
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大トリアノン Grand Trianon


1963年、シャルル・ドゴール将軍は大トリアノンの改築を指示。フランス共和国の迎賓館として利用できるようにすると共に、「森のトリアノン(トリアノン・スー・ボワ)と呼ばれる北翼に大統領の邸宅を設置した。
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マリー・アントワネットの離宮
ルイ16世の王妃、マリー・アントワネットは、宮廷の古いしきたりや窮屈な生活に嫌気がさし、宮廷から遠く離れた庭園の一角に自分専用の隠れ家となるスペースを建設させた。それが”マリー・アントワネットの離宮”であり、王妃に招待された者以外の立ち入りはできなかった。
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小トリアノン Petit Trianon
"マリー・アントワネットの離宮"の一角に建つ。元々はルイ15世が、公妾ポンパドール婦人のために1763年から1768年にかけて建造させたもの。設計はジャックザンジュ・ガブリエル(Jacques-Ange Gabriel)。建築様式は当時の最新流行だった「ギリシャ風」と呼ばれた新古典様式。簡素ながらも整然とした豪華さ、秩序、そして完璧さを備えていた。1774年、ルイ16世からその妻マリー・アントワネットに贈られ、彼女の隠れ家となった。内装、特に上品な木工細工装飾には、ロカイユ様式からの逸脱も見受けられる。二階の謁見の間や王妃の居室で人々を出迎え、そこから中二階、そして最上階のアティッカ階にある王の居室へと続く。
2008年、時計メーカーのブレゲ社のメセナ活動により、全体的な補修が行われた。
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王妃の村里 La Demeure de La Reine
"マリー・アントワネットの離宮"の一部を占める、ノルマンディー地方の農村を模した村里。1783年から1787年にかけて作られた。単なる趣味の模造家屋ではなく、近くの農場を農夫が管理するための実際の農家として機能した。王妃はここで簡素な生活の中に喜びを見出し、自ら牛の乳搾りや釣りをして楽しんだという。村里は11軒の農家からなり、王妃の家、ビリヤードの家、私室のあった家、水車小屋、酪農小屋の5軒は、王妃とその客人たちのために使われた。その他、農場とその別館、納屋、鳩舎、酪農仕込小屋の4軒は農作業のために使われた。農場は村から離れた場所にあり、8頭の雌牛、1頭の雄牛、10頭の山羊、鳩といった家畜が飼われていた。そして1軒は家事専用に使われ、王妃の家や水車小屋に運ぶ夕食を準備するための料理保温小屋になっていた。


それぞれの家には小さな庭があり、キャベツ、カリフラワー、アーティチョークなどが植えられ、クマシデの生け垣と栗の木の柵で囲われていた。階段の手摺、回廊、バルコニーはサン=クレマンの陶器の壷で飾られ、白と青の壷にはヒヤシンス、ニオイアラセイトウ、ゼラニウムなどの花が植えられていた。小さな果樹園にはリンゴやサクランボの木が植えられ、家の壁や小道に木陰を落とす樹木のトンネルは、つる性の植物が這わせてあった。
また大きな湖の畔にそびえるマルルボローの塔は、ボート遊びや釣遊びに出かける際の出発点となっていた。
この村里は、建設当初から今日までほぼ完全な形を留めており、ごく最近、2006年から公開が開始された。
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庭園
1661年からアンドレ・ル・ノートルによって整備された庭園は、花壇、木立、彫像、泉水によって構成されており、均整の取れた「フランス式」庭園を代表するものである。その後、ジュール・アンドゥアン=マンサールが庭園に更に改造や整備を加えた。

太陽神アポロンの古代風の彫像が庭園のいたるところに配置されている。整然とした小庭園の向こう側には大庭園と水路が広がっており、徒歩やボート、自転車での散策、ハイキングなどを楽しむことができる。▲ページの先頭へ
参考資料
ユネスコ公式サイト内、"ヴェルサイユ宮殿と庭園"案内ページ(英語)
Advisory body evaluation by ICOMOS in 1979
ヴェルサイユ宮殿公式サイト(日本語)
世界大百科事典
*1 用語解説参照。
フランスの世界遺産 > ヴェルサイユ宮殿と庭園 > 概要
by h9w457y8i
| 2013-04-25 10:04
| フランス
|
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