【世界遺産】 モン・サン・ミッシェルとその湾 修道院と大聖堂 内部
Mont-Saint-Michel and its Bay
(名称の日本語表記については、修道院と大聖堂 外観 記事の冒頭を参照)
708年から建設開始。13世紀ごろ、ほぼ現在の姿が出来上がる。*1
8~16世紀建築のロマネスク、ゴシック、ルネサンス各時代の様式を持つ。*4
世界文化遺産 1979年、登録。
「モン・サン・ミッシェルとその湾」関連の記事
修道院と大聖堂 外観
島内の町並み
見学メモ (アクセス方法・入場料などの観光案内)
モン・サン・ミッシェル観光局発行のパンフレット
モン・サン・ミッシェルの概要は、修道院と大聖堂 外観 記事を参照。

レンヌ駅からの直行バスを降り、島内の町並みを縫う狭い通りを抜けると、修道院に上る石の階段が見えてくる。



修道院入り口、要塞化が施された「哨兵の間」。*1
巡礼者たちはここで武器を置いて修道院の中に入ったが、王族や位の高い聖職者は、武器を携帯したままここを通ることを許された。*2


「哨兵の間」からは行き先が二手に分かれる。見学順路に沿って、右手へ。一番奥の、ほんのり明るい部分が「司祭館」

司祭館。かつてはここで修道僧が下層階級の人々や巡礼者たちを迎えていた。*1
現在では入館チケット売り場、インフォメーション、土産物売り場になっている。
オーディオガイド(日本語あり)もここで借りる。解説付きのツアーに参加していなければ、是非借りることをおススメする。
ここで入館料9ユーロと、オーディオガイド4.5ユーロの代金を支払い、一旦「哨兵の間」に戻る。
「哨兵の間」から「大階段」を上る。

長い大階段を上りきると、モン・サン・ミッシェルの頂上に建つ大聖堂*1(「修道院付属の教会」とも記載されている。*1)への入り口がある。
この大聖堂は西暦1000年から1010年にかけて建設され、約80mの土台の上に建っている。*1
そしてその土台の更に下は、8つの礼拝堂が支えている。*2

教会の身廊(しんろう)*3 にて。祭壇を安置するための、聖職者専用の空間、内陣方向を向いて撮影。

この内陣はかつてロマネスク様式だったが、1421年に崩壊した。イギリスとの百年戦争後、このようなフランボワイヤン様式のゴシック・スタイルで再建された。*1


ファサード*3方向。板張りヴォールト天井=薄い板で覆われた曲面天井。*1

身廊脇の側廊(そくろう)部分。典型的な交差ヴォールト天井*3。


祭壇部分。

聖堂の隅に置かれていたパイプオルガン。建物に付属しているのではなく、外から搬入されて置かれている、という雰囲気。オン・シーズンでは活躍するのだろうが。

大聖堂の北に位置する、列柱廊。ここから、教会、食堂、厨房、寝室、古文書保管室、そしてさまざまな階段につながっており、別の棟に行くための分岐点の役割を果たしていた。このギャラリーは、かつては修道僧の祈りと瞑想の場だった。祝祭日にはここで礼拝の行進が行われた。*1


列柱は重量を軽くするため、骨組には木材が使用されている。わずかにずれながら二列に組まれた小円柱が常に変化する視覚効果を生んでいる。*1



列柱廊にある海に面した大きな窓。足元まで開口している。今は転落防止用に分厚いガラスがはめ込まれている。未建設に終わった教会参事会室への連絡通路になる予定だった。*1

下からこの窓を見上げる。

食堂。ベネディクト会では、食事は沈黙のうちに摂らなければならなかった。

階段を下りていく。このような階段が修道院内部にはあちこちにあり、エレベーター、エスカレーター、車椅子用のリフトなどは一切ない。

螺旋階段の天井。非常に狭い。
「迎賓の間」。食堂の真下にあるこの部屋は、巡礼に訪れた王や貴族たちを迎えるためのものだった。*1

迎賓の間にある巨大な暖炉。

「太柱の礼拝堂」。ここは大聖堂の内陣の真下にあたり、内陣を支える土台として、15世紀半ばに造られた。*1
柱の太さは約6mもある。人影と比較するとその巨大さが分かる。


「礼拝堂」という名が付されているものの、礼拝堂として使われたことは一度もない。*2
上の二つの画像は露出を調節してあるので明るく見えるが、実際は下の画像のようにかなり暗く、不気味である。

「マルティヌス礼拝堂」。大聖堂の南側交差廊(身廊と内陣の間を横断する部分)の真下で、そこを支える土台として西暦1000年に造られた。*1


かつて修道僧の納骨堂があった通路には、大きな車輪が付けられてる。これは修道院が牢獄として使われていた1820年、囚人用の食料を上層に運搬するために設置されていたもので、中世の工事現場で使われていた車輪のレプリカである。

この車輪の中に囚人が二人入り、外部に設置された急斜面のスロープに沿って荷物を上げていた。
かなりの重労働だったらしい。*2

車輪そばのこの開口部からロープが外に出され、スロープにつながっていた。



「修道僧の遊歩場」。「西のテラス」と大聖堂北西部の真下にあたる。ロマネスク修道院の中軸ともいえる場所で、二つの身廊を持つ長い廊下。ここの丸天井は交差リブになっており、12世紀初頭に生まれたゴシック建築の到来を告げている。*1


「騎士の間」。列柱を支えるために建設され、ここで修道僧たちは仕事をしたり執務に励んだ。アヴランシュに保存されていた手書きの文献の数々が修道院に戻ってきており、見学ができる。*1



「騎士の間」の壁に設置された、オーディオガイドのための案内板。
「騎士の間」を抜けると、土産物店、そして入場チケット売り場に改装された「司祭館」に出る。
以上、見学ルートに沿って解説。
修道院の内部は正に立体迷路のように入り組んでおり、一方向のみの見学ルートでなければ迷ってしまうことは必至。
見学メモ
見学メモの記事を参照。
*1 モン・サン・ミッシェル観光局発行の現地配布パンフレットより
*2 現地オーディオガイドより
*3 用語解説へ
*4 Yahoo百科事典より
(名称の日本語表記については、修道院と大聖堂 外観 記事の冒頭を参照)
708年から建設開始。13世紀ごろ、ほぼ現在の姿が出来上がる。*1
8~16世紀建築のロマネスク、ゴシック、ルネサンス各時代の様式を持つ。*4
世界文化遺産 1979年、登録。
「モン・サン・ミッシェルとその湾」関連の記事
修道院と大聖堂 外観
島内の町並み
見学メモ (アクセス方法・入場料などの観光案内)
モン・サン・ミッシェル観光局発行のパンフレット
モン・サン・ミッシェルの概要は、修道院と大聖堂 外観 記事を参照。

レンヌ駅からの直行バスを降り、島内の町並みを縫う狭い通りを抜けると、修道院に上る石の階段が見えてくる。



修道院入り口、要塞化が施された「哨兵の間」。*1
巡礼者たちはここで武器を置いて修道院の中に入ったが、王族や位の高い聖職者は、武器を携帯したままここを通ることを許された。*2


「哨兵の間」からは行き先が二手に分かれる。見学順路に沿って、右手へ。一番奥の、ほんのり明るい部分が「司祭館」

司祭館。かつてはここで修道僧が下層階級の人々や巡礼者たちを迎えていた。*1現在では入館チケット売り場、インフォメーション、土産物売り場になっている。
オーディオガイド(日本語あり)もここで借りる。解説付きのツアーに参加していなければ、是非借りることをおススメする。
ここで入館料9ユーロと、オーディオガイド4.5ユーロの代金を支払い、一旦「哨兵の間」に戻る。「哨兵の間」から「大階段」を上る。

長い大階段を上りきると、モン・サン・ミッシェルの頂上に建つ大聖堂*1(「修道院付属の教会」とも記載されている。*1)への入り口がある。
この大聖堂は西暦1000年から1010年にかけて建設され、約80mの土台の上に建っている。*1
そしてその土台の更に下は、8つの礼拝堂が支えている。*2

教会の身廊(しんろう)*3 にて。祭壇を安置するための、聖職者専用の空間、内陣方向を向いて撮影。

この内陣はかつてロマネスク様式だったが、1421年に崩壊した。イギリスとの百年戦争後、このようなフランボワイヤン様式のゴシック・スタイルで再建された。*1


ファサード*3方向。板張りヴォールト天井=薄い板で覆われた曲面天井。*1

身廊脇の側廊(そくろう)部分。典型的な交差ヴォールト天井*3。


祭壇部分。

聖堂の隅に置かれていたパイプオルガン。建物に付属しているのではなく、外から搬入されて置かれている、という雰囲気。オン・シーズンでは活躍するのだろうが。

大聖堂の北に位置する、列柱廊。ここから、教会、食堂、厨房、寝室、古文書保管室、そしてさまざまな階段につながっており、別の棟に行くための分岐点の役割を果たしていた。このギャラリーは、かつては修道僧の祈りと瞑想の場だった。祝祭日にはここで礼拝の行進が行われた。*1


列柱は重量を軽くするため、骨組には木材が使用されている。わずかにずれながら二列に組まれた小円柱が常に変化する視覚効果を生んでいる。*1



列柱廊にある海に面した大きな窓。足元まで開口している。今は転落防止用に分厚いガラスがはめ込まれている。未建設に終わった教会参事会室への連絡通路になる予定だった。*1

下からこの窓を見上げる。

食堂。ベネディクト会では、食事は沈黙のうちに摂らなければならなかった。

階段を下りていく。このような階段が修道院内部にはあちこちにあり、エレベーター、エスカレーター、車椅子用のリフトなどは一切ない。
螺旋階段の天井。非常に狭い。
「迎賓の間」。食堂の真下にあるこの部屋は、巡礼に訪れた王や貴族たちを迎えるためのものだった。*1

迎賓の間にある巨大な暖炉。

「太柱の礼拝堂」。ここは大聖堂の内陣の真下にあたり、内陣を支える土台として、15世紀半ばに造られた。*1
柱の太さは約6mもある。人影と比較するとその巨大さが分かる。


「礼拝堂」という名が付されているものの、礼拝堂として使われたことは一度もない。*2
上の二つの画像は露出を調節してあるので明るく見えるが、実際は下の画像のようにかなり暗く、不気味である。

「マルティヌス礼拝堂」。大聖堂の南側交差廊(身廊と内陣の間を横断する部分)の真下で、そこを支える土台として西暦1000年に造られた。*1


かつて修道僧の納骨堂があった通路には、大きな車輪が付けられてる。これは修道院が牢獄として使われていた1820年、囚人用の食料を上層に運搬するために設置されていたもので、中世の工事現場で使われていた車輪のレプリカである。

この車輪の中に囚人が二人入り、外部に設置された急斜面のスロープに沿って荷物を上げていた。
かなりの重労働だったらしい。*2

車輪そばのこの開口部からロープが外に出され、スロープにつながっていた。



「修道僧の遊歩場」。「西のテラス」と大聖堂北西部の真下にあたる。ロマネスク修道院の中軸ともいえる場所で、二つの身廊を持つ長い廊下。ここの丸天井は交差リブになっており、12世紀初頭に生まれたゴシック建築の到来を告げている。*1


「騎士の間」。列柱を支えるために建設され、ここで修道僧たちは仕事をしたり執務に励んだ。アヴランシュに保存されていた手書きの文献の数々が修道院に戻ってきており、見学ができる。*1



「騎士の間」の壁に設置された、オーディオガイドのための案内板。
「騎士の間」を抜けると、土産物店、そして入場チケット売り場に改装された「司祭館」に出る。
以上、見学ルートに沿って解説。
修道院の内部は正に立体迷路のように入り組んでおり、一方向のみの見学ルートでなければ迷ってしまうことは必至。
見学メモ
見学メモの記事を参照。
*1 モン・サン・ミッシェル観光局発行の現地配布パンフレットより
*2 現地オーディオガイドより
*3 用語解説へ
*4 Yahoo百科事典より
by h9w457y8i
| 2012-02-02 17:24
| フランス
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