重要文化財 【旧阿仁鉱山外国人官舎】 画像
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by h9w457y8i
| 2017-09-20 07:47
| 秋田
|
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【重要文化財|旧阿仁鉱山 外国人官舎】 行き方、見学のしかた (秋田県 北秋田市)
サイトマップ > 秋田県 重要文化財 > 旧阿仁鉱山外国人官舎
1 アクセス情報
1-1 アクセスマップ
1-2 公共交通機関
1-3 駐車場
2 見学のしかた (開館時間、入館料など)
3 訪れた時の様子 (写真)
4 旧阿仁鉱山外国人官舎の説明
5 問い合わせ
1-1 【アクセスマップ】
旧阿仁鉱山外国人官舎は赤マーカー1
1-2 【公共交通機関】
秋田内陸縦貫鉄道 秋田内陸線 「阿仁合」(あにあい)駅から、徒歩約6分(450m)。
列車の運行は2時間に1本。
外国人官舎のすぐ横に線路があり、その先に駅が見えます。
1-3 【駐車場】
施設付属の見学者用無料駐車場があります。
駐車場の入口は、上の地図、黒マーカー1。
2 【見学のしかた】
建物は「阿仁異人館」と呼ばれ、一般公開されています。
ただし、内部に入るには、隣に立つ歴史資料館、「阿仁伝承館」の入り口で入館料を支払い、伝承館(下の画像)から地下トンネルを経由します。
外から直接、旧阿仁鉱山外国人官舎の中に入ることはできません。
開館時間、休館日、入館料など見学についての詳細は、阿仁異人館・伝承館公式HPを参照してください。
2023.8
[開館時間] 09:00〜17:00(最終入館は16:30)
[入館料] 400円
[休館日] 月曜日(祝日の場合は翌日)、12/29〜1/3
無料館内ガイド
訪問日の10日前までに、電話で阿仁伝承館に申し込みます。
(2023.8現在、新型コロナウイルス感染拡大に配慮して、ガイドは中止されています)
3 【訪れた時の様子】
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15 玄関。ここからは入れません。
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24 2Fは、居室というよりは物置といった雰囲気。
25 窓に使われているガラスには、明治時代ならではの気泡が。
26 館内に展示されていた、重要文化財指定書。
27 「からみ」という、再利用される不純物の塊が残されていました。
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29 すぐ隣を列車が走っていました。
30 敷地内には、鉱物を運搬する鉄道の遺産が残されていました。
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4 【旧阿仁鉱山外国人官舎の説明】
阿仁鉱山(あにこうざん)は、明治8年(1875年)に明治政府の工部省の所管となり、産業振興を推し進めるため、外国人技術者を雇い入れ、近代化を図った。この建物は、派遣された「お雇い外国人」のために建設された官舎2棟のうちの1棟で、明治15年(1902年)に竣工した。当時の銀山町の人々はこの建物を「夷人館(異人館)」と呼んだ。
文明開化の象徴とも言える鹿鳴館(明治16年竣工)に先行し、秋田県最古の洋風建築であるとともに、現存するレンガ造住宅としては全国的に古いものの一つであり、我が国の産業近代化初期の一旦を示す建造物として貴重である。 ←北秋田市教育委員会による現地案内看板
異人館は明治12年(1879年)に来山したドイツ人の鉱山技師メツゲル(Adolph Mezger)らの居宅として建築されました。現在、北秋田市消防署阿仁分署が建っている場所にもう一棟の外国人官舎がありましたが、すでに焼失しており現存しておりません。残った一棟(現・異人館)は平成2年(1990年)に国の重要文化財の指定を受けています。
異人館はメツゲルの設計によるものと言われており、当時は阿仁鉱山外国人官舎及び事務所として使われていました。構造は煉瓦造りの平屋建てで、屋根は切妻造り、壁は地元の土を焼いて造られた煉瓦造りです。煉瓦は現在の下浜(阿仁河川公園付近)で作られたようです。建物は東に面して建ち、半円形窓は上げ下げ式、外側は鎧戸、周囲は木造のベランダで囲まれており、異国情緒漂う建物です。のちの洋式建物の象徴といわれる鹿鳴館やニコライ堂より先駆けて建てられており、ヨーロッパ人と洋館に初めて接する当時の日本人にカルチャーショックを与えたと言われています。メツゲルらの離任後、この異人館は鉱山局起業課、迎賓館、宿泊施設等へと用途が変わりました。
昭和57年(1982年)の森吉山直下型地震や、その翌年に起きた日本海中部地震によって、煉瓦壁の一部が崩壊・ヒビ割れなどの被害があり、阿仁町の所有となった昭和58年に破損個所の改修及び部分整備が行われました。その後「阿仁町異人館」として一般公開されています。
5 【問い合わせ】
阿仁異人館・伝承館へ。
電話番号 0186-82-3658
問い合わせフォームはこちら。
このページは、以下の記述などを参照しています。
阿仁異人館・伝承館公式HP
現地案内看板
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by h9w457y8i
| 2017-09-17 16:13
| 秋田
|
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【重要文化財|旧大原家住宅】(倉敷市)
#岡山 #文化財 #見学 #町屋
サイトマップ > 岡山県 > 国宝・重要文化財 > 旧大原家住宅
倉敷は,江戸初期以来の幕府直轄地でした。倉敷川の水運を利用して経済力が高まり,江戸後期には「新禄(しんろく)」と呼ばれる新興勢力が台頭し,それまでの「古禄(ころく)」と呼ばれる世襲の勢力に代って次第に富を蓄え,社会的地位を確立してきました。
こうした新禄層の屋敷のうち,往時の面影を最もよく留める現存の町屋として,旧大原家住宅と大橋家住宅の2つの町屋が,国の重要文化財に指定されています。屋敷構えは互いに全く異なるものの,主屋等の建造物は両者ともに18世紀末における倉敷町屋の代表的な形式を示しています。
旧大原家住宅は寛政7年(1795)に主屋の建築が着工され,その後座敷部分が増築され, その先には広い庭が続いています。また,主屋の後ろには蔵が建ち並び, 防火の役目も果たしています。
主屋は本瓦葺,厨子二階建てで,屋根は一見入母屋造に見えますが,実際には切妻造りで妻側に付庇を設けた庇付き切妻屋根となっています。また倉敷窓,倉敷格子といった倉敷独特の意匠も備えています。蔵は土蔵造りで,外壁は腰に瓦を張りつけ,目地を白漆喰で盛りあげる『なまこ壁』で仕上げられ,そのコントラストは非常に美しく,倉敷の町並みの景観を特徴づけています。 ←倉敷市公式サイト
文化財は、主屋、内倉、離座敷、倉、新倉、中倉、内中倉、北倉、壬子倉、西倉の10の建造物からなる。昭和46年(1971年)、国の重要文化財に指定。←文化庁国指定文化財等データベース
私が訪れた時は内部は非公開でしたが、2021.11現在は、一般公開されています。
詳細は旧大原家住宅公式HPへ。
アクセスマップ
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サイトマップ > 岡山県 > 国宝・重要文化財 > 旧大原家住宅
倉敷は,江戸初期以来の幕府直轄地でした。倉敷川の水運を利用して経済力が高まり,江戸後期には「新禄(しんろく)」と呼ばれる新興勢力が台頭し,それまでの「古禄(ころく)」と呼ばれる世襲の勢力に代って次第に富を蓄え,社会的地位を確立してきました。
こうした新禄層の屋敷のうち,往時の面影を最もよく留める現存の町屋として,旧大原家住宅と大橋家住宅の2つの町屋が,国の重要文化財に指定されています。屋敷構えは互いに全く異なるものの,主屋等の建造物は両者ともに18世紀末における倉敷町屋の代表的な形式を示しています。
旧大原家住宅は寛政7年(1795)に主屋の建築が着工され,その後座敷部分が増築され, その先には広い庭が続いています。また,主屋の後ろには蔵が建ち並び, 防火の役目も果たしています。
主屋は本瓦葺,厨子二階建てで,屋根は一見入母屋造に見えますが,実際には切妻造りで妻側に付庇を設けた庇付き切妻屋根となっています。また倉敷窓,倉敷格子といった倉敷独特の意匠も備えています。蔵は土蔵造りで,外壁は腰に瓦を張りつけ,目地を白漆喰で盛りあげる『なまこ壁』で仕上げられ,そのコントラストは非常に美しく,倉敷の町並みの景観を特徴づけています。 ←倉敷市公式サイト
文化財は、主屋、内倉、離座敷、倉、新倉、中倉、内中倉、北倉、壬子倉、西倉の10の建造物からなる。昭和46年(1971年)、国の重要文化財に指定。←文化庁国指定文化財等データベース
私が訪れた時は内部は非公開でしたが、2021.11現在は、一般公開されています。
詳細は旧大原家住宅公式HPへ。
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by h9w457y8i
| 2017-09-15 07:08
| 岡山
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【重要文化財|安養院 宝篋印塔】 行き方、見学のしかた (鎌倉市)
サイトマップ > 神奈川県 > 国宝・重要文化財 > 安養院宝篋印塔
もともとこの地には、尊観が開いた浄土宗の善導寺があった。のちに源頼朝の妻、北条政子が亡き夫の冥福を祈って建てた長楽寺が焼失したため、鎌倉末期にこの善導寺の跡に長楽寺を移し、政子の法名である安養院(あんよういん)を院号とし、これが寺名になったといわれる。
本堂の裏手にある宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、尊観の供養塔。その隣には北条政子の宝篋印塔もある。鎌倉時代後期、1308年に建立。鎌倉に存在する最古の石塔とされる。
←鎌倉市公式サイト
←現地案内看板
安養院宝篋印塔は、赤マーカー7
スマートフォンで地図の右側が見にくい場合は、画面を横向きに
<安養院の拝観>
8:00〜16:30
拝観料 100円
問い合わせ 安養院 0467-22-0806
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このページは、以下の記述などを参照しています。
鎌倉観光公式サイト
文化庁国指定文化財等データベース
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by h9w457y8i
| 2017-09-12 08:47
| 神奈川
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