旧住友家俣野別邸

きゅうすみともけまたのべってい

附(つけたり)*1 : 附属屋(木造、建築面積52.39㎡、桟瓦葺)1棟
昭和14年(1939年)、竣工。
木造、建築面積456.23㎡、2階建、一部地下1階、桟瓦葺(さんかわらぶき)*1

国指定重要文化財  平成16年(2004年)、指定。その後指定解除の予定。

ただし、平成21年(2009年)3月、原因不明の火災により全焼。*3
地図



消失前の建物の様子
横浜市戸塚区東俣野町に所在する旧住友家俣野別邸は、横浜市の西南端、藤沢市との市境に接し、真西に富士山を望む広大な敷地を有し、旧東海道から西方にアプローチ道路を取り付けて正門を構える洋風折衷住宅であった。
旧住友家俣野別邸は、住友家16代当主住友吉左衛門友成の東京別邸として、佐藤秀三(佐藤秀工務店)の設計施工により昭和14年に建設された。
主屋棟、子供室棟、サービス棟をY 字形に配置。主屋棟は、中二階をもつ吹抜けの階段室ホールを介して南側に日光室と居間を置き、その東方には食堂と配膳室を配しており、日光室の西側と食堂の南側にはテラスを設けている。二階には半円形平面の展望室、展望室と一室化された書斎等が配されている。
子供室棟は主屋棟の南東方に配置されており、サンルーム風の遊戯室、10畳規模の令嬢室等が配されている。
また、サービス棟は主屋棟の北東方につながっており、宿直室、事務室等が配されている。
旧住友家俣野別邸は、住友営繕の系譜をひく佐藤秀三の代表的作品であり、昭和前期モダニズムの影響下における、ハーフティンバー・スタイルを基調とした洋風折衷住宅建築として重要なものと言える。
また、食堂を中心としたコンパクトな平面構成に特徴があり、大邸宅建築における平面計画の変化が示されている点にも歴史的意義が認められ、郊外邸宅の在り様を物語る屋敷地とともに、保存が図られている。*2



見学メモ
2011年5月の記事掲載時、修復に関する情報は見つけられなかった。


*1 用語解説
*2 神奈川県生涯学習文化財課発行パンフレット
*3 火災後の航空写真。毎日.jpより


全国の近代文化遺産リスト
# by h9w457y8i | 2011-05-21 00:32 | Comments(0)

うすいとうげてつどうしせつ きゅうまるやまへんでんしょちくでんちしつ

明治45年(1912年)、竣工。
煉瓦造平屋建
国指定重要文化財 平成6年(1994年)指定。
地図



丸山変電所は、明治45年(1912年)、碓氷線を走る機関車の電化に伴い造られた。碓氷線とは、信越本線の横川~軽井沢間の通称。信越本線は日本の近代化を担う重要な鉄道の一つで、この変電所の役割は、発電所からの電気を機関車に供給することであった。変電所は2棟の建物からなっている。南西向きに横並びの2棟のうち、西側が機械室、東側が蓄電池室。蓄電池室では、機関車が峠にかかるときに必要な電力を補うため、312個の蓄電池が並んでいた。充電中は室内に水素と有害物質の硫酸雲霧が大量に発生するため、窓、引き戸などは通風に適するよう工夫されていた。
丸山変電所は工場建築に近いため華やかさには欠けるものの、正面で入口や側面には控えめながら装飾的な要素が加えられ、落ち着いた格式の高いものとなっている。レンガ造り建築の最盛期のものであることが実感される、今に伝わる数少ない遺産である。
昭和38年(1963年)、新線開通に伴い、丸山変電所はその役割を追えることとなる。
その後、丸山変電所は日本の近代化に貢献した鉄道施設の様子をよく示すものとしての価値が認められ、平成6年(1994年)12月27日に国の重要文化財に指定された。そして平成14年(2002年)に修復工事が完了、現在に至っている。*1


南西面=正面。造りは機械室とほとんど同じだが、機械室は正面窓の数が6つなのに対し、蓄電池室は8つ。
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北西面。
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南東面。
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b0212342_99631.jpg北東面=裏面。こちらには機械室にはないコンクリートのでっぱりがある。


この一角は荒れ放題だった。
まあ、これはこれで廃墟の趣があってgood.                    内部。炊事場跡か?
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南角。手前が蓄電池室、奥が機械室。
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見学メモ
アクセス
碓氷峠鉄道施設概要記事参照。JR信越本線「横川」駅と、温泉施設「峠の湯」との間の遊歩道の途中にあり、また、観光用トロッコ列車の途中駅の目の前にある。
普段の見学
外観の見学は常時可能。内部の見学は不可。窓にはすりガラスがはめ込まれており、内部は見通せなかった。
特別公開
記事掲載時に調べた限りでは、内部見学に関する情報は見つけられなかった。
問い合わせ
安中市「学習の森」へ。安中市公式ホームページで「学習の森」をサイト内検索。


*1 現地案内看板


碓氷峠鉄道施設の概要、文化財リスト
全国の近代文化遺産リスト
# by h9w457y8i | 2011-05-20 09:20 | Comments(0)

群馬県 近代文化遺産リスト碓氷峠鉄道施設トップページ概要 > 旧丸山変電所概要


碓氷峠鉄道施設
旧丸山変電所 機械室・蓄電池室
きゅうまるやまへんでんしょ きかいしつ・ちくでんちしつ


明治45年*1(1912年)、竣工。
機械室 煉瓦造、建築面積354.75㎡、スレート葺
蓄電池室 煉瓦造、平屋建

国指定重要文化財 平成6年(1994年)、指定。




丸山変電所は、明治45年(1912年)、碓氷線を走る機関車の電化に伴い造られた。碓氷線とは、信越本線の横川~軽井沢間の通称。信越本線は日本の近代化を担う重要な鉄道の一つで、この変電所の役割は、発電所からの電気を機関車に供給することであった。変電所は2棟の建物からなっている。南西向きに横並びの2棟のうち、西側が機械室、東側が蓄電池室。
機械室には回転変流器と変圧器が設置され、発電所から送られてきた交流電気を直流電気に変えて、蓄電池室内の蓄電池と機関車へ送電していた。
蓄電池室には、電気機関車が峠にかかるときに必要な電気を補うため、312個の蓄電池が並んでいた。充電中は室内に水素と有害物質の硫酸雲霧が大量に発生するため、窓、引き戸等は通風に適するように工夫されている。フォトギャラリーの画像を見比べると、機械室よりも屋根の通風口が多い。
丸山変電所は工場建築に近いため華やかさには欠けるものの、正面で入口や側面には控えめながら装飾的な要素が加えられ、落ち着いた格式の高いものとなっている。レンガ造り建築の最盛期のものであることが実感される、今に伝わる数少ない遺産である。
昭和38年(1963年)、新線開通に伴い、丸山変電所はその役割を追えることとなる。
その後、丸山変電所は日本の近代化に貢献した鉄道施設の様子をよく示すものとしての価値が認められ、平成6年(1994年)12月27日に国の重要文化財に指定された。そして平成14年(2002年)に修復工事が完了、現在に至っている。*2

修復工事はなされたが、施設の公開は普段は外部のみ。内部は不定期で特別公開される。詳しくは見学要領参照。


左 機械室      右 蓄電池室
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*1 年号について。1912年は明治45年であると同時に大正元年である。国指定文化財等データベースによると、「大正元年」となっているが、現地案内看板では「明治45年」となっている。
*2 現地案内看板より。フォトギャラリーに画像あり。


碓氷峠鉄道施設トップページ概要 > 旧丸山変電所概要
# by h9w457y8i | 2011-05-19 09:18 | Comments(0)

碓氷峠鉄道施設  概要

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うすいとうげてつどうしせつ

橋梁、隧道 明治26年(1893年)、竣工。 
旧丸山変電所 明治45年(1912年)、竣工。
橋梁、隧道、変電所 全て煉瓦造

国指定重要文化財  平成6年(1994年)、指定。



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 全体の概要はこちら

(左画像はクリックで拡大)

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旧丸山変電所(機械室・蓄電池室)
こちら

(第一橋梁は取り壊されており、橋台*3だけが残っている。文化財には指定されていない)


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第二橋梁 だいにきょうりょう

第一隧道、第二隧道の間にある、レンガ造りのアーチ橋。川底からの高さは12.2m、長さは23.5m。明治時代の2回の補強工事で、アーチ径間*3(橋の下の、アーチの間隔)が当初の7.3mから3.9mに変更されている。高欄(こうらん*3) は撤去されているが、ピラスター*3 を備え補強工事前のアーチの上部には要石も埋め込まれていた。橋自体は直線橋だが、線路は半径300mの弧を描いていた。現在はカルバート(径間4.6m以下)に分類されている。*2

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第三橋梁こちら

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第四橋梁 だいよんきょうりょう

アーチ径間(*3) 7.3m、高さ4.4m、頂部長さ9.8m。
アーチ全体がコンクリートで補強され、径間が短縮されている。*2

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第五橋梁 だいごきょうりょう

アーチ径間(*3) 11.0m、高さ8.8m、頂部長さ15.8m。
補強のため橋台(きょうだい*3)をコンクリートで固め、アーチを一回り小さくしている。*2

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第六橋梁 だいろくきょうりょう

アーチ径間(*3) 11.0m、高さ17.4m、頂部長さ51.9m。
隅角部を切石で補強し、高い橋台*3と片蓋柱(かたふたばしら*3)と長い側壁を持っている。
長さや煉瓦の使用量では、第三橋梁に次ぐ規模となる。*2


第一隧道、第二隧道、第三隧道、第四隧道、第五隧道、第六隧道、第七隧道、第八隧道、第九隧道、
第十隧道
については調査中。



*2 現地案内看板より。フォトギャラリーに画像あり。
*3 用語解説参照。


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# by h9w457y8i | 2011-05-17 13:04 | Comments(0)

どうししゃ アーモストかん

昭和7年(1932年)、竣工。
鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建、外装煉瓦張、スレート葺、建築面積343㎡
W.M.ヴォーリズ、設計。
国登録有形文化財*1  平成17年(2005年)、登録。
地図





アーモスト・同志社プログラムの第1回学生代表であったニコルズの母親やアーモスト大学の卒業生からの寄付によって建てられた、ニューイングランド・ジョージアン様式*1 の建物。2009年に改修工事を終え、海外からの研究員の教育・研究のための長期滞在用の施設として使用されている。*2

つまりは、宿泊施設、ということか。
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見ての通り、大学の施設とは思えないような、お洒落なレンガ張りの洋館。内部も是非見てみたかった。




見学メモ
アクセス
彰栄館の記事参照。
普段の見学
この建物の周辺には生垣、および柵が設けられており、一般人の敷地内への立ち入りはできない。外観の見学は、敷地西側の、建物から10mほど離れた道路からのみとなる。
特別公開
年に何度か開催される、学生ボランティアによる解説付きのキャンパス・ツアーで、内部が公開される。2010年は5回開催された。無料、予約不要。
問い合わせ
同志社大学広報課へ。


*1 用語解説
*2 同志社大学公式サイト 建物案内ページ


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# by h9w457y8i | 2011-05-16 10:34 | 京都 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。