<   2017年 09月 ( 17 )   > この月の画像一覧

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マカオの世界遺産構成要素分布マップ

建物や広場の番号は、上マップ内の番号と一致しています。
1 媽閣廟
3 港務局(海事水務局)
4 鄭家屋敷
5 リラウ広場
6 聖ローレンス教会
7 聖ヨセフ修道院および聖堂
8 聖オーガスティン教会
9 ロバート・ホー・トン図書館
10 ドン・ペデロ5世劇場
11 聖オーガスティン広場
12 民政総署
13 セナド広場
14 仁慈堂
15 三街會館(関帝廟)

16 盧家屋敷
17 大堂
19 聖ドミニコ教会
21 イエズス会記念広場
22 聖ポール天主堂跡
23 ナーチャ廟
24 旧城壁
25 モンテ砦
26 聖アントニオ教会
27 カーザ庭園
28 カモンエス広場
29 プロテスタント墓地
30 ギア要塞
以上の説明、画像は、フォトギャラリー北側の記事へ。


1〜13  媽閣廟
媽閣廟は、マカオの街が形成される以前から存在していました。正門、中国式鳥居と4つのお堂で構成されています。媽閣廟のように単一の建築集合体の中に異なる神を祀る様々なお堂が存在するのは、儒教、道教、仏教および複数の民間信仰の影響を受けた中国文化の典型的な例だと言えます。
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14〜26 港務局(海事水務局)
1874年、マカオの警察部隊を補強するためにインド・ゴアから派遣された連隊の宿泊施設として建築されました。現在は海事水務局として使用されています。建物はムガール帝国の建築要素を反映した新古典様式の建築です。
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27〜30 鄭家屋敷
1869年以前に建てられた屋敷は、著名な中国の文豪・鄭観應の伝統的な中国式住居でした。複数の建物と中庭で構成されており、アーチ型の装飾に灰色レンガを使用したり、インド式の真珠貝の窓枠に中国式格子窓が取り付けられるなど、中国と西洋の影響による様式が混在しています。
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31〜33 リラウ広場
その昔、リラウの地下水がマカオの天然水の供給源でした。ポルトガルの言い伝えに「リラウの水を飲んだ者はマカオを決して忘れない」とあり、これはリラウ広場に対する地元民のノスタルジックな想いを表したものです。このエリアはポルトガル人が最初に住み始めた地域の一つです。
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34〜42 聖ローレンス教会
16世紀中頃にイエズス会によって建てられ、マカオで最も古い教会の一つです。現在の外観および規模は1846年に再建されたものです。かつては海を臨む南湾の水辺にあり、ポルトガル人船乗りの家族はこの教会の階段に集まり、彼らの帰還を祈り待ち続けたことから、「風順堂」と名づけられました。当時は比較的裕福な人々が教会付近に住んでいたため、壮大かつ贅沢な建築の仕様が伺えます。新古典様式の造りですが、僅かにバロック調の装飾も感じられます。
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43 聖ヨセフ修道院および聖堂
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44〜51 聖オーガスティン教会
スペインの聖オーガスティン修道会によって1591年に最初に創設されました。この教会は何千人もの信者が参加するマカオで最も有名なキリスト教行事、パッソス聖体行列を司ることを伝統としてきました。昔、大雨の際には司祭たちがヤシの葉を使って屋根の補強をしていました。遠くから見ると、これらの葉は風によって浮遊する竜の髭のように見え、地元の中国人はこれをLong Song Miu (竜の髭寺院)と名付けたといわれています。
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52〜58 ロバート・ホー・トン図書館
1894年以前に建築された建物は、元々はドナ・キャロリーナ・クンハの住居でした。1918年に香港の事業家ロバート・ホー・トン卿がこれを購入し、別荘として使用していました。1955年の彼の死後、遺言に従ってマカオ政府に寄贈され、図書館として改築されました。
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59〜70 ドン・ペデロ5世劇場
1860年、中国で最初の西洋式劇場として300席を設けて建築されました。地元マカオのコミュニティーにおける非常に重要な文化的名所として残っており、現在も重要な公共の催事や祝賀会の会場として使用されています。
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71〜73 聖オーガスティン広場
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74〜80 民政総署
1784年に建築された建物は、マカオ初の市議会所有のものであり、現在もその機能を果たしています。「レアル・セナド」(忠誠なる評議会)という名称は、1654年にポルトガル王ドン・ジョン4世がマカオを褒め称えた言葉「神の名の街マカオ、他に忠誠なるものなき」に由来するものです。民政総署は新古典様式で、壁、レイアウト、裏庭に至るまで当時のまま残されています。二階には公式行事などで使用される議事室と、ポルトガルのマフラ宮殿の図書館を模した重厚な図書館と、小さなチャペルがあります。
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81〜85 セナド広場
セナド広場は何世紀にもわたってマカオの街の中心であり、現在も公共のイベントや祝典が開催される最も人気のある広場です。民政総署や三街会館(関帝廟)のすぐそばという立地は、地元の中国人社会が積極的に行政に関与していたことを物語っており、マカオ文化の多様性を知ることができます。広場はパステルカラーの新古典様式の建物に囲まれており、波形模様の石畳が調和のとれた雰囲気を醸し出しています。
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86〜90 仁慈堂
1569年に初代マカオ司教によって設立された施設で、祖国ポルトガルで最も著名かつ古い慈善団体の建物をモデルに建立されました。マカオで最初の西洋式病院と今でも運営されている慈善福祉施設の創設に深く関わりました。建物は新古典様式ですが、マヌエル様式の影響もうかがえます。
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91〜97 三街會館(関帝廟)
かつての中国市場があったあたりは、今も市場(營地街市)が建っています。西洋式のセナド広場に接して、この中国式寺院が存在する姿から、二つの文化の共生を見ることができます。関帝廟は、中国商工会議所の前身として中国系事業組合と長年密接に関わっています。
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以上、解説はマカオ観光局日本語HPより

これ以外の遺産の構成要素は、【マカオ歴史地区】フォトギャラリー 北側 の記事へ。

by h9w457y8i | 2017-09-30 10:45 | マカオ | Comments(0)

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文化財分布マップ



アクセス(行き方)

見学のしかた

遺産の概要

管理人のおすすめポイント

建物・広場の説明、フォトギャラリー 北側

建物・広場の説明、フォトギャラリー 南側

ユネスコ世界遺産公式サイト「マカオ歴史地区」ページ


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アクセス


マカオ歴史地区は、マカオ北部のマカオ半島内に集中して分布している。(マカオ世界遺産の分布マップはこちら
マカオ半島への行き方は、
1. 空路でタイパ地区(マカオ南部)にあるマカオ国際空港に入り、タクシーや路線バスで橋を渡って半島へ行く。
2. 香港国際空港から高速船で、マカオ半島の港、Outer Harbor Ferry Terminalに向かう。
3. 香港島の上環(ションワン・Sheung Wan)にあるフェリーターミナルから、高速船でOuter Harbor Ferry Terminalに向かう。
の3つがある。

今回は 3. の、香港・上環から高速船でマカオ半島のアウター・ハーバー・フェリーターミナルへ入ったので、その行き方を紹介する。

ちなみに、
1. 日本からマカオ国際空港へは、成田空港、関西空港、福岡空港から、マカオ航空のみが直行便を飛ばしている。2017.9
2.  香港国際空港からマカオに向かう場合は、香港への入国手続き前に高速船に乗るため、香港での入国・越境手続きがない。別の言い方をすると、香港に入国後は香港国際空港の高速船ターミナルからは乗船できない。
一方、3. は香港の街にいるときにマカオを訪れるときの行き方だが、日本から香港に着いた時の入国手続きに加え、香港からマカオに向かう時とマカオから香港に戻る時、香港とマカオそれぞれで越境手続き(実質的には出入国手続きみたいな感じ)があるで、もっともめんどくさい。


香港島、香港駅(地下鉄 中環駅)から上環フェリーターミナルへ

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香港国際空港からのエアポート・エクスプレスの終点、香港駅や、地下鉄の中環駅の地下改札口を抜けたら、E出口へ。
2Fまでエスカレーターで上がったら、E2出口への標識に従って國際金融中心一期ビルへ。

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國際金融中心一期ビル2F。画像、赤枠の出口から外へ。

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ビル2Fから外に出ると、長い歩道橋がフェリーターミナルまで繋がっている。途中、画像のような小さな看板が出ている。
國際金融中心一期ビルからターミナルまでの歩道橋は、こちらのアクセスマップを参照。緑色のラインで描画しておいた。

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歩道橋から建物に入ったら、左画像のような看板に従って進む。写真がブレていて見にくいが、Ferry Hall Ticket Office と書かれている。

建物に入って50mほど進むと、日本語で大きく「ラーメン」と書かれたラーメン屋さんがあるフードコートに出るので、そこからエスカレーターでひとつ上の階の3Fへ。すると、青い看板の高速船きっぷ売り場に出る。このCotaiJet社の高速船は、歴史地区のある半島部ではなく、空港のあるタイパ地区にしか行かない。
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そこからさらに建物の奥に進むと、赤い看板のTurboJet社の切符売り場が見えてくる。アウター・ハーバー・フェリーターミナルへはTurboJet社のみが行くので、そこできっぷを買う。

TurboJet社の船の時刻表、料金、サービスそのほかは、TurboJet社日本語公式サイトを参照。


きっぷの購入、香港出国手続き、乗船まで

高速船は15分間隔で運行されている。船の客室は、Super ClassとEconomy Classに分かれており、エコノミーの方が待ち時間が長くなる傾向がある。特に週末の午前中は、エコノミークラス用のきっぷ売り場の前にはものすごい行列ができ、窓口にたどり着いても乗れるのは2〜3時間後、ということが普通らしい。by きっぷ売り場のおばちゃん。平日は待っても30分。

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SuperかEconomyの「Outer Harbor」と電光表示された売り場に行くと、カウンターに「$164(12歳以上の大人一人当たりの乗船料金+香港出国税)」「11:15(現在販売しているきっぷの船が出航する時刻)」と手書きで書かれた紙が置いてある。英語で「アウター・ハーバー、エコノミー、ワン・パースン」と言って現金かクレジットカードを渡せばOK。

きっぷを買ったら、その横のフェリー乗り場に向かう渡り廊下の入口へ。
渡り廊下を渡りきったところでチケットを確認される。
次は出国手続き(厳密には同じ中国だから越境手続き?)。香港入国時に入国係官から手渡されたカードとパスポートを提示。
出国手続きが終わったら、出航時刻別に電光掲示板に表示されている船のGateに向かう。わからなければ出国手続きブースを通り抜けたところに係員がいるのできっぷを見せると、ゲートナンバーを教えてくれる。

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船のすぐ横にあるゲートにきたら、きっぷに座席番号のシールを貼ってもらう。ここで初めて座席が決まる。

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出航時刻の10分くらい前に乗船が開始される。

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下船、マカオでの入国手続き、歴史地区への移動

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公式サイトだと乗船時間は55分、となっているが、天候などで長くなることもある。自分が乗った時はいいお天気だったが75分間だった。

マカオの港に着いたら、旅客の流れに従って入国手続きフロアへ。そこでマカオの入国カードを記載する。フロアの隅にカードが置かれたデスクがあるのでそこで書ける。カードは英語のみだが、Name、(日本の)Address、Passport Numberくらいで難しくない。

「Visitor」の電光掲示がされているブースに並ぶ。検査は簡単で、記入したカードとパスポートを渡すとすぐに終わる。
税関検査も実質なし。

税関を抜けると、ターミナルの到着フロアに出る。目の前に出口がある。マカオには鉄道がないので、歴史地区に向かうにはバスかタクシーに乗る。

アウター・ハーバー・ターミナルのバス乗り場は、建物に沿った3列のアイランドに分かれていて、それぞれのアイランドの間に道路がある。建物から離れたアイランドに向かうには、建物を背にして左側にある階段を降り、隧道を通る。
建物添いにあるのが路線バス出発用、道路を挟んだ向こう側にあるのが路線バス到着用、その更に向こう側、一番建物から遠いのが、ホテル・カジノバスののりば。
ホテル、カジノ行きのバスは無料。誰でも乗れる。カジノやホテルの案内カウンターがターミナル建物内の到着フロアにいくつかあるので、そこで時刻や乗り場を聞けば良いのでは。使ったことがないので詳しいことはわからない。
マカオ路線バスののりばは、建物沿い、建物を背にして右のほう。路線系統別にのりばがいくつか分かれている。

マカオ路線バスの乗り方はこちらのブログ記事を参照。






見学のしかた


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「マカオ歴史地区」構成要素の建物や広場は全部で30あり、ギア要塞(東望洋炮台・Fortaleza da Guia)以外は上のjpeg画像(WEB地図はこちら)のように、南北約2kmの帯状の部分に分布している。代表的な遺産だけを訪れるのなら路線バスを利用すると楽。もし30全ての遺産を周りたいのなら、一つだけ離れて存在するギア要塞以外は歩いて巡るのがいいと思う。ただし全部巡る場合は、多少高低差があるところを上がったり下がったりするので、足腰に自信がない人はやめたほうがいいかも。また暑い季節は、緯度が低く太陽が真上から照りつけるため、影ができにくい。熱射病に注意。

路線バスの乗り方はこちらの記事を参照。

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世界遺産の建物や広場のそばにはこのような案内看板が立てられており、日本語の記載もある。
一つの遺産ごとに一本ずつ、というわけではなく、いくつかの遺産がまとまって存在している場合は、まとめて一つの案内看板で解説されていることもある。


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遺産には多くの教会も含まれている。これらの中では飲食・喫煙禁止。入口にその旨掲示されている。なお、内部の写真撮影が禁止されている建物はないが、お祈りをしている人への配慮は当然に必要。
上画像は聖ローレンス教会。


遺産の各建物、広場の説明、開館・開園時間などの情報は、別ページのこちらの記事を参照。
遺産の開館・開園時間は以下の通り。←マカオ観光局公式サイト
名称左側の番号はこちらの見学用マップに対応。

1 媽閣廟 7:00〜18:00
3 港務局 政府機関が入る建物であり、公式サイトでは立ち入れるのはベランダのみとなっているが、玄関ホールだけなら入ってもよい、と入口の警備員に言われた。9:00〜18:00
4 鄭家屋敷 10:00〜18:00。水曜日休館。未訪問
6 聖ローレンス教会 7:00〜21:00
7 聖ヨセフ修道院および聖堂 聖堂のみ公開。9:00〜18:00。未訪問
9 ロバート・ホー・トン図書館 10:00〜19:00。
10 ドン・ペデロ5世劇場 10:00〜18:00。火曜日休館。
11 聖オーガスティン教会 10:00〜18:00。2017.7では内部非公開。
12 民政総署 9:00〜21:00。月曜日休館。
14 仁慈堂 10:00〜13:00、14:30〜17:30。日曜日、月曜日、祝日休館。
15 三街會館(関帝廟) 9:00〜18:00
17 大堂 7:30〜18:30
16 盧家屋敷 10:00〜18:00。月曜休館。
19 聖ドミニコ教会 10:00〜18:00
25 モンテ砦 7:00〜19:00
26 聖アントニオ教会 9:00〜17:00
27 カーザ庭園 9:30〜18:00
29 プロテスタント墓地 8:30〜17:30。未訪問。
30 ギア要塞 9:00〜18:00(灯台は非公開)。未訪問






遺産の概要


国際交易の戦略上、重要な地点に位置したマカオは、16世紀半ばから中国に返還された1999年まで、ポルトガルの統治下にあった。歴史的な街道や、ポルトガル風や中国風の家並み、宗教的な建物・公共建築が集まったマカオの歴史地区は、東西の美意識や文化・建築、そして技術が融合した姿を留めている。また、この登録地には、中国で最も古い灯台も含まれている。マカオ歴史地区は、国際貿易が活気に満ちあふれ始めた当初からの、また最も長期にわたる中国と西洋との邂逅(かいこう)の証のひとつである。
2005年、世界文化遺産に登録。
ユネスコ公式サイト

各建物や広場の説明はこちらの記事を参照。






管理人のおすすめポイント


マカオの世界遺産を構成する建物や広場は、いずれも現地の方々にとって日常の一部。教会でお祈りをする方への配慮は当然必要ですが、それを妨げない程度での内部見学は自由ですし、写真撮影も可能です。構成要素は30もありますが、南北2km、東西数百mの範囲に集中しているので、太陽がギラギラ照りつける真夏でなければ、運動と散歩を兼ねて歩いて巡ることもできます。遺産たちは住宅地の中に溶け込んでいるものが多いので、中国とポルトガルの文化が混在し、さらにはちょっと香港のスラムを彷彿とさせる裏道も含め、マカオの素の姿を垣間見ることができるでしょう。時間がなかったり、上り下りの多いマカオの街を歩いて回るのはちょっと、という場合は、激安で乗り方もカンタンな現地の路線バスに乗ってみるのも楽しいと思います。

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世界文化遺産 セナド広場

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by h9w457y8i | 2017-09-28 15:25 | マカオ | Comments(0)

案内所トップ秋田県 江戸時代以前の文化財赤神神社五社堂 > フォトギャラリー

文化財分布マップ

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8〜10 五社堂の前には「長床」と呼ばれる一段低い平らな場所が作られている。
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11〜12 長床から五社堂へは、長床両脇にある細い階段を上がる。
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13〜14 一番左にある「「十禅師堂」
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左から2番目の「八王子堂」

16〜20 中央の「赤神権現堂」
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右から2番目の「客人権現堂」

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もっとも右にある「三ノ宮堂」

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赤神権現堂内の厨子。こちらも重要文化財。

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この山の中腹に五社堂がある。
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拝殿から見た景色

by h9w457y8i | 2017-09-26 06:33 | 秋田 | Comments(0)

案内所トップ秋田県 江戸時代以前の文化財 > 赤神神社五社堂

文化財分布マップ



アクセス(行きかた)

五社堂とは

フォトギャラリー


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アクセス


公共交通機関 = 路線バス

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JR秋田駅 → JR男鹿駅 1〜2時間に1本、所要時間 1時間。760円。

JR男鹿駅 → 男鹿市単独運行バスの男鹿南線「門前駐車場」バス停 3時間に1本、ただし週末は1日3本、所要時間 30分、400円。
男鹿市単独運行バスの時刻表、運賃などについては、男鹿市公式サイトへ。

「門前駐車場」バス停 → 現地 徒歩30〜45分(700m、急な登りの石段)。

バス停と現地の位置関係などは、こちらの見学案内用 Google Mapを参照。

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バス停近くにある案内看板を見ると、赤神神社拝殿からまっすぐ石段を登って五社堂駐車場の方に向かうのが近道に思える。

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赤神神社拝殿。そこには大きく「五社堂入口」と書かれており、拝殿右側の石段を登ってみた。
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しかし、登り始めてすぐこのような状態に。画像で見るよりも階段はずっと急で凹凸が激しく、歩行はかなり困難だった。
なので、遠回りにはなるが、バス停から車道を歩き、五社堂駐車場から入った方が楽だと思う。

五社堂駐車場から先のアクセスは、下の「駐車場」へ。

ちなみに、赤神神社拝殿わきの荒れ果てた石段をなんとか頑張って登ると、五社堂駐車場の手前に、打ち捨てられたような山門が現れる。
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駐車場

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施設付属の「五社堂駐車場」がある。無料。

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駐車場の奥、この画像の方向に進む。

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この赤い鳥居をくぐると、五社堂への案内看板があるのでそちらに進み、石段を登り始める。

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駐車場から五社堂まではひたすら石段を上がる。標高差は80mほど。この画像で見るよりも実際はもっと石段は急で、しかもかなりデコボコで歩きにくい。足腰に自信のない方にはあまりおススメできない。

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しかし苦労して秘境っぽい雰囲気の中、石段を上がると、やがて目の前が開けて五社堂が現れる。


なお、五社堂駐車場よりも遠方、海に近いところにも、無料の門前駐車場がある。「門前駐車場」バス停と同じ場所。
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ただし、門前駐車場からはバス停からのアクセスでも述べたように、現地までの徒歩経路の状態がよくない。

現地と五社堂駐車場、門前駐車場の位置関係は、こちらのアクセス用Google Map(管理人自作)を参照。





神社の説明


 五社堂(ごしゃどう)は赤神神社(あかがみじんじゃ)の本縁とされており、中央堂に主神として赤神を祀ったので、赤神神社の名称になったとされています。建保4年(1216年)別当円転が霊夢に感じて鎌倉の右大臣・源実朝公に請願、円転に命じて叡山山麓の山王上七社を勧請したもので、二社廃れたので五社に配祀されたとされています。 各堂の名称は向かって左から、「十禅師堂」「八王子堂」「中堂(赤神権現堂)」「客人(まろうど)権現堂」「三の宮堂」と呼称されています。また、この五社堂は建立、再建、修理の年代がよく解るため、近世社寺建築の編年上重要な建物とされています。現存の五棟の社殿は江戸時代の中ごろ(1710年)に建てられたものといわれ、向拝、屋根、柱、組み物などに珍しい工夫がみられます。 平成2年(1990年)に国の重要文化財に指定され、平成10年(1998年)から3年余りをかけ、平成の大修理が行われました。 ←赤神神社五社堂公式HP

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by h9w457y8i | 2017-09-25 12:19 | 秋田 | Comments(0)

案内所トップ秋田県 江戸時代以前の文化財 > 大山家住宅

文化財分布マップ


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 鵜川地域の北東部、飯塚集落には代々村役(村長)を務めた大山家の住宅が残されています。およそ270年前、江戸時代後期に建てられました。
 主屋から馬屋を突出させたL字型の曲屋(まがりや)で、労働力として家族同様に大切にされた馬と人が同じ建物に住んでいました。こうした建物は秋田県内ではよく見られる「中門づくり」と呼ばれています。中門づくりは、曲がり家の一種で、馬家の部分(突き出した部分)に出入口があるのが中門づくりと言われています。広い馬屋と土間は、冬が長い地域の農家が様々な作業や貯蔵を行うために必要とされた空間でした。
 大山家は、桁から軒先まで腕木を伸ばして屋根を支える「せがい」という工法を用いています。当時、一般の住宅には禁じられていた工法で、藩から上層階級にのみ許されていました。茅葺屋根には野芝を生やして耐久性を図っています。窓には町家風の出格子(外から出窓のように見える格子)が取り付けられています。
 家の内部は装飾が少なく、簡素ですっきりとした美しさを持っています。保存状態が良く、中門づくりの典型例として、昭和48年(1973年)に国指定の重要文化財となっています。 ←秋田県公式サイト

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現地から徒歩30分(約2.3km)以内に、鉄道駅やバス停はない。
最寄駅はJR奥羽本線 北金岡(きたかなおか)駅。
秋田駅から北金岡駅まで52分、2時間に1本。北金岡駅から現地まで徒歩約55分(4km)。

駅と現地の位置関係はこちらのマップへ。

敷地内に数台のクルマを停めるスペースあり。

入り口に門はあるが、門扉は撤去されており敷地内にはいつでも入れる。外観は常時見学可能。

建物そのものはきちんと整備されているようで、茅葺の屋根はきれいに切りそろえた跡が見受けられ、雑草も生えていない。戸や窓には障子が張られ、それほど痛んでいなかった。しかし見学者のための設備は古びた案内看板以外は何もなく、非常にうら寂しい感じ。おそらく見学者はほとんどいないのだろう。

内部の見学は要予約。詳細は三種町公式サイトへ。

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by h9w457y8i | 2017-09-23 09:25 | 秋田 | Comments(0)


案内所トップ秋田県 近代文化遺産 > 金家住宅

文化財分布マップ



アクセス(行き方)

見学のしかた

建物の説明


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アクセス


徒歩圏内(徒歩30分、約2.3km以内)に、バス停や鉄道の駅はない。
金家住宅周辺の地図はこちら(文化財分布マップ)

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最も近い鉄道の駅は、秋田内陸縦貫鉄道、秋田内陸線の米内沢(よないざわ)駅。そこから徒歩約45分(3.3km)。

金家住宅は所有者の現住であり、見学者用の駐車場はない。付近に一般用有料駐車場もない。敷地前の道路には駐車禁止の標識あり。(ただ主要道路から一本入った道であり、比較的幅広で交通量も多くないため、路肩に一時停車して車窓から見る程度なら問題ないだろう。






見学のしかた


現住のため非公開。門より内側には立ち入らないこと。和館のみ特別公開の予定あり。詳細は北秋田市教育委員会へ。←北秋田市教育委員会発行パンフレット
2017.9では、和館公開情報は見つけられなかった。





建物の説明


 金家(こんけ)は、戦前は阿仁地方の三大旦那と呼ばれた有数の地主として土地経営を行うかたわら、農村の青年教育に尽力するなど地域の発展に貢献した。
 金家住宅洋館、旧金家住宅和館は金家9代目当主、金逸郎によって建築された。竣工は昭和3年(1928年)。
 木材は全て持ち山から伐採したものを用い、蒸材(蒸し器を使って木材を蒸し、木材を軟化させて曲げる方法)・乾燥を施し良質な材料に仕上げた。現在においても狂いはほとんど見られず、当時の技術の確かさを感じさせる。
 金家住宅は、好対照をなす洋館と和館が極めて良好に保存されており、東北地方で数少ない大型の和洋並立住宅として貴重であり、また地方における近代住宅の展開を示す建造物の一つとしても歴史的価値が高い。近代地主の屋敷構えを伝える文庫蔵、米蔵、土地も併せて、平成20年(2008年)に国指定の重要文化財となり、保存を計っている。

 洋館は印象的な急勾配の大屋根に切妻破風と正面に突き出た屋根窓(ドーマー・ウインドウ)を付け、1階を下見板張り、2階をドイツ壁(モルタルを吹きつけ、粗く仕上げた外壁)、妻壁をハーフティンバー(柱や梁を外に見せ、漆喰やレンガで仕上げた外壁)とする。終戦後の数年間は、長野岱女子農業学校(現・秋田県立米内沢高等学校)の女子寮として使用された。

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 和館は洋館とは対照的なむくり(上に向かって凸型に膨らんだ形状。屋根の輪郭は丸みを帯びる)をつけた入母屋屋根で、2階建ての廊下を付属し上下階で洋館とつながる。当家の山林から調達した良質な秋田杉を使い、「金」の文字を模した欄間の透彫や座敷飾りなど、細部まで丁寧につくられている。2階の縁は極力柱を省き、座敷から周囲の田園を広く望む。庇縁の八間通しの軒桁(杉丸太)は圧巻である。昭和42年(1967年)に旧森吉町に寄贈され、近年まで地区の公民館として活用された。 ←北秋田市公式サイト内、金家パンフレット

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米蔵

by h9w457y8i | 2017-09-21 06:31 | 秋田 | Comments(0)

案内所トップ秋田県 近代文化遺産 > 旧阿仁鉱山外国人官舎

文化財分布マップ



アクセス(行き方)

見学のしかた

建物の説明

管理人のおすすめポイント

フォトギャラリー


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アクセス


アクセスマップ

公共交通機関 = 駅から徒歩

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秋田内陸縦貫鉄道 秋田内陸線 阿仁合(あにあい)駅から、徒歩約6分(450m)。列車の運行は2時間に1本。


駐車場

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施設付属無料駐車場あり。駐車場入口はこちらのアクセスマップを参照。





見学のしかた 


旧阿仁鉱山外国人官舎は現地では「異人館」と呼ばれている。
建物の外観はいつでも自由に見学できる。
建物内部に入るには、隣に立つ歴史資料館、「阿仁伝承館」の入り口で入館料を支払い、伝承館から地下トンネルを経由する。
(外から直接旧阿仁鉱山外国人官舎の中に入ることはできない)

開館時間、休館日、入館料など見学についての詳細は、阿仁異人館・伝承館公式HPを参照。
2017.8
開館時間 09:00〜17:00
入館料 大人 400円
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)、12/29〜1/3






建物の説明


 阿仁鉱山(あにこうざん)は、明治8年(1875年)に明治政府の工部省の所管となり、産業振興を推し進めるため、外国人技術者を雇い入れ、近代化を図った。この建物は、派遣された「お雇い外国人」のために建設された官舎2棟のうちの1棟で、明治15年(1902年)に竣工した。当時の銀山町の人々はこの建物を「夷人館(異人館)」と呼んだ。
 文明開化の象徴とも言える鹿鳴館(明治16年竣工)に先行し、秋田県最古の洋風建築であるとともに、現存するレンガ造住宅としては全国的に古いものの一つであり、我が国の産業近代化初期の一旦を示す建造物として貴重である。 ←北秋田市教育委員会による現地案内看板

 異人館は明治12年(1879年)に来山したドイツ人の鉱山技師メツゲル(Adolph Mezger)らの居宅として建築されました。現在、北秋田市消防署阿仁分署が建っている場所にもう一棟の外国人官舎がありましたが、すでに焼失しており現存しておりません。残った一棟(現・異人館)は平成2年(1990年)に国の重要文化財の指定を受けています。
 異人館はメツゲルの設計によるものと言われており、当時は阿仁鉱山外国人官舎及び事務所として使われていました。構造は煉瓦造りの平屋建てで、屋根は切妻造り、壁は地元の土を焼いて造られた煉瓦造りです。煉瓦は現在の下浜(阿仁河川公園付近)で作られたようです。建物は東に面して建ち、半円形窓は上げ下げ式、外側は鎧戸、周囲は木造のベランダで囲まれており、異国情緒漂う建物です。のちの洋式建物の象徴といわれる鹿鳴館やニコライ堂より先駆けて建てられており、ヨーロッパ人と洋館に初めて接する当時の日本人にカルチャーショックを与えたと言われています。メツゲルらの離任後、この異人館は鉱山局起業課、迎賓館、宿泊施設等へと用途が変わりました。
 昭和57年(1982年)の森吉山直下型地震や、その翌年に起きた日本海中部地震によって、煉瓦壁の一部が崩壊・ヒビ割れなどの被害があり、阿仁町の所有となった昭和58年に破損個所の改修及び部分整備が行われました。その後「阿仁町異人館」として一般公開されています。 ←阿仁異人館・伝承館公式サイト

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管理人のおすすめポイント


秋田県北東部に位置する山間のまち、北秋田市は、この建物を「阿仁異人館」として地域史のシンボルとするとともに、観光の一助にしたいとも考えているようです。
しかし、少なくない予算をかけてあのうっすら水が溜まった湿っぽい地下通路を造り、そこを経由しないと内部に入れないようにした意図は、どうにも計り知れません。
建物の外観や内部のデザインには、一般の方にとってこれと言った眼を見張るような特徴はないのでは? と感じましたが、明治時代初期に建てられた木造建築物としては、保存・管理が行き届き、良好な状態を維持している方だと言えるでしょう。外壁やベランダは適度に風雨にさらされた感じが出ている一方で、見えにくい屋根はしっかりとメンテナンスされているように見受けられました。
ただ、建物そのものに観光の目的となるような目立った特徴がないために、秋田市街から遠く離れたこの阿仁の地まで、列車やクルマでわざわざ来る価値があるかと言えば...。うーん、微妙なところかもしれません。

ですが、管理人にとっては有意義な訪問となりました。
夏の良く晴れた日、遠くまで広がる青々とした稲田の中の道や、におい立つような濃い緑の木々の間をドライブするのはとても気持ちよかったですし、山深い場所にこのような歴史ある洋館が立っていること自体に興味を持ちました。

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by h9w457y8i | 2017-09-17 16:13 | 秋田 | Comments(0)


サイトマップ岡山県 江戸時代以前の文化財 > 旧大原家住宅



倉敷は,江戸初期以来の幕府直轄地でした。倉敷川の水運を利用して経済力が高まり,江戸後期には「新禄(しんろく)」と呼ばれる新興勢力が台頭し,それまでの「古禄(ころく)」と呼ばれる世襲の勢力に代って次第に富を蓄え,社会的地位を確立してきました。
こうした新禄層の屋敷のうち,往時の面影を最もよく留める現存の町屋として,旧大原家住宅と大橋家住宅の2つの町屋が,国の重要文化財に指定されています。屋敷構えは互いに全く異なるものの,主屋等の建造物は両者ともに18世紀末における倉敷町屋の代表的な形式を示しています。
旧大原家住宅は寛政7年(1795)に主屋の建築が着工され,その後座敷部分が増築され, その先には広い庭が続いています。また,主屋の後ろには蔵が建ち並び, 防火の役目も果たしています。
主屋は本瓦葺,厨子二階建てで,屋根は一見入母屋造に見えますが,実際には切妻造りで妻側に付庇を設けた庇付き切妻屋根となっています。また倉敷窓,倉敷格子といった倉敷独特の意匠も備えています。蔵は土蔵造りで,外壁は腰に瓦を張りつけ,目地を白漆喰で盛りあげる『なまこ壁』で仕上げられ,そのコントラストは非常に美しく,倉敷の町並みの景観を特徴づけています。 ←倉敷市公式サイト

文化財は、主屋、内倉、離座敷、倉、新倉、中倉、内中倉、北倉、壬子倉、西倉の10の建造物からなる。昭和46年(1971年)、国の重要文化財に指定。←文化庁国指定文化財等データベース
 
見学は外観のみ可能。

アクセスマップ

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文化財分布マップ

by h9w457y8i | 2017-09-15 07:08 | 岡山 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。