めかるはかあとぐん

14世紀~19世紀前半にかけて造られた墓跡群。
国指定史跡 平成19年(2007年)指定。




沖縄県那覇市内。かつては米軍住宅だったところを再開発して、新しい街ができた。「おもろまち」という名前の場所であり、周辺はマンションや大規模商業施設が立ち並ぶ。その中に、ポツンと盛り上がった緑地がある。それが、この墓石群である。


銘苅墓跡群は、沖縄グスク時代から琉球王府時代、明治時代に続く大規模な墓跡群である。土地区画整理事業地内には亀甲形(かめこうがた)の外観を持つ亀甲墓のうち最大規模の伊是名殿内(いぜなどぅんち)の墓をはじめ、多くの古墓が存在することが知られていた。伊是名殿内の墓と都市公園予定地内の一部の古墓については保存されることとなったが、他のものは那覇市教育委員会により平成2年から15年まで断続的に発掘調査された。調査が進むにつれ、多様な形式の墓が330基以上に及び、その成立が14~15世紀に遡ることなどが明らかとなった。*1

銘苅墓跡群についての更に詳しい解説は、文化庁文化財等データベースを参照。





伊是名殿内の墓。沖縄県内でも最大規模の亀甲墓であり、この墓跡群の中心的存在。
まわりはこのようにキレイに整地されていて、個人的にはあんまり趣を感じない。
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墓の屋根の部分の丸みを帯びた形状、そして墓の周囲のグネグネした石垣は、なんというか、異星人の宇宙船を彷彿とさせた。
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墓の正面は北西に向いている。後ろに写っているのは那覇市消防本部の建物。
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現地案内看板。
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伊是名殿内(いぜなどぅんち)の墓は、伊是名、伊平屋(いへや)両島の総地頭(そうじとう)(上流士族)、伊是名家の墓です。銘苅墓跡群の中にあって他の墓とはその規模、造形などが大いに異なる亀甲墓(かめこうばか)です。
この墓は小高い山を三面に切り取り、その切り取った土で敷地を造成して作られた、面積約660㎡の県内最大級の亀甲墓です。その規模、建造技術は沖縄県の墓の中でも傑出したもので、道教(風水)の思想を基につくられています。
墓庭を囲む石垣には「相方(あいかた)積み」を用い、隅には突出した石「隅頭(すみがしら)」があり、上級士族の屋敷囲いの石積みを彷彿とさせます。入口には、本門と中門の二つの門があり、入口をクランク状につくることにより、ヤナカジ(悪い風)が直接墓本体に当たらない工夫が施されています。
この墓は、その外観より18世紀代の様式のものである事がうかがえます。亀甲墓は17世紀に中国南部から伝わり士族階級に広がり、18世紀代に沖縄において独自の発達をして完成された墓で、この墓はその特徴をよく表している代表的な墓と言えます。*2







見学メモ

アクセス
<鉄道>
沖縄都市モノレール(通称「ゆいレール」)「おもろまち」駅から、約1.1km(徒歩約15分)
同じくゆいレール「古島(ふるじま)」駅から、約900m(徒歩約13分)
ゆいレールの路線、駅、時刻表、料金については、ゆいレール公式ホームページ参照。
<バス>
99系統「安謝1丁目」バス亭から、約400m(徒歩約5分)。
路線バスは琉球バス交通沖縄バス東陽バス那覇バスの4社が主に運行しており、路線の系統番号は全社共通となっている。こちらのサイトだと全ての運行会社の全ての路線が非常に見やすく掲載されており、時刻表、料金も見られてとても参考になる。ただし公式サイトではないので、最新の情報に関しては各運行会社に問い合わせるのがベターだろう。
<クルマ>
渋滞の多い旧市街と異なり、この辺りは広い道路が縦横に走る区画整理の進んだ地域であり、クルマでのアクセスも悪くない。墓跡群から200m弱の「新都心公園」交差点周辺に、コインパーキングもあった。タイムズ公式サイト参照。


google map

普段の見学
伊是名殿内の墓は屋外にあり、見学は常時可能。この墓以外の墓跡が見学に適した状態になっているかどうかは不明。

特別公開
特に見つけられなかった。

問い合わせ
那覇市教育委員会文化財課へ。



*1 文化庁文化財等データベースより抜粋
*2 那覇市教育委員会による現地案内看板より抜粋
by h9w457y8i | 2011-09-28 10:47 | 沖縄 | Comments(0)

Кремль (クレムリ)

各聖堂の竣工時期は下記記事参照。
世界文化遺産 1990年登録



クレムリンの概要については、クレムリン(壁、塔、宮殿など)の記事を参照。

ソ連時代の秘密主義を象徴するかのようにも見える巨大な城壁に囲まれたクレムリン。その内部は、現ロシア政府・議会の中枢部と、ロシア正教の中枢部とに別れる。この記事では、後者の宗教施設の外観画像をご紹介。

クレムリンの建物配置図
赤の広場の記事





聖堂広場
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帝政時代からロシア正教の数々の行事や皇帝の戴冠式なども行われ、外国からの使節を招く場所でもあった。現在もしばしば行司や祭典が行われる。





パトリアーシェ宮殿および十二使途教会
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ロシア正教の総主教の宮殿。竣工時期不詳。5つの丸屋根を持つ十二使途教会は1656年の竣工。現在は17世紀ロシアの工芸博物館として使われ、祭服や聖具、銀器など精緻な品々が数多く展示されている。*1






ウスペンスキー大聖堂
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かつてロシア帝国の国教大聖堂とされ、ロシア皇帝が戴冠式に臨み、モスクワ総主教が葬儀に付された場所。地震で倒壊した初代大聖堂に代わり、イタリアの名匠アリストーテリ・フィオラバンティの設計で1479年に再建。古都ウラジーミルのウスペンスキー大聖堂を模して作られたといわれている。*1






イワン大帝の鐘楼
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イワン雷帝(イワン4世)の頃、モスクワにこれ以上高い建物はなかった。それは誰もこの建物より高い建築物を建てる権利がなかったから。1505年~1543年にかけて工事が行われた。ナポレオンがモスクワから撤退する際に鐘楼の爆破を命じたが、18個の鐘は残った。1992年の復活祭を機に、教会としての機能を再開。鐘楼の高さは81mで内部は非公開。*1







アルハンゲルスキー聖堂
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軍の守護聖人、大天使アルハンゲル・ミハイルを祀って建てられた教会。現在の建物は、イワン大帝が死の直前に下した命により、ヴェネツィアのイタリア人アレヴィズ・ジュニアの設計で1505年から1508年にかけて建設された。もともと建物は16世紀のロシア建築を踏襲したものだが、設計者がイタリア人だったこともあり、どことなくルネッサンス様式の面影もたたえている。外壁上部の貝殻模様は、この教会にエキゾチックな雰囲気をもたらしている。14世紀からこの教会には、歴代のモスクワ公、後にロシア皇帝の遺体安置所となっていて、ピョートル大帝が首都をサンクト・ペテルブルグに移すまでの間の皇族たち、全部で48の棺が堂内に所狭しと並べられている。*1
堂内は見学可能だが写真撮影は不可。







ブラゴヴェシチェンスキー聖堂
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イワン大帝の命により、1484年~1489年にモスクワとプスコーフの名匠たちによって建てられた。グラノヴィータヤ宮殿に隣接し、皇帝自身の礼拝に使われた。この教会は、イタリア人の手によるクレムリンのほかの教会に比べ、純ロシア的な色合いが強いとされる。1547年に火災に見舞われたが、イワン雷帝によって修復されている。このとき拡張された部分が元の教会を取り巻くポーチで、イワン雷帝のポーチと呼ばれている。*1 
2番目の画像に写っているのがそのポーチ、かな?








見学メモ

アクセス
地図
赤の広場の記事、見学メモ参照。

普段の見学
クレムリンへの入場に関しては、クレムリンの塀、塔、宮殿などに関する記事の見学メモを参照。
訪れたのは2011年7月。このときはアルハンゲルスキー聖堂のみ内部に入れた。他の聖堂の内部に他の日であれば入れるのかどうかは不明。

特別公開
情報は見つけられなかった。



*1 ダイアモンド・ビッグ社「地球の歩き方 ロシア 2006~2007年版」
by h9w457y8i | 2011-09-27 08:31 | Comments(0)

旧八百津発電所施設

きゅうやおつはつでんしょしせつ

発電所本館、放水口発電所、水槽、余水路(よすいろ)からなる。
発電所本館 明治44年(1911年)竣工。
放水口発電所 大正6年(1917年)竣工。
国指定重要文化財 平成10年(1998年)指定。




未訪問。

発電所本館はレンガ造モルタル壁。
昭和49年(1974年)に運転を停止。
平成10年(1998年)、国の重要文化財に指定されたのを機に、発電所本館は資料館としてリニューアル・オープン。*1






見学準備メモ

アクセス
<鉄道およびバス>
名鉄広見線「明智」駅から町役場までバス。
JR高山本線「美濃太田」駅から町役場までバス。
バスの運行会社、時刻表は、八百津町役場公式サイト内、町役場へのアクセス案内ページ参照。
八百津町役場から現地まで、徒歩2.3km(約30分)。
<クルマ>
東海環状自動車道、可児御嵩ICから約12km。
現地駐車場の情報はないが、現地付近の公共交通機関の状態からして、当然施設に付属していると考えられる。


いつも使うgoogle mapでは、なぜかmap上に位置を示すアイコンが出ないという不具合が発生中。なので、さしあたってこの地図を使用。

普段の見学
資料館の開館時間、休館日、入館料などについては、旧八百津発電所資料館のサイトを参照。

特別公開
情報は見つけられなかった。
 
問い合わせ
旧八百津発電所資料館へ。 



*1 八百津町役場公式サイト内案内ページ
by h9w457y8i | 2011-09-26 09:48 | Comments(3)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。