Красная площадь (クラースナヤ・プローシシャチ)

15世紀末に広場として整備。*1
世界文化遺産 1990年登録。






「クラースナヤ」とはロシア語で「赤い」を意味するが、この広場の名前の由来は、社会主義体制の象徴的色、「赤」ではない。「クラースナヤ」には「美しい」という意味もあり、語源はここから来ているとされる。*2
ロシア連邦の首都モスクワの都心にある細長い広場。面積7万3000平方メートル。クレムリンの東にあり、17世紀に露天市(いち)を取り払って広場がつくられた。ロシア革命(1917)前は現在の面積の2分の1しかなかった。クレムリンの壁の前に、ロシア革命後の1920年代末、暗赤色の岩石でレーニン廟(びょう)がつくられて以後、この廟に詣(もう)でるロシア人や外国人の列が、クレムリンの西にあるアレクサンドル公園から、赤の広場の西端に立つ国立歴史博物館わきを通り、赤の広場へ延びる光景はソ連時代のモスクワの名物となっていた。現在では、かつてほどではないが、外国人や、土曜、日曜に地方から出てきた参拝者がみられる。クレムリンとともに1990年に世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産)。ソ連時代には5月1日のメーデー、11月7日の革命記念日には、この広場でパレードが行われたが、ソ連解体後は行われていない。*3





赤の広場、北西端の入口にある、ヴァスクレセンスキー門。17世紀に建てられたが、1931年、パレードの邪魔になるという理由で、スターリンの命により破壊された。現在あるのは1995年に再建されたもの。
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広場の北西端から、外に出たところ。手前右の建物が、国立歴史博物館。
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広場の北西端で、広場に背を向けた風景。
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広場の南東端にある、ポクロフスキー聖堂。1560年竣工。
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クレムリン城壁、赤の広場の北西端にある、ニコリスカヤ塔。
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広場の北西端に建つ、国立歴史博物館。
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広場の中央に建つ、レーニン廟。エンバーミング処理されたレーニンの遺体が永久保存されている。ソ連時代、閲兵式(軍事パレード)が行われる際には、この上にソ連の上層部の面々が並んだ。
訪れたのは金曜日で、あいにく閉館中だった。
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元老院(ロシア連邦大統領府)の屋根。この上に旗がはためいているときは、大統領がクレムリンにいる印。
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広場を挟んで、クレムリンとは反対方向にあるグム百貨店。1893年、工場として建てられ、その後1921年にレーニンが百貨店とした。ソ連時代は食料品、衣料品が販売されていたが、現在はその頃の面影はまったくなく、外資系高級ブランドが軒を並べるショッピング・モールに変身している。
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広場の南東端に建つ、クレムリン城壁の一部、スパスカヤ塔。
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スパスカヤ塔と、前述のニコリスカヤ塔の先端には、巨大な赤い星が輝いている。
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広場に面したクレムリンの城壁。
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見学メモ
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アクセス
<鉄道>
モスクワの地下鉄「モスクワメトロ」は、モスクワ市内をほぼ網羅する12の路線で構成されており、その路線網の中心部にクレムリンは位置する。東京メトロと皇居のような関係。よって、地下鉄のどの路線、どの駅からも、クレムリンや赤の広場へのアクセスは容易である。
路線図はこちら。(もしリンクが無効な場合は、モスクワメトロの公式サイト(ロシア語と英語)へ。)
1番線「Охотный ряд」駅から、徒歩約3分。
2番線「Театра́льная」駅から、徒歩約5分。
3番線「Пло́щадь Револю́ции」駅から、徒歩約2分。
4番線「Алекса́ндровский сад」駅から、徒歩約7分。
6番線および7番線「Китай-город」駅から、徒歩約7分。
9番線「Боровицкая」駅から、徒歩約7分。
モスクワ・メトロの乗り方については、こちらの記事に詳述。


普段の見学
赤の広場は常時見学可能。レーニン廟は、火、水、木、土、日曜の10:00 ~ 13:00 の間、一般公開されている。


特別公開
情報は見つけられなかった。



*1 コトバンク 
*2 ダイヤモンド・ビッグ社「地球の歩き方・ロシア 2006~2007年版」
*3 Yahoo百科事典
by h9w457y8i | 2011-07-25 18:02 | ロシア | Comments(0)

きゅういそのけじゅうたく おもてもん

大正2年(1913年)、竣工。
四脚門(よつあしもん)*1、切妻造(きりづまづくり)*1、南北屋根塀及び脇門附属、銅板葺
国指定重要文化財 平成17年(2005年)指定。





旧磯野家住宅は,実業家の磯野敬が建設した住宅である。東京に残る数少ない明治末期から大正初頭にかけての邸宅建築のひとつであり、材料・意匠・技法・構成において伝統的な木造建築の技術と明治以降の大工技術の創意とが融合した近代和風建築の作品として高い価値がある。
表門は、尾州檜の太い丸太材を柱に用いた四脚門である。*2
一方、同じく国の重要要文化財に指定されている主屋は、屋根や壁が銅板でできており、かつては「銅御殿(あかがねごてん)」と呼ばれていた。*3




地下鉄「茗荷谷」駅から徒歩約3分。深い木立が涼しげな敷地が現れる。旧磯野家住宅である。
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その敷地の最南端に位置するのが、表門。普段は閉ざされており、一般人は門をくぐることはできない。
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よく吟味された材料がふんだんに使われている。*3
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表札に「大谷」とあるのは、大谷さんがお住まいになっているわけではなく、特殊財団法人大谷美術館の管理下にあるから。 
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現地案内看板。
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見学メモ
アクセス
<鉄道>
東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷(みょうがだに)」駅から、徒歩約3分。
<クルマ>
施設付属駐車場はない。付近にいくつか有料駐車場がある。s-parkのサイト参照。ただし都心部に近いこともあってか、平日昼間は満車のことが多いようだ。


google map

普段の見学
門の外観のみなら、一般道に面しているため自由に見学できる。ただし門の奥の敷地は、普段は非公開であり、門は閉ざされている。

特別公開
春と秋に、数日間一般公開される。大谷美術館に事前申し込みが必要。詳しくは、PORTAL TOKYOのサイトへ。
このうち秋の公開は、文化の日前後に催される「東京文化財ウィーク」期間中の公開スケジュールに組み込まれている。2010年の公開情報はこちら。一日20名のため抽選となることがある。入場500円。

問い合わせ
大谷美術館へ。上記PORTAL TOKYOへのリンクを参照。


*1 用語解説
*2 文化庁文化財等データベース
*3 現地案内看板
by h9w457y8i | 2011-07-20 10:34 | 東京 | Comments(0)

東京都の近代文化遺産リスト > 旧東京医学校本館

明治9年(1876年)竣工。
木造、建築面積430.6㎡、二階建、桟瓦葺(さんかわらぶき)*1、正面玄関及び中央部塔屋付
国指定重要文化財 昭和45年(1970年)指定。



この建物は、明治政府が諸官庁の建築工事を管掌させた工部省営繕局の設計になる。
明治10年、東京開成学校、東京医学校を毋胎として東京大学がつくられた。以後、医学部本部・病室をはじめ各種の用途に用いられる。
明治44年(1911年)に前半部が赤門脇へ移され、史料編纂掛(後半部は神田錦町の学士会館)の建物となる。この際の平面規模の縮小と共に、屋根の上の搭屋、車寄の上の手摺などの形状が変更され現在見るような姿となった。このとき、塔屋の時計台は撤去された。
昭和3年(1928)以降は営繕課や施設部の建物となる。昭和40年(1965)に解体され、44年に理学部附属植物園(小石川植物園)内の現在地に再建され、45年に国の重要文化財の指定を受ける。以後、南側に広大な緑地を臨む都内有数の恵まれた立地を享受し、東京大学総合研究博物館小石川分館として現在にいたる。
この建物は東京大学構内に現存するものとしては最古であり(*2)、大学発祥の由緒をもつものとして、学校教育史上価値高く、また、工部省営繕局設計の木造建築の重要な遺例である。*3 *4





東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷」駅から徒歩5分ほどのところ。正面に小さく、屋根の上に塔屋のある建物が見えてくる。
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上記の写真を撮影したところから、更に徒歩2分ほど。建物への入口。ここからの入場は、無料である。

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屋根の上の塔屋。丸いよろい戸のような部分には、かつては時計が組み込まれていた。
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正面の車寄せ。
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屋根の上の手すりの形状も、時計が撤去されたのと同じ時期に変更された。建物は「擬似洋風建築」*4ということで、手すりの形状はまるで古いお寺や橋の手すりのよう。
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車寄せから植物園を望む。植物園と言うより、まるで日本庭園。
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b0212342_16132328.jpg桟瓦葺の屋根。

b0212342_1614324.jpg現在は、外部は往時の面影を残しつつ、内部はかなり改装され、窓は二重になっている。


建物の内部には、裏から入る。
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竣工時の古い柱を生かした内装。
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ちょいと不気味な展示品もアリ。昔で言う「博物学」の標本なんだろうな。
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…ここまでの画像は、東京大学総合研究博物館小石川分館の入口から見られるところ。
一方、以下の画像は、建物の前に広がる東京大学大学院理学系研究科付属植物園本園(通称「小石川植物園」)から撮った画像。

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見学メモ
アクセス
注)建物と隣接する東京大学付属植物園は、以下では「植物園」と記す。
建物の外観全体を、建物正面から見る場合。
記事に記載したように、植物園の中に入る必要がある。以下は植物園入口へのアクセス案内。建物が見えるところに行くまでは、植物園入口から徒歩約9分(700m)。
<鉄道>
都営地下鉄三田線「白山」駅から、徒歩約10分(800m)。
東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷」駅から、徒歩約13分(1.1km)。
<バス>
東京メトロ「後楽園」駅、あるいは都営地下鉄「春日」駅下車、それぞれの駅に隣接する文京区役所の北面にある都営バス「春日駅」停留所から、上60系統「大塚駅」行きあるいは「池袋駅東口」行きに乗車。1時間に2本。3つ目の「白山2丁目」停留所から、徒歩約3分。時刻表、運賃など詳細は東京都交通局公式サイトへ。
<クルマ>
施設付属駐車場はない。周辺にはいくつかコイン・パーキングがあるようだ(s-parkのサイトへ)が、平日日中は満車の場合が多い。

建物の外観全体を正面から見なくてもいい場合。 =上記画像①から入る。
<鉄道>
東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷(みょうがだに)」駅から、徒歩約8分(約600m)
<クルマ>
施設付属駐車場はない。周辺の有料駐車場に関しては、前記s-parkのリンクへ。


google map

普段の見学
上記画像①の入口から入ると、建物外観を最も遠くから見ても、せいぜい画像②が限度。画像③や画像④のように建物全体を正面から見たい場合は、植物園にいったん入る必要がある。ところが植物園とこの建物の敷地は、下画像のようなゲートで仕切られており、植物園側から建物側への一方通行となっている。で、植物園の入口はと言うと、植物園最南端、建物から700mも離れたところにある。よってオススメの見学ルートとしては、まず植物園を堪能して、それからゲートを抜けて建物にアクセスする方法。

      植物園正門。               植物園内部。都内の中心部にこんなところが…。
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建物の敷地と植物園を仕切るゲート。
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建物への入館自体は無料だが、植物園への入園は有料。
建物の開館時刻、休館日などについては、東京大学総合研究博物館小石川分館公式サイト参照。
植物園の開園時刻、入園料、休園日などについては、東京大学大学院理学系研究科付属植物園本園公式サイト参照。
b0212342_127088.jpgなお、入園券は、植物園入口前にあるこの売店で購入する。


特別公開
建物自体の特別公開、たとえば屋根裏とか塔屋の内部を見せてもらえるとか、そういう情報は見つけられなかった。

問い合わせ
東京大学総合研究博物館へ。 



*1 用語解説
*2 東京大学大学院理学系研究科付属植物園公式サイト 案内ページ
*3 文化庁文化財等データベース
*4 東京大学総合研究博物館小石川分館公式サイト 建物案内ページ
by h9w457y8i | 2011-07-18 16:38 | 東京 | Comments(0)

みついせきたんこうぎょうかぶしきがいしゃ みついたんこうきゅうまんだこうしせつ
じむしょ

大正3年(1914年)?*1 明治38年(1905年)?*2 竣工。
煉瓦造、建築面積124.99㎡、二階建、スレート葺
国指定重要文化財 平成10年(1998年)指定。





万田坑の概要については、こちらの記事参照。

大正3年(1914年)頃の建設当初は、坑内の換気を行う電気を動力とした巨大な扇風機が備え付けられた扇風機室だった。昭和26年(1951年)の万田坑閉坑後から、1階を更衣室などに、2階を事務室と坑内の監視室として利用していた。*1


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見学メモ
万田坑概要記事の見学メモ参照。


*1 現地案内看板
*2 文化庁文化財等データベース
by h9w457y8i | 2011-07-14 09:46 | Comments(0)

みついせきたんこうぎょうかぶしきがいしゃ みいけたんこうきゅうまんだこうしせつ 
あんぜんとうしつおよびよくしつ

明治38年(1905年)、竣工。
煉瓦造、建築面積107.33㎡、スレート葺
国指定重要文化財 平成10年(1998年)指定。




旧万田坑施設についての概要はこちら

「安全燈」とは、炭坑夫がヘルメットに付けるライトのこと。
「安全燈室」とは、このライトを点灯させるための携帯用バッテリーを充電する部屋。

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安全燈室。
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充電装置。
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こちらは浴室。
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b0212342_1427073.jpg現地案内看板。





見学メモ
旧万田坑施設概要記事参照。
by h9w457y8i | 2011-07-08 14:27 | Comments(0)

あらがきけじゅうたく

明治末期以前、竣工。

主屋  うふや : 桁行8.6m、梁間10.6m、寄棟造(よせむねづくり)*3、北面突出部付、本瓦葺(ほんがわらぶき)*3
     とんぐわ : 桁行7.0m、梁間9.9m、寄棟造*3、南面突出部付、東面うふやに接続、本瓦葺*3
     附(つけたり)*3 : ふーる×1、石牆×2

作業場  桁行7.5m、梁間5.7m、南面及び西面下屋附属、北面主屋取合部を含む

離れ  桁行6.6m、梁間5.4m、寄棟造、本瓦葺

登窯  延長22.7m、幅4.0m、連房式登窯、焚場、燃焼室、焼成室9房、排煙口からなる。上屋 桁行19.6m、
     梁間4.0m、寄棟造*3、本瓦及び鉄板葺

国指定重要文化財 平成14年(2002年)指定。






新垣家住宅は,沖縄県那覇市、国際通りの南東方に広がる壺屋地区にある。沖縄陶業の拠点であった壺屋地区に唯一残る陶工の住宅であり,石牆(家の周りの石垣)をめぐらした大規模な屋敷を構えており,沖縄の民家及び壺屋の歴史を知る上で,欠くことのできない重要な遺構である。
主屋は,「うふや」と、その西に一間南にずれて接続する「とんぐゎ」からなる。作業場は作陶のための施設で,離れも,もと作業場であった。登窯は粘土造で,九房の焼成室を連ねる。
中心となる主屋は19世紀後半までに建築されたとみられ,遅くとも明治末年頃までに,現在の屋敷構えが整えられたと考えられる。*1

主屋附の「ふーる」とは何を指すのかは、不明。

2006年から2009年にかけ、釜や屋根の崩落が続き、存続が危ぶまれていた。そこで2009年5月、国、沖縄県、那覇市がそれぞれ費用を出し合って修復することが決まった。*2
2011年2月に訪れた際は、その修復工事の真っ只中であり、全面が工事用安全シートや建屋で覆われ、外観すらほとんど見られない状態だった。



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b0212342_11105290.jpg現地工事案内看板に載っていた写真。






見学メモ
アクセス
地図
<鉄道>
沖縄都市モノレール、通称「ゆいレール」の「安里(あさと)」駅から、徒歩約8分(600m)。または、同じくゆいレール「牧志(まきし)」駅から、姫百合橋交差点、および国道330号線経由、徒歩約9分(750m)。ゆいレールは、那覇市中心部の要所をグネグネ経由しながら那覇空港と首里地区を結ぶ、沖縄県で唯一の鉄道。那覇市街の道路は時間によっては渋滞が激しく、駐車場も多くはないため、沿線地区の移動にはもっとも便利だと思う。
<バス>
沖縄本島の路線バスは琉球バス交通沖縄バス東陽バス那覇バスの4社が主に運行しており、本島のほぼ全域をカバーしている。路線の系統番号は全社共通となっている。
新垣家住宅へは、17、30、31、55、112系統の「壺屋」バス停から、徒歩約1分。路線図、バス停の時刻表、料金など詳細は、バスマップ沖縄のサイトがわかりやすい。ただしこれはバス会社の公式サイトではないし、時刻表は一部の系統のものしか掲載されていないので、利用に際しては前記リンクのバス運行会社に確認したほうがいいかもしれない。
個人的なオススメは、ゆいレール沿線でない場合は、まず那覇バスターミナル(那覇BTと記載されることが多い)までバスで行き、そこから徒歩2分のゆいレール「旭橋」駅へ、その後ゆいレール利用。
<クルマ>
付属の駐車場はない。新垣家の周辺は、車1台がやっと通れるか通れないかというくらいの、かなり細く曲がりくねった道路であり、クルマで乗り付けるのは、明らかに周辺住民の方の迷惑となる。有料駐車場は付近には見当たらず、那覇市街中心部に近いため朝夕の渋滞も発生しやすいし、はっきり言って、アクセスの方法としては最もオススメ度は低い。
半径600m以内に、かなり大規模なタイムズのコインパーキングがいくつかある。


google map

普段の見学
上記画像にあるように、修復工事が2016年3月末まで行われており、2011年2月の段階では外観も満足に見られない状態。たとえ外部が見られる状態だったとしても、もともと所有者の方が住まわれている住宅なので、内部は非公開。

特別公開
平成22年7月、修復工事中の「東の窯」が、那覇市教育委員会主催で一般公開された。今後ももしかすると、工事中でも特別公開があるかもしれないが、この記事の掲載時点ではそういう情報は確認できなかった。

問い合わせ
那覇市教育委員会文化財課へ。



*1 文化庁文化財等データベース
*2 琉球新聞記事
*3 用語解説
by h9w457y8i | 2011-07-07 12:09 | 沖縄 | Comments(0)

きゅうそうげんじだいいちもん および せきしょう

附(つけたり)*1 :下馬碑×1、下馬日残欠×1
1527年以前、竣工。
石造三連アーチ門、左右石牆延長66.3m、各脇門一所を含む
国指定重要文化財 昭和47年(1972年)指定。




崇元寺は臨済宗(りんざいしゅう)の寺で山号を霊徳山(れいとくざん)と言った。王府時代の国廟で、天孫氏(てんそんし)をはじめとする歴代国王の神位が安置され、冊封使(さっぽうし)が来た時には新王冊封に先立って先王を祀る諭祭(ゆさい)が行われた。かつて崇元寺は国宝に指定されていたが、太平洋戦争で正廟をはじめとする木造建築物は全て消失した。
第一門および石牆(周囲の石垣)は、正面中央の切石積み三連のアーチ門とその左右に延びる両掖門を備えた琉球石灰岩のあいかた積みの石垣であり、沖縄の石造りアーチ門の代表的なものである。
石門の東に立つ石碑が「下馬碑」で、戦前は西にも同じものがあり、国の重要美術品に指定されていた。表はかな書き、裏は漢文で、この碑のところから下馬することを命じている。また、碑銘に「大明嘉靖六年丁亥七月二十五日」とあり、この年が西暦1527年にあたるので、崇元寺の創建はこの頃ではないかと考えられている。*2
…自分には難しい用語がちりばめられていてところどころ意味不明だが、「近代文化遺産」ではないので詳しく調べるのは別の機会に。





3つのアーチ門の両脇に、石垣=石牆が延びているのが分かる。クルマの往来が激しい県道29号線に面している。目の前には、バスの「崇元寺」停留所。
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門には木製の扉も再現されていた。
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石門の内側。公園となっており、立ち入りは自由。高校生のカップルがくつろいでいた。
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すぐそばにはガジュマル?の巨木。石門をくぐった敷地内は、このせいで昼間でも薄暗い。
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現地の案内看板。
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石門の東にある下馬碑、下馬日残欠が附に指定されているとはこのときは知らなかったので、それらの画像はない。






見学メモ
アクセス
<鉄道>
沖縄都市モノレール、通称「ゆいレール」の「牧志(まきし)」駅から、徒歩約6分(450m)。ゆいレールは、那覇市中心部の要所をグネグネ経由しながら那覇空港と首里地区を結ぶ、沖縄県で唯一の鉄道。那覇市街の道路は時間によっては渋滞が激しく、駐車場も多くはないため、沿線地区の移動にはもっとも便利だと思う。
<バス>
沖縄本島の路線バスは琉球バス交通沖縄バス東陽バス那覇バスの4社が主に運行しており、路線の系統番号は全社共通となっている。多くの系統の「崇元寺」停留所があり、そこから徒歩0分=目の前。系統はバスマップを参照。ただし、正確にはどの系統番号がこの停留所を通っているか、また運行会社、停留所の時刻表などの詳細は調べ切れなかった。系統によっては1時間に1本しかないものもある。詳細は、前記各運行会社に問い合わせるしかないと思う。
…個人的には、ゆいレールの沿線でないところから行く場合は、那覇バスターミナル(「那覇BT」と記載されることが多い)までバスで行き、そこから徒歩2分のゆいレール「旭橋」駅へ、そしてゆいレール利用、がわかりやすいと思う。那覇バスターミナルまでのバス系統番号は前記バスマップ参照。時刻表や料金は記載されていないこともあるので、前記各運行会社へ。
<クルマ>
施設付属の駐車場はない。周辺は市街中心部であり、駐車場も多くなく、オススメ度は最も低い。半径400m以内に、タイムズのコインパーキングが4箇所ある。

google map

普段の見学
公園の施設の一部として、常時開放されている。見学時間に制限なし。見学無料。

特別公開
特になし。この場所でなにかの特別な催しがある、という情報も見つけられなかった。

問い合わせ
那覇市教育委員会、でいいと思う。文化財の管理を行っているのは、たいてい現地自治体の教育委員会だから。


*1 用語解説
*2 沖縄県教育委員会、および那覇市教育委員会による現地案内看板
by h9w457y8i | 2011-07-03 13:32 | 沖縄 | Comments(0)

みついせきたんこうぎょうかぶしきがいしゃ みいけたんこうきゅうまんだこうしせつ

明治38年(1905年)、竣工。
構造および形式は、各施設の記事を参照。
国指定重要文化財 平成10年(1998年)指定。
国指定史跡 平成12年(2000年)、指定。


旧記事
事務所
安全灯室および浴室


万田坑(まんだこう)は宮原坑(大牟田市)の南約1.5kmの位置に開かれ、三井の総力を挙げて整備された、わが国最大規模の竪坑である。明治30年(1897年)から同35年(1902年)にかけて作られた第一竪坑と、明治31年(1898年)から同41年(1908年)にかけて作られた第二竪坑とからなる。
 大正から昭和にかけて、各施設を電化するなど設備や機械も充実し、出炭量も増大していった。大正2年(1913)~昭和6年(1931)の19年間に930万8340トン(年平均66万トン)、昭和2年(1927)~20年(1945)の19年間に1643万126トン(年平均86万トン)を出炭していた。
 昭和26年(1951)、採炭効率が低下したために採炭を中止し、第一竪坑などの諸施設が解体。その後も第二竪坑は揚水や坑内管理のため、施設が維持されていた。しかし平成9年(1997年)3月、三井三池炭鉱は閉山となり、100年以上にわたる長い歴史に幕を下ろした。そして残っていた第二竪坑の坑口も閉鎖された。
 現在、第二竪坑・櫓(やぐら)、巻揚機室、倉庫およびポンプ室、安全燈室および浴室、事務所、山ノ神祭祀施設などが保存されている。これらは、わが国の近代化に大きな役割を果たした三池炭鉱に現存する明治・大正期における最大級の施設であり、当時の優れた炭鉱の技術を伝えているため、平成10年(1998)5月1日、国の重要文化財に指定された。
 また第一竪坑跡、汽罐場跡、坑内トロッコ軌条、職場、プラットホーム等が遺存し、炭鉱のシステム(採炭、選炭、運炭)が分かるため、炭鉱施設としてはわが国では唯一、平成12年(2000)1月19日、国史跡として指定された。
 現在では、平成21年(2009)1月にユネスコ世界遺産暫定リストに登録され、保存修理も終了したため、平成22年(2010)4月25日より、新たに一般公開が開始された。*1

この他、三池炭鉱全般に関する解説は、荒尾市公式サイト参照。




b0212342_11492062.jpgJR大牟田駅前でレンタルした自転車で、現地に向かった。
のどかな風景が続いていた。


万田坑施設全景。
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線路跡。
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「職場」。昭和初期に建設。木造平屋(一部壁はレンガ積み)、瓦葺で、建築面積162㎡。現地に今も残る旋盤やドリル盤は、ベルトの付け替えによって、モーター1台で動く仕組みになっており、坑内で使う機械類の修理や、工具の製作を行っていた。*2
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第二竪坑への入口。
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そびえ立つ第二竪坑の櫓。現在はしっかり補修され、塗装も新しく塗りなおされている。
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汽罐場跡。
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第一竪坑跡の画像はない。接近は可能だった。





見学メモ
アクセス
<鉄道>
JR鹿児島本線「荒尾」駅から、途中県道29号線経由、徒歩約35分(2.5km)。
JR鹿児島本線「大牟田」駅から、徒歩約45分(3.4km)。
西日本鉄道(通称「西鉄」)天神大牟田線「大牟田」駅が、JR大牟田駅に隣接している。
<バス>
JR鹿児島本線「荒尾」駅前から。産交バスの停留所が、駅前と万田坑付近にそれぞれある。停留所名は、前者が「荒尾駅前」、後者が「万田坑前」。しかし、産交バスの公式サイト内の路線図は非常に分かりにくく、「荒尾駅前」停留所からどの系統のバスに乗れば「万田坑前」に行き着くのかよく分からない。また「万田坑前」停留所の位置も不祥。産交バスサービスセンターに問い合わせること。
JR鹿児島本線「大牟田」駅前から。西鉄バス「JR大牟田駅前」停留所から、行き先番号「16」のバスで、「神田」あるいは「倉掛」停留所下車。こちらも路線図はなく、出発地および行き先を公式サイト時刻表検索ページに入力する方式。本数は1時間に1本。「神田」および「倉掛」停留所の詳細位置は不明。西鉄バス公式サイトでも停留所の場所案内は見つけられなかった。またgoogle mapやgoogle、yahoo japanで検索しても分からなかった。下車後現地で聞くか、あるいは西鉄バスに問い合わせるか? 問い合わせは、西鉄バス「お客さまセンター」へ。前記公式サイト参照。
<クルマ>
九州自動車道「南関」ICから約17km。72台分のスペースがある付属無料駐車場あり。
<番外編・自転車>
b0212342_13463687.jpgバスの路線・系統番号がイマイチよく分からなかったし、1時間に1本ということで、今回はレンタサイクルを利用。JR大牟田駅東口にある「大牟田観光プラザ」で、6時間300円で借りられる。



google map

普段の見学
施設の見学時間、入場料、休業日、団体見学、ボランティア?の方々による施設ガイドに関して、荒尾市公式サイト内案内ページ参照。
施設ガイドは定時に実施ということになっているが、見学者が少ないと随時実施してくれる。自分が訪れたとき、見学者は自分だけで、料金所で「ガイドはいかがですか」と声をかけてもらえた。

特別公開
2011年のゴールデン・ウィーク中二日間、無料見学会が催された。ただし、特別な公開場所があったわけではないようだ。

問い合わせ
万田坑ステーション、もしくは荒尾市社会教育課へ。


*1 荒尾市公式サイト内、万田坑案内ページ
*2 現地案内看板
by h9w457y8i | 2011-07-02 14:13 | 熊本 | Comments(0)

おおむたしやくしょ ほんちょうしゃきゅうかん

昭和11年(1936年)、竣工。

鉄筋コンクリート造4階建、建築面積1378㎡、塔屋付

国登録有形文化財*1  平成17年(2005年)、登録。








JR大牟田駅のすぐ東側に建つ。
建物の幅は62m。中央背面には市議会議場が張り出している。縦長窓を密に配した採光に配慮したつくりで,複数の蛇腹と中央部の柱形で外観を引きしめる。正面中央部には大きく庇(ひさし)の突き出た玄関や5層の塔屋を設け,中心性を強調し重厚な印象を与えるなど、当時の官庁建築の特徴を現している。
この建物は数少ない現存する昭和初期の官庁建築のひとつであり、当時の大牟田の発展を今に伝える貴重な文化財である。*2 *3

本市の都心部のほとんどが焦土化した第二次世界大戦の戦火にも耐え抜いた貴重な建造物であり、戦火を耐え抜いた“証”として、戦時中使用された、
 1.高射砲の台座(屋上北側)
 2.防空監視用のコンクリート製哨(屋上南側)
 3.防火用水槽(本庁舎中庭)
などが今も残されている。
防火用水槽にいたっては、非常に小さなものだが、今もなお手洗い場の水受けとして利用されている。
庁舎内部は、基本的には建設当時の漆喰壁であり、大理石を利用した階段や廊下もそのままだが、老朽化とニーズの変化に合わせ、木枠の窓からサッシへと、また、空調設備の設置、OA化の進展に伴うOA機器の新たな設置、改修工事など、建設当時のいでたちはなくなりつつある。
そのような中でも、現在の総合政策課行財政改革推進室や教育委員会事務局の執務室には、飾りが施された天井や漆喰壁、今は使用されていないマントルピース(暖炉)など、建設当時そのままのものも残されている。*4




JR大牟田駅前、国道208号線より。
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正面玄関。階段の上には、大きく張り出したひさし。
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b0212342_15194970.jpg正面玄関の上には、「大牟田市庁」の看板。


5層の塔屋。
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b0212342_15231868.jpg市庁舎の前にある、自動販売機。よーく見てみると。

飲み物の自動販売機に埋め込まれた、現地案内看板。こういう設置のしかたは初めて見た。
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見学メモ

アクセス
<鉄道>
JR大牟田駅東口から徒歩約3分。
西鉄大牟田駅から徒歩約4分。(これら二つの駅は隣り合っている)
<クルマ>
九州自動車道「南関」ICから、県道10号および国道208号線経由、約12km。
市庁舎の東側に、来庁者用有料駐車場がある。ただし、「平日業務中の用務以外での利用はご遠慮ください」という記載があるので、見学のために駐車していいかどうかは、下記問い合わせ先に聞いてみたほうがいいかもしれない。
これ以外の駐車場としては、大牟田駅東口に20台分ほどのコインパーキング(タイムズ)があった。


google map

普段の見学
外観の見学は自由。建物内部、屋上、中庭、塔屋に関しては不明。

特別公開
情報は見つけられなかった。

問い合わせ
内部、屋上、塔屋などの見学については、大牟田市役所企画総務部総務課へ。自分は問い合わせなかった。




*1 用語解説
*2 文化庁文化財等データベース
*3 現地案内看板
*4 大牟田市公式サイト内市庁舎案内ページ
by h9w457y8i | 2011-07-01 16:05 | 福岡 | Comments(0)
だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。
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