【重要文化財|旧太田家住宅】 (日本民家園内)
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旧太田家住宅は、現在の茨城県笠間市片庭地区にあった農家です。太田家はその土地で、名主を務めていました。建物は主屋と土間に分かれており、建てられたのは江戸時代中期で、主屋が17世紀末、土間部分が18世紀後半とされています。この家の大きな特徴は、見ての通り、横方向に並ぶ二つの建物が屋根部分で繋がって、一軒の家になっているところです。このような土間と居住部分の屋根を分ける家の様式は分棟型と呼ばれ、かつては八丈島や沖縄など南方系に限ったものとされていましたが、この家のあった茨城県の中西部、また栃木県宇都宮周辺でも後に確認されています。主屋と土間が接する部分の屋根には大きな谷ができますが、ここには大きな樋(とい)を付けて、雨仕舞いをしています。ただ、間取りなど室内の様子は、周辺の農家と大差ありません。旧太田家住宅は分棟の形式を今に伝える貴重な建物で、かつ茨城県のこの種の古民家では最古で、この地方の民家の発展を知る上で欠かせない存在とされています。このような点が評価されて、昭和43年(1968年)、国の重要文化財に指定されました。
旧太田家住宅のより詳しい解説は、
川崎市教育委員会 公式サイトを参照してください。
川崎市立日本民家園へのアクセス、見学のしかたは、こちらのページへ。
旧太田家住宅は赤マーカー4
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1 こちらは土間。入口があります。
2 後に改築された土間の外壁は、板壁になっています。
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4 一方、居住部分の壁は、土壁になっています。保温性を重視したんでしょうか。
5 土間はかなり大きいです。
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8 この角度から見ると、手前の居住部分よりも奥の土間の部分が前に出ているのがよくわかります。これはこの地方の民家に共通する特徴です。
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11 左が主屋、右が土間。
12 二つの屋根の真ん中に、半分に割った丸太をくり抜いた大きな雨樋があります。
13 居住部分のヒロマの縁側。
14 主屋の窓。縁側はないですね。
15 家の入り口には、明治政府が出した「五榜の掲示」の一枚が飾られています。
多分、この家とは何の関係もないのではないかと。
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17 土間。やっぱり、やたら広く感じますが、これは改築後の姿。建てられた当初の間口は、この半分でした。
18 土間の屋根裏。梁が曲がっているのは、これはわざとそういうふうにしたんでしょうね。
19 土間には農具が展示されていました。
20 主屋の囲炉裏。
21 「ヒロマ」から見た土間。こうやって見ると、土間だけでかなり広いです。
22 主屋の「ヒロマ」。家族の生活部分です。土間と接している部分。奥には「ザシキ」が見えています。
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25 ザシキは一番格上の部屋ですが、天井がありません。やはり農家なので、武家屋敷のようにはいかないのでしょうね。
26 一番奥にあるヘヤ。窓がなく、寝室として使われていました。
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文化財分布マップ
(全国の国宝、重要文化財建造物の詳細位置をプロットしています)
このページは、
川崎市立日本民家園 公式HP
川崎市公式サイト
文化庁国指定文化財等データベース
現地案内看板
現地配布パンフレット
などの記述を参照しています。
by h9w457y8i
| 2020-06-24 10:36
| 神奈川
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