世界遺産 【ブリュッセルのグラン・プラス】 概要

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ブリュッセルはケルンとフランドル地方を結ぶ交通の要衝として、12世紀頃から発展した。交易で栄えた街の中心には市場が開かれたが、それはいつしか拡大し、グラン・プラス(大広場)と呼ばれる広場へと発展していった。13〜14世紀になると、商工業者間で結成された職業別組合であるギルドも出現し、グラン・プラスの周辺には、パン職人やビール醸造業者、大工・家具職人、仕立て屋などのギルドハウスが立ち並んでいった。
1695年、ルイ14世の命を受けたフランス軍の侵攻を受けたブリュッセルは、激しい砲撃で市庁舎以外のほぼ全ての建造物を焼失してしまう。しかしギルドの人々の努力によって、街はわずか4年で再建。新たなギルドハウスはそれまでの木造ではなく、バロック様式を取り入れた石造りへと変更された。より華麗な姿でよみがえったグラン・プラスは、19世紀半ばにフランスの文豪ヴィクトル・ユゴーによって「世界一豪華な広場」と称された。1831年にベルギー王国の首都となったブリュッセルは、現在では欧州連合本部が置かれ、「EUの首都」としての顔も持つ。
〜世界遺産検定公式ガイド(世界遺産アカデミー・世界遺産検定事務局発行)より引用




以下の文章は、ユネスコ公式サイト/グラン・プラス案内ページを管理人が和訳したもの。

登録基準

登録基準 2: 建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値感の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。*1
グランプラスは、この地域の文化と社会性の特徴をよく表した、建築技術と芸術性のスタイルが高度に結びついた顕著な例である。

登録基準 4: 歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。*1
建築学上の性質と品質という点から言っても、また公共の広場としての顕著な品質という点から言っても、グラン・プラスは、北ヨーロッパにおける高度に成功した商業都市の進化と業績を、独特な方法で例示している。それは、繁栄の頂点を極めた例だと言える。



解説

グラン・プラスは、この地域の文化と社会性の特徴をよく表した、建築技術と芸術性のスタイルが高度に結びついた顕著な例である。そしてまた、建築学上の性質と品質という点から言っても、また公共の広場としての顕著な品質という点から言っても、グラン・プラスは、北ヨーロッパにおける高度に成功した商業都市の進化と業績を、独特な方法で例示している。それは、繁栄の頂点を極めた例だと言える。

この広場が最も早く文献上に登場するのは、1174年のことである。当時はNedermarckt(オランダ語で「低い市場」)と呼ばれた。現在の名前で呼ばれるようになったのは、18世紀終盤になってからである。

この土地はかつてはセンエ川右岸近くの沼地であり、Lower Lotharingiaの大公、Charles of Franceにより977年前後に築かれた城郭の防御外堡、castellumの東方に位置していた。沼地は12世紀に干拓された。グラン・プラスの長方形の大きさは、脈々と行われ続けた拡張や修正により時代を超えて大きくなっており、現在の大きさになったのは1695年以降のことだった。しかし、7本の通りが広場に通じているのはずっとそのままである。13, 14世紀には、市場は無計画に配置されたsteenen(衣料、パン、肉を扱う石造りのホールや市場)と木材の柱を持つ家々に囲まれていた。そして、作業場、庭、ambiti(防火帯として用いられた通路)によって区切られていた。15世紀になると、広場南側の家々は取り壊され、代わりに市庁舎(工事期間1401〜1444年)の東西翼とその鐘楼(1449年竣工)が建設された。新しいパン・ホールは、広場の北側に1405年に建設された。

そのパン・ホールも1512年から1513年にかけて取り壊され、その跡地には「王の家(La Maison du Roi)」と名付けられた大きな建物が建設された。16世紀になると、多くの家々の広場に面した正面は、ルネサンス、あるいはバロック様式に造りかえられた。フランスのルイ14世は、1695年8月14日、自国沿岸の街や港をオランダとイギリスの艦艇により破壊された報復として、Villeroy元帥にブリュッセルの街を砲撃するように命じた。砲撃は熾烈を極めたものの、街の再建は迅速に進んだ。それは市当局の措置と、他の街や行政区による寛大な援助によるところが大きかった。1697年、注目すべき条例が、市行政官から公布された。それは、広場の景観を維持するため、全ての建物について、その正面を造り変える場合は、当局にそれを申請し承認を受けなければならない、というものだった。こうしてグラン・プラスは、4年で往時の姿を取り戻すことができた。

グラン・プラスの南面の大部分を占めるHôtel de Ville(市庁舎)は、長方形をした中庭を囲む建物の一群から成る。広場に面した部分は15世紀に造られ、二つのL字型の建物から成る。建物の正面は全体を彫像で飾られており、それは19世紀から設置されはじめた。それに比べると建物の南側は控えめな印象で、上から見るとU字型をしているゴシック建造物であり、18世紀に建造された。
広場を挟んで市庁舎の向かい側にあるもう一つの特徴的な建物は「Maison du Roi(王の家)」と呼ばれ、現在はブリュッセル市立博物館として使用されている。1873年、ブリュッセル市議会は老朽化のため、この建物を取り壊し、建て直す決定を下した。再建により建物は、三階建てのレンガ構造、アーケードを持つ正面、くぼみを持つ屋根、そして中央には灯火が灯る尖塔、といった建造当初の姿に復元された。

グラン・プラスに面した様々な大きさの家は、一つ一つが固有の名称を持っている。ブラバント公の家(Les Ducs de Brabant)、スペイン王の家(Le Roi de l’Espagne)、Le Cornet、白鳥(Le Cygne)、ブリューワーズの家(Maison des Brasseurs)、鹿(Le Cerf)、仕立て屋の家(La Maison des Tailleurs)、といった具合である。家々の内部がどの程度オリジナルの状態を保全しているかはまちまちで、18世紀初頭の状態がそのまま残っているような家もあれば、大幅に改造され、現代的になった家もある。いくつかの家の1階は、商店、レストラン、カフェとして営業している。



グラン・プラスの歴史

この広場が最も早く文献上に登場するのは、1174年のことである。当時はNedermarckt(オランダ語で「低い市場」)と呼ばれた。現在の名前で呼ばれるようになったのは、18世紀の最終四半期になってからである。

この土地はかつてはセンエ川右岸近くの沼地であり、Lower Lotharingiaの大公、Charles of Franceにより977年前後に築かれた城郭の防御外堡、castellumの東方に位置していた。北をSpiegelbeekの流れに、東と南を砂州に囲まれており、また東から西へと傾斜していた。それはグラン・プラスに面したいくつかの家の名前が物語っている。例えばNo 6 La Montagne, Nos 10 and 18 La Colline、という風に。沼地は12世紀(あるいはそれよりもわずか以前)に干拓された。

グラン・プラスの長方形の大きさは、脈々と行われ続けた拡張や修正により時代を超えて大きくなっており、現在の大きさになったのは1695年以降のことだった。しかし、7本の通りが広場に通じているのはずっとそのままである。13, 14世紀には、市場は無計画に配置されたsteenen(衣料、パン、肉を扱う石造りのホールや市場)と木材の柱を持つ家々に囲まれていた。そして、作業場、庭、ambiti(防火帯として用いられた通路)によって区切られていた。

14世紀後半には、広場の南側に巨大な衣類売り場が建設された。1396年、市当局は広場の拡大と再開発のため、広場北側の多くの家々を接収した。15世紀には、広場南側の家々が取り壊され、代わりに市庁舎の東翼と西翼(工事期間1401〜1444年)、そして鐘楼(竣工1449年)が建設された。1405年、広場の北側に新しい「パンの家」が建設された。また1441年には、東側に不規則に建てられていた建物が取り壊され、そこに6棟のきれいに整列した建物が建てられた。この頃から、広場を囲む家々は会社やギルドの管理下に入っていった。ギルドは1420年頃から市政に影響を及ぼすようになり、グラン・プラスの発展に寄与していたからである。「パンの家」は1512年から1513年にかけて取り壊され、その跡地には「王の家(La Maison du Roi)」と名付けられた大きな建物が建設された。16世紀になると、多くの家々の広場に面した正面は、ルネサンス、あるいはバロック様式に造りかえられた。★


世界遺産 【ブリュッセルのグラン・プラス】 概要_b0212342_08201023.jpg1 : Le Roi d’Espagne
2 - 3 : La Brouette 一輪手押車
4 : Le Sac 袋
5 : La Louve 雌狼
6 : Le Cornet
7 : Le Renard 狐
8 : L’Etoile 星
9 : Le Cygne 白鳥
10 : L’Arbre d’Or 黄金の木
11 : La Rose
12 : Le Mont Thabor
12a : Alsemberg
13 : La Renommée
14 : L’Ermitage
15 : La Fortune
16 : Le Moulin à Vent
17 : Le Pot d’Etain
18 : La Colline
19 : La Bourse
20 : Le Cerf Volant
21 : Joseph
22 : Anne
23 : L’Ange 天使
24 - 25 : La Chaloupe d’Or 黄金の汽艇
26 - 27 : Le Pigeon 鳩
28 : Le Marchand d’Or    34 : Le Heaume    35 : Le Paon 孔雀
36 : Le Petit Renard (ou le Samaritain)      37 : Le Chêne
38 : Sainte-Barbe     39 : L’Âne
上の地図はブリュッセッル市公式サイト/グラン・プラス案内ページより引用。


*1 日本ユネスコ協会連盟公式サイトより


mark1
by h9w457y8i | 2014-01-29 07:30 | ベルギー | Comments(0)

日本だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。


by h9w457y8i

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