【世界遺産】 オーストラリアの囚人遺跡群 解説


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世界文化遺産  2010年、登録。


概略

世界遺産に登録されたこの文化遺産は、18世紀から19世紀にかけて大英帝国によってオーストラリアに建設された数千の囚人施設の中から選ばれた11の遺跡群からなる。遺跡群はオーストラリア各地に分散している。オーストラリア西部のフリーマントルから東はノーフォーク島にあるキングストンとアーサーズ・ベールまで、そして北はニュー・サウス・ウェールズ州のシドニー周辺から南はタスマニアまでに及ぶ。

【世界遺産】 オーストラリアの囚人遺跡群 解説_b0212342_1351496.jpg1787年から1868年までの80年間に渡り、イギリス本国の裁判官に囚人植民地への流刑を宣告された、子供を含むおよそ16万6千人の男女が、本国からオーストラリアに送られた。懲罰的な禁固と、植民地建設を支える強制労働による社会復帰の観点から、それぞれの遺跡には特定の目的があった。オーストラリアの囚人遺跡群は、大規模な囚人移送、およびヨーロッパ列強の植民地拡大が囚人たちの存在と労働に支えられていたことを示す、現存する最良の例である。
上 オーストラリア政府により設立された初の囚人収容所、ハイドパーク・バラックス。その内部に作られた博物館の展示。




顕著な普遍的価値

【世界遺産】 オーストラリアの囚人遺跡群 解説_b0212342_13454372.jpgコカトゥー島のドック。囚人によって建設された、オーストラリア唯一のドックである。

概要

世界遺産に登録されたこの遺跡群は、別々の場所にある11の遺跡からなる。この遺跡群は、顕著かつ大規模な囚人の強制的移送の例を示すものである。その囚人とは、大英帝国の本国から遠く離れた植民地への流刑を宣告された人々であり、同様の方法が、他の植民地に対しても行われていた。
植民地の発展、すなわち建造物や港の建設、インフラ整備、資源の採掘などのため、囚人たちは数多くの専用居留地に収容された。それぞれの遺跡は、これら囚人居留地の異なったタイプを示している。故郷から遠く離れた地への流刑を宣告され、自由を奪われ、強制労働に従事させられた囚人たちの生活の様子を、遺跡群からはうかがい知ることができる。

【世界遺産】 オーストラリアの囚人遺跡群 解説_b0212342_1356579.jpgこの移送と強制労働は、犯罪を犯した者だけでなく、思想犯や当時の政権の政敵といった、比較的軽い罪で有罪判決を下された者に対しても、大きな規模で行われた。オーストラリアへの流刑は女性や9歳以上の子供にも適用された。囚人収容施設は、奴隷制度が廃止されていった18世紀から19世紀にかけての、植民地を持つヨーロッパ列強の主たる刑罰の法的形式を示すものである。
上 ハイドパーク・バラックス博物館内の展示。収容所の寝室を再現したもの。

遺跡からは囚人居留地がとったいろいろな形式を窺い知ることができる。18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパにおける犯罪に対する刑罰についての議論や思想を如実に反映している。すなわち、刑罰の過酷さが犯罪の抑止力になり、また労働や規律は社会復帰の役に立つ、というものだ。これらは欧米の刑罰モデルの出現に影響を及ぼした。
オーストラリアでの植民地システムの確立の中で、囚人居留地は元々そこに居住していたアボリジニの人々を痩せた土地に追いやり、その後の白人の重要視につながっていった。


【世界遺産】 オーストラリアの囚人遺跡群 解説_b0212342_13491159.jpgコカトゥー島の世界遺産登録を記念するプレート。

この遺産は、以下の世界遺産登録基準に合致している。

登録基準4:歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。*1
18世紀から19世紀にかけて、大英帝国をはじめとするヨーロッパ主要諸国では、従来型の強制労働や国の刑務所システムが、巨大な植民地計画を担うための強制退去や強制労働に変遷していった。オーストラリアの囚人遺跡群は、その顕著な一例の証拠となる。未開地の発展に必要な多くの資源を供給するため、様々な種類の流刑植民地が作られてきたことを、遺跡群は示している。また遺跡群は、当時の強制収容システムが様々な目的を持っていたことの証拠となる。その目的とは、犯罪抑止力としての厳罰、老若男女による強制労働、労働と規律による囚人の社会復帰、などである。

登録基準6:顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準と合わせて用いられることが望ましい)。*1
18世紀から20世紀にかけての列強の国々による罪人、非行者、政治犯の植民地への移送は、人類の歴史、特に刑事、政治、植民地に関する歴史の重要なトピックである。オーストラリアの囚人居留地は、これらの歴史の、そして現代と近代におけるヨーロッパ社会での議論に由来する象徴的な価値観の、とりわけ完全な例を提供している。遺跡群は、植民地の占有においてアボリジニ族に損害を与えるほどの発達段階を例示している。そしてまた遺跡群からは、ヨーロッパ由来の人々の人口が、どのように増加していったかを知ることもできる。それは、最終的に囚人たちを移民とみなせるようにするための強制労働と社会復帰を伴う、刑罰と輸送の規模から理論的に推察される。




この遺産の完全性と真正性*2(和訳に難あり)

遺産の構造と風景の完全性は、遺跡や検討された証拠によって変化する。時には、遺産の再利用や長い放棄といった、その土地の歴史の影響を受けている。完全性は、良好に保存されたグループと、それ以外の断片的と言われるかもしれないようなところとの間で変化する。都市環境における特定の視覚展望を除いて、遺産の完全性レベルは、遺跡の管理計画によってうまくコントロールされている。
また真正性についても、離ればなれの11の遺跡が、合計すると200以上の建造物から成るという非常な複雑さにも係わらず、それらのほとんどについて、良好であると言える。*3



*1 公益社団法人日本ユネスコ協会連盟公式サイト内、世界遺産登録基準案内ページより。
*2 英語では、integrity, およびauthenticityと呼ばれる。世界遺産登録審査の際に重要視される条件で、遺産が持っているべき価値にどのくらい真実性があるか、またその価値がどの程度完全に残されているか、といったこと。文化庁文化遺産オンラインより。
*3 このページの記事は、ユネスコ公式サイト内当該遺産案内ページを管理人が和訳したもの。





オーストラリアの世界遺産オーストラリアの囚人遺跡群 > 解説
by h9w457y8i | 2013-05-03 14:04 | オーストラリア | Comments(0)

日本だけでなく、世界各地の世界遺産見学のしかた、海外鉄道の乗り方、各地を訪れた時の街角スナップも。


by h9w457y8i

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