碓氷峠鉄道施設 全体の概要
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東京と直江津(新潟県)を結ぶ路線のうち、横川-軽井沢間の11.2kmは、明治26年(1893)に英国の技術指導を受けて建設され、碓氷線と呼ばた。後の信越線である。この区間は、66.7パーミル(1000m進む間の標高差が66.7m)という急勾配の箇所があるため、アプト式(ドイツ語読み。アブト式ともいう)という特殊な登坂機構が採用された。アプト式はスイス人カール・ロマン・アプト(Carl Roman Abt)が開発した、レールとレールの間に、歯形の刻みがある第3のレール(ラックレール)を敷き、車両の車軸に取り付けた歯車をかみ合わせて、急な傾斜でも安全に運転できるようにした鉄道の方式である。
碓氷線には膨大な量のレンガで造られた18箇所の橋梁と26箇所の隧道(トンネル)があったが、これらのトンネルを蒸気機関車が通過する際に充満する煙のため乗客や機関手が大変な苦痛を受け、改善が望まれるようになった。また、輸送する物資の増大から輸送力の向上も期待されていた。このため、明治45年(1912年)、日本の幹線鉄道としては初めて電化されるに至った。電化のため、横川に専用の火力発電所が作られ、その電力を鉄道用の電圧にしたり、緊急時に備えて蓄電するために、丸山変電所にレンガ造の変電所と蓄電池室の2棟が作られた。*1
アプト式鉄道は昭和38年(1963年)に廃止となり、その後も路線の一部は信越本線として活躍したが、平成9年(1997年)の長野新幹線の開通により、横川ー軽井沢間は完全に廃線となった。現在は「アプトの道」という名称で一部が遊歩道として整備され、明治時代の橋梁や隧道を通れるようになっている。また信越本線の一部は残されて、観光用トロッコ列車が運行している。
左 第六隧道 右 廃線になった信越本線
*1 群馬県発行パンフレット(PDF 300KB)より。
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東京と直江津(新潟県)を結ぶ路線のうち、横川-軽井沢間の11.2kmは、明治26年(1893)に英国の技術指導を受けて建設され、碓氷線と呼ばた。後の信越線である。この区間は、66.7パーミル(1000m進む間の標高差が66.7m)という急勾配の箇所があるため、アプト式(ドイツ語読み。アブト式ともいう)という特殊な登坂機構が採用された。アプト式はスイス人カール・ロマン・アプト(Carl Roman Abt)が開発した、レールとレールの間に、歯形の刻みがある第3のレール(ラックレール)を敷き、車両の車軸に取り付けた歯車をかみ合わせて、急な傾斜でも安全に運転できるようにした鉄道の方式である。
碓氷線には膨大な量のレンガで造られた18箇所の橋梁と26箇所の隧道(トンネル)があったが、これらのトンネルを蒸気機関車が通過する際に充満する煙のため乗客や機関手が大変な苦痛を受け、改善が望まれるようになった。また、輸送する物資の増大から輸送力の向上も期待されていた。このため、明治45年(1912年)、日本の幹線鉄道としては初めて電化されるに至った。電化のため、横川に専用の火力発電所が作られ、その電力を鉄道用の電圧にしたり、緊急時に備えて蓄電するために、丸山変電所にレンガ造の変電所と蓄電池室の2棟が作られた。*1
アプト式鉄道は昭和38年(1963年)に廃止となり、その後も路線の一部は信越本線として活躍したが、平成9年(1997年)の長野新幹線の開通により、横川ー軽井沢間は完全に廃線となった。現在は「アプトの道」という名称で一部が遊歩道として整備され、明治時代の橋梁や隧道を通れるようになっている。また信越本線の一部は残されて、観光用トロッコ列車が運行している。
左 第六隧道 右 廃線になった信越本線
*1 群馬県発行パンフレット(PDF 300KB)より。
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by h9w457y8i
| 2013-04-01 16:33
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